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青年よ、飯舘村めざせ!

飯舘村を地球の中心にしていくプロジェクト

美しき日本の大地をわれらの世代が汚してしまった。飯舘村もまた死の灰で汚されてしまった。村民は二年で帰還できると村外に避難していった。しかし避難生活は二年どころではなかった。三年、四年、五年と人々を苦しめるばかりの星霜が流れ、六年目にやっと避難指示が解除され村民はわが村に帰還できるようになった。
しかし今日まで村に帰還した人は村民の二割にも及ばない。しかも帰還した人々は高齢者ばかりで、限界集落どころではない。これでは村は機能しない。なぜ八割をこえる村民が帰還しないのか、なぜ若者たちの帰還が絶無なのか。それはこの村を襲った悲劇があまりにも深く、とうてい村民だけで担えるような悲劇ではないのだ。
なぜ汚された地に住む人々だけが、この巨大な悲劇を担わなければならないのか。なぜ汚された地に住む人々だけが、生木を裂かれるような人生を歩まなければならないのか。われらの世代が美しい大地を汚したのだ。この悲劇はわれらすべての日本人が背負わなければならないのではないか。

若い、新生の村長が誕生した。青年よ、飯舘村をめざせ!

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美しき村は再び破壊された

飯舘村に入ると異様な光景が視界に飛び込んでくる。田畑の一角に防水シートをかけられた小山がいくつも連なる。その緑色の防水シートの下には、田畑を削り取った放射性物質をたっぷりと含んでいる土砂を詰め込んだ黒い袋が積み上げられているのだ。一トンもの土砂や草木を詰め込むその巨大な袋が、なんと250万袋積み上げられていると環境庁は告白した。250万袋である! 息を飲むばかりの天文学的量である。村中のいたるところで散見するこの緑色の防水シート(国の説明によると遮光シートと遮水シートというらしい)をかけられた異様な小山が、美しかった田園風景を無残に汚している。

これで飯舘村の除染は完了した、もう安全な村になった、再び農業や酪農ができる村になったと帰還禁止区域が解除された。全村民避難が発令されてから六年後だった。それから二年の月日がたったが、       
村に帰還した村民は二割にも満たない。目を上げればフレコンバッグの山である。車を一分も走らせればまた次のフレコンバッグの山に出会う。村中のいたるところに積み上げられている。人々が生活するなかに、人々が呼吸する大気のなかに、人々が再起せんとするなかに、人々の希望のなかに、悪魔のフレコンバッグが積み上げられているのだ。飯舘村の八割の人々が帰還しない、あるいは帰還できないことは当然のことだった。

いったいこの除染作業とはなんなのだ。たとえていうならば、がん細胞が全身に転移している、そのがん細胞を削り取って、その削り取ったがん細胞を体内に仮置き場として積み上げたという作業ではないか。これで安全な村になったというのか。こんな環境で生活ができるのというのか。これで農業や酪農が再開できるというのか。巨額の予算を投じて大規模に行われた除染作業とは、飯舘村を再び破壊したことではなかったのか。もっといえばこの除染作業とは国家が行った犯罪ではないのか。

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Web Magazine 「草の葉」創刊号の目次
創刊の言葉
ホイットマンはこの地上が最初に生んだ地球人だった
少数派の輝く現在(いま)を  小宮山量平
やがて現れる日本の大きな物語
ブナをめぐる時 意志  星寛治
日本最大の編集者がここにいた
どこにでもいる少年岳のできあがり  山崎範子
13坪の本屋の奇跡
シェイクスピア・アンド・カンパニー書店 
サン・ミシュル広場の良いカフェ アーネスト・ヘミングウェイ
シェイクスピア書店  アーネスト・ヘミングウェイ
ジル・サンダーとは何者か
青年よ、飯舘村をめざせ
飯舘村に新しい村長が誕生した
われらの友は村長選立候補から撤退した
私たちは後世に何を残すべきか 上編  内村鑑三
私たちは後世に何を残すべきか 下編  内村鑑三
チャタレイ裁判の記録 記念碑的勝利の書は絶版にされた
チャタレイ裁判の記録 「チャタレイ夫人の恋人」
日本の英語教育を根底から転換させよう
草の葉メソッドに取り組むためのガイド
草の葉メソッドの入門編のテキスト
草の葉メソッドの初級編のテキスト
草の葉メソッドの中級編のテキスト
草の葉メソッドの上級編のテキスト

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