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毅然として立っていた火の見櫓

玉城村の中心地には火の見櫓が立っていた。しかしその火の見櫓はいまはない。襲い掛かった高さ三十メートルを超える津波が奪い去ったのだ。跡形もなく消え去った火の見櫓の台座に立っているのは、幸子さんの息子、健太さんである。彼の手にはエレキギターが握られているが、そのギターの底が敗北を告げるかのように地に着地している。彼もまた壊滅した村を呆然と眺めている。この絵にも長文のタイトルが必要だった。
 
《道路が陥没して行き止まりだった。おれはそこで車を捨てて、徒歩で玉城村を目指した。いくつもの峠をこえて玉城村に入ったときは夜があけていた。村がなくなっていた。何もかも一切が壊滅していた。その光景にただ茫然と立ち尽くすばかりだった。おれのすべてが打ち砕かれたように思えた。
おれの親父は鉄工所を経営する鉄骨屋だった。火の見櫓が立っている、いや、立っていた。おれの親父の親父が建てたのだ。四足の鉄骨が優雅な曲線を描いて空に向かって伸びている。

その四足をがっしりと鉄の梁が補強する。細部にまで細工を施した鉄の芸術だった。この村に生まれた子供たちはこの火の見櫓の下で成長していった。いつもたくましくあれと、いつも美しくあれと、いつも揺るぎなくそこに立っていろ、と。大地震にもびくともせずに立っていた。しかし大地震は海を怪物にさせる。消防団長だったおれの親父は火の見櫓に駆け登り、半鐘を叩き続けた。みんな逃げろ、逃げるんだ、早く、早く、裏山に逃げるんだ!

おれは四代目の鉄骨屋になるはずだった。親父はそう望んだ。しかしもうそのときおれはロック野郎になっていた。高校も中途半端なまま村を去っていった。しかしおれのなかにいつも火の見櫓が立っていた。おれはロックで世界に村に立つ火の見櫓を打ち立てようとしていたのだ。いつも美しくあれ、くじけるな、そこに毅然として立っていろと。おれのつくりだすロックはいつだってそういう歌だった。その火の見櫓が消え去った。これからおれはなにを支えに、何を目指して生きていけばいいのか、おれの内部はいま空っぽになってしまった》


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