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わたしの出会った判事たち ー14ー

知らぬふりする思いやり(1)

「婚費を出させるのが、アンタたちの仕事でしょう」

「でもお金のない人から出させることはできないんです」

「それをさせるのがアンタたちの仕事でしょう」

女性はものすごい剣幕で詰め寄る。

婚費というのは、通常は夫が妻に払う生活費のこと。最近は逆のパターンもあると思うが。

昔(!)は『夫は妻に婚費を払う義務がある』という強い考え方があった。妻が働いていないというのが前提だ。

一昔前までは、妻はすべからく専業主婦であり、働いている方がレアだった。だから法律は専業主婦を守ることを前提にしていた。

しかし、妻の方が夫を嫌って出て行くことは昔も今もけっこう多い。

妻の方が夫を嫌いになって出て行ったら、夫に婚費(生活費)を請求するのはおかしい。自分の食い扶持ぐらいは自分で稼ぐべきだと、わたしは思う。
女性調停委員でそう思っている人は多かったような気がする。

しかし、ここが不思議なところだが、男性委員は『オトコはオンナを養うべし』と強く信じている人がけっこう多かった。なんでだろう?

この調停の女性も自分から夫に愛想を尽かして出て行った。だが、離婚は絶対しない。離婚したら損するから、と言う。

つまり、婚費をもらう方が働くより実入りが良いのだ。夫に収入がある限りは。

「あいつは、お金を隠しているのよ」

「そう思うならその証拠はあなたがもってきてください」

「あんたたちが証拠を捜しだしてよ。それが仕事でしょう」

(わたしたちは私立探偵でもサラ金の取り立て屋でもないのよ。話し合いの橋渡しをしているだけなの)

女性が部屋を出て行った時、わたしは言った。

「法律が専業主婦を守るほうに傾いているから、お金もらいたくて離婚しないのですね」

「そんな傾向もありますね」

「愛人の所で暮らしていながら、夫に婚費を要求している人もいるんだから、もう、信じられません」

「でも、女性は……働かないのが普通だから……」

何かと封建的なオトコたちはこういうときとてもオンナに甘い。それが不思議。

女性が意気揚々と部屋に入って来た。

「夫は妻を養う義務があるって、インターネットに書いてありましたよ」

女性は声を荒らげた。
夫は長距離バスのドライバー。現在、リストラで失業中。
子どもはいない。

なら、妻が働けばいい。わたしより若くて、わたしより体格が良い。頑丈そうだ。十分働く能力があるのではないか。

「わたし、ずっと家にいたからいまさら働けません。わたしが家を出たのは、夫が生活費をカツカツしか入れなかったからです」

「今は仕事の状況が厳しくてカツカツしか稼げない男性が多いですよ」

ワーキングプア続出のころだった。

働いても働いても貧困にあえぐオトコは多かった。わたしから見ると、オンナより男の方がずっと可哀そうなぐらいだった。

妻を養うのが当たり前。自分は月千円の小遣いで我慢。これって『ワーキングプア』どころか『ワーキング奴隷』ではないか。

そうやって日本は高度成長を成し遂げたのだ。『ワーキング奴隷』のオトコたちを踏み台にして、一部の大企業と商社マンたちが大儲けしてきたのだ。

そんな可哀そうなオトコたちを支えるためにオンナは家にいることを当たり前とされてきた。

そのツケはこんな形で調停の場に現れた。

断固、婚費を要求する妻。払いたくても払えない夫の実りのない闘争。

「女性が働くのはたいへんですからねえ。もう一度説得してみましょう」

こんなに優しいオトコ委員に彼女はかみついた。

「説得なんかしてる場合じゃないでしょう。あんたの奥さんみたいに、旦那がしこたま稼いで楽している女性とは違うんだよ~」
「……」

「あんた、貯金通帳の見方もよく知らないだろう。さっき、間違ってたよ。金持ちのバカオトコに同情なんかされたくはないよ」

(ほら見なさい。主婦はたいへんですね、家事労働はたいへんですね、なんて同情するから)

「わたしにはもらう権利があるの。分かってる?」
「……」
「アンタたちは何のためにそこに座っているの」
「……」
「バッカじゃないの」

オトコ委員がおずおずと、「相手に支払能力がないのだから、あなたもパートかなんかしたらいかがでしょう」

「パートでいくらもらえるか、アンタ分かってる?食べてなんかいられないんだ。アンタの奥さんとは違うんだよ」
「……」
「妻は養ってもらう権利がある、アンタ、そう言っただろう?」
「……」

(わたしたちは魔法使いじゃないのよ。失業中のオトコの懐に手を突っ込んで出させることはできない)

もう疲労困憊~~

「裁判官を呼んで」女が叫んだ。

                                 続く  次回配信は日曜日予定 


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