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『ペスト』を読破

オリ・パラは全く見なかった。テレビをつけるとすべてのチャンネルで同じ場面を報道している。何となく違和感を覚えてテレビはつけなかった。新聞もほとんど読まなかった。毎日、アスリートの顔の大きな写真満載で、何となく息苦しかった。

この間、じっくりと本を読むことにした。

ツンドクのまま、本棚で静かに出番を待っていた本の中から、カミュの『ペスト』を取り出した。コロナが 出現したころ、突然、脚光を浴びた古典(と言っていいだろう)。買ったものの、けっこう、ボリュームがあり、ぎっしりと字が並んでいるので、ぱらぱらめくって終わっていた。

これ、きちんと読もう!毎日10ページ読もう。

クーラーの効いた部屋、テレビの音の消えた世界はとても静かで、今までとは別世界のようだった。

1947年に発表された大作で、ペストの蔓延する封鎖された街が舞台。その街で人はどう生き、行動し、生き延びようとしたのか。

それは現在のコロナ禍と合わせ鏡のように重なり、人の優しさ、愚かさ、自分勝手さ、残酷さが生々しく迫る。

それにしても昔の小説は難しい。哲学的な言葉が散りばめられ、情景描写も延々3頁ぐらいは続く。多分、西洋古典文学の特徴だと思う。若い時はともかく、70路を過ぎると、文庫本の小さな文字で難しい描写が続くと疲れる。

飛ばし読みしたくなる。でも我慢……

最近、noteの世界で分かりやすく親しみやすい短文に触れ、自分も出来るだけ、分かりやすい短文で書こうと努力するようになった。

それはそれで文章には大切なことだが、難解な文章から遠ざかるということは、結果的に、消化しやすい食べ物だけを食べていたようなものだったかも知れない。哲学的な思考、批判精神、幅広い視野は私には不得意な分野かも知れない、とも思った。

この際、硬いスジだらけの肉に挑戦するように『ペスト』を読破してみよう。1日10頁、飛ばし読みせず読もう!

疲れて、本から目をあげると、窓の外はキラキラ太陽が輝き、ブルーベリーの木々がたわわに実を付けて、微かに揺れている。

あまりに静かな夏の日。オリ・パラという祝宴が開催されていることすら意識に上らないほど。また本に目を落とすと……。

生存の危機のなか、人間愛を失わなかった人たち、愛する者たちの死にどうすることもできず泣くしかない人たち。法令を破って、街から脱出しようとする人たち。すべてが現在のコロナ禍と重なる。怖いほどに。

作家には未来を予言する才能がなければならない。未来を予言出来たものだけが古典として残るのだ、と深く認識した。

分かりにくい表現は繰り返し読む。翻訳家は凄いと思った。かつて翻訳家になりたいなどと甘い夢を持って、通信教育を受けたことがある。自分にはとても無理だとすぐに分かって止めた。そんなこともふと思い出す。

4月16日の朝、医師ベルナール・リウは、診察室から出かけようとして、階段口のまん中で一匹の死んだ鼠につまづいた。(訳・宮崎嶺雄)

始まりは不穏に満ちている。そしてペストの終焉の予兆は、ペストを生き抜いた猫に象徴される。

暗い舗道の上を一つの影が軽快に走って行った。それは一匹の猫、春以来おそらく初めて見かけた猫だった。(訳・宮崎嶺雄)

そして小説の終わりは……。

ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり(略)おそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼び覚まし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうと言うことを。(訳・宮崎嶺雄

まるで78年後の今を予言したかのようなラスト。

458ページを読破するのに、50日ほどかかった。ちょうどオリ・パラの期間中だった。

わたしの金メダルは飛ばし読みせずに読破したことだった。最後のページを閉じて飲む夕べのコーヒーが美味しかった。


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