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鳴きわたる雁の羽風に雲消えて

 前の年の二月に政子は熊野参りから足を延ばして京に入った。一つの大きな政事的目的があったのだ。京に入ると翌日には懇意の丹後局高階栄子をたずね、「実朝には子種がない。このままでは将軍家は絶えてしまう。そこで上皇のお子を将軍のあと継ぎしたいのだが」と切り出した。

 都にはよく女帝と呼ばれるような局が登場してくる。後白河法皇の寵をうけて、政事の前面にあらわれてきたこの丹後局もまたその一人であった。頼朝とともに上洛したとき、政子もしばしば彼女と会っている。それはそのとき娘大姫を天皇家に送り込むという政事的目的があったからだった。その話は大姫の若すぎる死によって断たれてしまったが、いままた丹後局に「上皇のお子を将軍のあと継ぎにする」という話をもちかけたのは、その件を実らせる力をもっていると踏んだからだった。しかし一週たち二週がすぎても彼女からの返事はない。

 そこでようやく政子も知ることとなった。高階栄子の時代はもう終わっていて、いまをときめく院の女帝は藤原兼子だということを。時代は変わっていたのだ。政子はそこでこの兼子に面談した。さすがに後鳥羽を動かせる力をもつ兼子だった。その翌日にはもう上皇との面談が許された。

 そのとき上皇は三十八歳。ふっくらとしているが山野できたえた肉体はひき締まり、陽に焼けた顔は浅黒くちょっと野卑な相貌をしている。政子はこの上皇に会うのは三度目だったから旧知の親しさで、
「いつもながら活力にあふれていらっしゃいますね」
「いやいや、貧乏ひまなしというやつで、あれやこれやと手を出しているだけですよ、よほど私は貧乏にできているのですかな」
「まあ、上皇さまが貧乏などというなら、私どもはいったいなんと形容すればよろしいのですか、まあ、ほんとうに」
 と言って政子はからからと笑った。そんなあっけからんとした笑い方が後鳥羽を不快にさせたのか、
「これから馬場に出かけねばならぬので、お話とやらは手短に願いたい」
 そこで政子は世継ぎ問題をもち出した。すでにその話は後鳥羽の耳に入っているのか、後鳥羽は途中でさえぎり、
「その件は、実朝が自ら思案したことなのか」
 と問いかけてきた。それは実朝どころか幕府の重臣たちも知らない話だった。政子一人の独断で仕組まれた話だった。政子はそのあたりをどう説明したものかとちょっと思案していると、後烏羽はさらに鋭く、すべておれは見通していると言わんばかりに詰問するように言った。
「あるいは、実朝もまた納得してのことなのか」

 後烏羽が実朝と名で呼ぶのは、実朝の位の低さからみれば自然なのだろうが、後鳥羽がそう呼ぶのは、別の感情が縫い込められているためだった。実朝が将軍になったとき、その実朝という名を送ったのは後烏羽だったのである。後鳥羽は実朝の名づけ親であり、いわば息子なのだという親しさからそう呼んでいる気配があった。

「いえ、この話はまだまだ内密なる話でありますが、しかし上皇さまがご了承下さるならば、将軍は快哉するにきまっております」
「そうであろうか、それは尼さまのお読みちがいではないのか、あるいは幕府の重臣たちの浅知恵であろうか、たしか実朝まだ三十にもならぬはず、お子など三十すぎてもいくらでもつくれる、まだまだこれからではありませんか、尼さまが勝手に実朝に子種がないの、跡継ぎがないのと、それは短兵急なるご判断ではござらんか、それとも尼さまたちはもはや実朝は将軍として用はなさない、だから退位させ将軍の首をすげ替えねばならぬと考えてのことでありましょうか」
 と上皇は政子の内心をえぐりだすようにぎらりとした眼をむけて言った。
「もしそうであるならば、私はそんな話にのることはないでしょうよ、尼さまもむろん実朝の歌をお読みでありましょうな、あの歌集の最後の歌、ほら、ええと、なんといったか、ほら‥‥‥」
「あ、はい、その歌は‥‥‥」
 と政子はしどろもどろだった。
「たしかこうであったな、
 
 山は裂け海は浅せなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも
 
 この歌の通り実朝は私に忠誠を尽くしてくれる、これほどの熱い友愛の情を私に寄せてくれているのに、どうして私から実朝を裏切るようなことができましょうか」
 とぴしゃりと言って、それでは馬場に出かけねばならぬのでごめん、と会見の場からあっという間に立ち去っていった。その背におれは政子が嫌いなのだ、幕府が嫌いなのだと書かれているようだった。

 さすがに上皇は政子を冷たくあしらったことに後悔したのか、彼女が鎌倉に戻る前日に、一献の席をもうけたのでと牛車を差し向けてきたが、あまりの屈辱のあしらいにはらわたが煮えたぎっていた政子は、その申し出を蹴とばして京を後にしたのだ。
 そんな出来事があったから実朝の歌集など見るのもいやだったのである。しかしこの日、忠信を送り出すと政子はこの歌集を手にした。庵でその歌集を流し読みしていたとき、雁をよんだ歌の辺りにくると、胸がつぶれるばかりの感動に襲われた。
 
 天の原ふりさけ見れば真澄鏡きよき月夜に雁鳴きわたる
 むばたまの夜は更けぬらし雁がねの間ゆる空に月傾きぬ
 鳴きわたる雁の羽風に雲消えて夜深き空に澄める月影
 
 政子のなかにまず湧き立ってきたのは大姫だった。大姫は雁をみるたびに涙を浮かべ、わたくしはあの雁になって義高さまのもとに飛んでいきたいと泣き崩れた。義高とは引き裂かれた恋の相手だった。死の床についた大姫は政子に言った。お母さま、わたくしは雁になって義高さまのもとに飛んでいきますと。わずか二十二の生命だった。
 
 九重の雲居をわけてひさかたの月の都に雁ぞ鳴くなる
 天の戸をあけがたの空に鳴く雁の翼の露にやどる月影
 わたのはら八重の潮路に飛ぶ雁の翼の波に秋風ぞ吹く
 秋風にやま飛びこゆる初雁のつばさに分くる峰の白雲
 
 頼朝もまたしばしば空を渡る雁に見ほれていた。伊豆の僻村に押し込められていたあの失意の時代に、狭い家屋の縁で隊列をつくって彼方に去っていく雁を消え去るまで見送っていた日々があったのだ。そのとき頼朝は政子の手を握っていた。やがて子供が生まれた。大姫が、頼家が、実朝が、乙姫が。その幼い子供たちとならんで雁を見上げた。なんと多くの雁を見送ったのだろうか。そんな日々があったのだ。ああ、私の家族は雁の一家だったのだ。その家族もいまや二人だけになってしまった。
 
 あしびきのやま飛びこゆる秋の雁幾重の霧をしのぎ来ぬらむ
 雁がねは友まどはせりしがらきや真木の杣山霧立たるらし
 夕されば稲葉のなびく秋風に空ととぶ雁の声もかなしや
 
 なんと多くの雁の歌。なんという多様な旋律と色彩。実朝とはこのような豊穣な言葉を紡ぐ人だったのか。しかしこの鎌倉ではだれ一人してこの歌集に触れた者はなかった。だれ一人としてこれらの歌を口にした者もいなかった。ということはこの鎌倉にはだれ一人として実朝の心に触れた人間はいなかったということになるのか。

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