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平等主義の代表者 W・ホイットマン 夏目漱石

「ホイットマン」の詩に関しては世評一ならず、あるいは詩体の一生面を開いて前人の旧路を踏襲せざるをもってこれ韻文にあらずと誇る者あり、あるいは肉体の快楽を叙して顧ず時に、卑猥に陥り風教を害するの恐れあるをもって痛く之を排撃し、百方之を傷けんとするものあり。されども英詩法に拘泥せざる所、劣情を写して平気なる所が即ち「ホイットマン」の「ホイットマン」たり、共和国の詩人たり、平等主義を代表する所なるべし。

 元来共和国の人民に何がもっとも必要なる資格なりやと、問わば独立の精神に外ならずと答ふるが適当なるべし。独立の精神なきときは、平等の、自由の、と喧ぎ立つるも、畢竟机上の空論に流れて、之を政治上に運用せん事覚束なく、之を社会上に融通せん事益難からん。人は如何に云ふとも勝手次第。我には吾が信ずる所あれば、他人の御世話は一切断はるなり。天上天下我を束縛する者は、只一の良心あるのみと澄まし切って、険悪なる世波の中を潜り抜け、跳ね廻る。これ共和国民の気風なるべし。

 その共和国に生れたる「ホイットマン」が己れの言ひたき事を己れの書きたき体験に叙述したるは、アメリカ人に恥ぢざる独立の気象を示したるものにして、天晴れ一個の快男児とも偉丈夫とも称してよかるべし。けだし「ホイットマン」あって始めてアメリカを代表し、アメリカあって始めて「ホイットマン」を産す。蘭は幽谷に生じ、剣は烈士に帰し、鬼は鉄棒を振り回すが古来よりの約束ならば「ホイットマン」の合衆国に出でたるもまた前世の約束なるべし。

 さらば「ホイットマン」の平等主義は、如何にして英詩中に出現するかといふに、第一彼の詩は時間的に平等なり、次に空間的に平等なり。人間を視ること平等に、山河禽獣を遇すること平等なり。平等の二字全巻を掩ふて遺す所なし。時間的に平等なりとは、古人において崇拝する所なく、又無上に前代をありがたがる癖なきを言う。その言にいわく。古人も人間なり、我も人間なり。余は古人に就いて学べり、その功績を認識するにおいては、あえて人に後れざるを期する者なり。

 空間的に平等なりとは、場所に因って好悪を異にすることなく、アメリカの砂漠も倫敦の繁華も、皆同等の権利を有して英詩中に出現し来るを言う。勿論「ホイットマン」はしきりに自国を称揚し、合衆共和国の文字常にその唇頭を離れざるが如くなれども、こは頑陋(がんろう)なる文、盲漢の無暗に己れに誇って、非を顧ざる執勘心と同一視すべきにあらず。

 「ホイットマン」が愛の字を用ひたりとてあながち怪しむに足らねどmanly love of comrades という斬新なる言を使ひたるは、詩人あってより以来始めてなるべくただこの一新熟語を敷衍すれば、カラマスの全篇を掩ふに足り、しかしてカラマスを敷衍すれば、又全集掩ふに足る位なる故、この一語中々軽卒に看過すべからず。もともとカラマスとはアメリカに産する草の名なるが、「ホイットマン」はこれを取って友愛の徽章となし、愛に関する数十首を収めて篇となし、冠らすにこの草名をもってしたるなり。この篇を通観するときは、まことに作者の愛情の純潔にして寸毫も脂粉の熊なく、実にmanlyの名に背かざるを見る。けだし「ホイットマン」は社会的の人物なり(俗物の謂にあらず)。自ら社会の一分子となり天下の公衆を助け、又天下の公衆に助けられん事を願う者なり。故にそのもっとも意を傾くる所の者は、山水花鳥にあらず、紅燈緑酒にあらず、キリギリスの音十五夜の月にあらずして、失張り己れと同類の人間にあり。(一八九二年十月「哲学雑誌」)

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特集 ウォルト・ホイットマン
平等主義の代表者ウォルト・ホイットマン 夏目漱石
ワルト・ホイットマンの一断面 有島武郎
ホイットマン詩集 白鳥省吾
ホイットマンの人と作品 長沼重隆
ヴィジョンを生きる 酒井雅之
ウォルト・ホイットマン 亀井俊介
ホイットマンとドストエフスキー ヘンリー・ミラー

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