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一週間の異次元空間

一週間、長女のマンションに滞在した。なぜ、一週間もかというと、娘のパートナーさんに今度中学生になるお嬢さんがいて、春休みに勉強を見て欲しいとお願いされたから。

泊まりがけの旅行はもう10年近くやっていない。まして手術をしてから、自分の食生活も行動も律し、体力回復一筋に生活してきた。

他人の居る空間にこんなに長く滞在して何か起こったら、と不安もあった。しかし、小学6年の算数がまったく分かっていないから何とか見て欲しい、と娘からの熱心な願い。一抹の不安を抱えながら決心した。

娘にとっては実の子ではないのに、本当に一生懸命やっている。私に出来る協力はしよう。

健康保険証を持参。どうぞ、何事もありませんように……。

住居は美しい大きなマンションの9階。高所恐怖症のわたしにはベランダに出るのも怖い。ビーズの付いた綺麗な洋服は家では手洗いして、水をぼたぼたたらしながら庭に干していた。

でも、9階のベランダに水のたれる衣服を干すのも気がひける。娘がすべてやってくれたが、手を煩わせるのはいやだったので、手洗いするような洋服は洗わないようにした。

外にも出かけないし、汗もかかないから、下着以外は洗濯しなくてもだいじょうぶだった。3食すべて娘が作ってくれ、私はその子のお勉強を付きっ切りで見るしかすることがなかった。

1日5時間の春休みしか出来ない特訓。自分の子どもたちにはこんんなに一生懸命教えたことはなかった。

自宅で、昔、子育てしながら、小学生相手の塾を開いていたから、すぐに勘は取り戻せたが、勉強を教える以外することのない生活は退屈というより、経験したことのない不思議な暮らしだった。

景色もいいし、部屋も広い。新しい布団も準備してもらい、豪華な老人ホームに入ったような毎日。

でも、年とって、老人ホームに入るお金があっても、老人ホームには入りたくない、と思った。毎日、することがあって、毎日、リュックしょって散歩して、毎日、新聞や本を読む。下手ながらパソコンを開いてキーに触る。それが私の日常だった。

最後の日にパートナーさんのご両親と会食。コロナに用心して外には行かず、部屋のなかでお寿司とか焼き豚、サラダなどを。

日曜日の朝、グリーン車の切符を買ってもらい、家族全員に送ってもらう。

こんなに大事にされ、感謝され、こんなことを言うのは贅沢とは分かっている。でも、新聞のない暮らしはあまりに寂しかった。ネコちゃんの和子とシロも心配だった。

地面に足を着いた暮らしに戻った。大切な衣服は手洗いで庭にぼたぼた水を垂らしながら干した。近所の犬やら猫やらの顔も見た。郵便配達のバイクの音が聞こえる。夜にはガタピシと雨戸を閉める。

翌朝はさっそく散歩に出かかる。梅の花が真っ盛り。一本の樹に紅梅と白梅が混じって咲いている。写真では伝わらないが、ほんとうに自然の美を感じた。

翌朝、娘から電話があった。「お母さんの特訓が効いたよ。結果が出たよ。分数の計算、ほとんどできて問題ありませんって、塾の先生が」そしてあんなに勉強を嫌がっていたお嬢さんが電話に出て「ありがとうございました」

私はひとつの役目を果たした。心から安堵した。泣きたいほど安堵した。

こんな役目を与えられるとは思ってもいなかった。多分、神さまが与えてくれたのだろう。まだまだ出番がありますよ、という意味で。

ひとつ、はっきり思った。死ぬまで、いろいろ忙しく家事雑事に追いまわされ、散歩やら新聞を読んだりしていたい。豪華であれ、設備万端理想的であれ、老人ホームで優雅な暮らしなど絶対したくない。

人生って、振り返る暇もないほど忙しくて自分の役目がわんさとあることが幸せだと学びました。





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