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わたしの出会った判事たち -17-

忘れられない言葉

後で知ったことだが、あの日、自宅に帰れなくなった調停委員たちが沢山いた。彼らは駅近くの喫茶店に泊めてもらったり、自宅が近くの委員の家に泊めてもらったとのこと。

また、噂だが、あの日はラブホテルも、一般グループ(そう表現していいかどうかは分からないが)の人たちを泊めてくれたらしい。

翌週の月曜日。

震災報道は日々恐怖と不安をかきたてていた。それでも調停の期日が入っている。行かねばならない。こんな折、当事者は休むだろうと思って、こちら側が休んではいけないのだ。

裁判所近くのホテルに泊まりこんでホテルから出勤してきた人もいた。朝、五時に家を出たという人もいた。皆、何らかの方法で出勤してきた。

幸い、バスは時刻表はないも同然だったが動いていた。わたしは六時に家を出た。行ける所まで行くしかない。

バス停に立っていると地面がグラグラ揺れ始めた。ポールに掴まる。怖かった。家に居たいと思った。このときほど、仕事をもっていることの辛さ、大変さを感じたことはない。

信号はすべて消えていた。

バスやタクシーの運転手さんたちはアウンの呼吸で駅前の大交差点を行き交う。プロは凄いと思った。

庁舎に着くと中は暗かった。エレベーターは止まっている。日常の光景は消えていた。世界が変わってしまったのだ。

それでもほとんどの調停は実施されていた。子育て中の判事さんも書記官もいる。だからといって休むことはできないのだ。

バスも電車も通常どおりには動いていない。車も想定外の道路状況に巻き込まれるか分からない。そんななか、裁判所職員も調停の当事者も、どんな手段で裁判所まで来たのだろう。

今も、コロナ禍のなか、大勢の人が働いている。地震と違い、交通手段には異常がないが、精神的ストレスと不安はあの震災以上かも知れない。

スーパーのレジを打つ女性たち。宅配の配送をする男性たち。ゴミ収集車の人たち、医師、看護師、介護施設のスタッフたち……。

多くの人が働いている。だから社会が回っている。

調停は「しばらく休止」としても社会全体の人が困るわけではない。所詮、個人的な悩みごとの解決策を捜す仕事なのだ。

エッセンシャルワークではない、と今にして思う。だが、当事者にとっては何事にも替えられない重要なマターなのだ。

二か月後後、地震当日の当事者の調停日が来た。

登庁して記録を読みなおしていた時、気付いた。当事者の男性は東北沿岸の町の出身だった。新聞で毎日、津波に流された人たちの消息が報道されているあの町の……。

申し立てた側の女性側は不出頭だった。男性が言った。「実家は流されました。両親は避難所暮らしで、わたしは昨日、帰ってきました。休むとご迷惑おかけすると思って来ました」

男性に付いて来た弁護士が言った。「わたしもあの町の出身で、弟一家がまだ行方不明なんです」

二人ともそれだけ言って、しんと黙って座っていた。わたしたちは言葉もなかった。

調停をどう継続するか判事に相談した。判事は「わたしも気付きました。あの町の出身なんですね。今日、よく来てくれましたね」

帰り際にわたしたちはこう言うしかなかった。「大変なところ、いらっしゃってくださって……お気をつけてお帰りください」

男性と弁護士は頭を下げて部屋を出た。静けさだけが残った。

その後、調停は取り下げとなった。当事者同士で話がついたのだろうか。やむをえず、一時中断にしたのだろうか。

六月になり暑くなった。

計画停電でクーラーは入らない。各部屋に扇風機と団扇が配られた。扇風機が足りなくなり、裁判所は急きょ扇風機を沢山買ったらしい。

扇風機の風は当事者に当たるようにしたが、暑さで倒れた当事者が出た。救急車が来た。しかし、高年齢の調停委員たちだが、倒れた委員は一人もいなかった。

判事たちはきちんとスーツを着て、扇や団扇を使うこともなく、いまだに余震が来る中、いつもと変わらず、評議し、調停条項を確認し、一つずつ、事案を解決していった。

当事者に話しをしている途中でグラグラっと揺れても、淡々と話を続けた。

裁判官室に帰ったら「怖かったなあ。あの揺れ」と独り言を言ったり、「わー、暑い、暑い」とシャツを脱いだりしているのだろうか。

調停室は蒸し暑い。ペットボトルの水をがぶ飲みした。帰りに自販機でカルピスウォーターを買って一気飲み。生き返った。

恐ろしいほど込み合うバス(電車はなかなか正常運転に戻らなかった)にも耐えるしかなかった。原発はどうなるだろうという不安にも耐えるしかなかった。

それでも仕事があったから耐えられた。怖くてもやらねばならない義務がある。それがなかったら、家のなかでうずくまっているしかなかったのだ。

思い出すのは、あの日の当事者だった。

被災地の家族と連絡がつかないのに出頭してきた。愚痴も言わず、泣き言も言わず、静かに帰って行った。

「休むとご迷惑おかけすると思って」

あの言葉が忘れられない。

      (今回は当事者の思い出になりました)

            次回は最終回。水曜日配信予定



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