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竹細工職人 梅沢貞夫さんが私たちに残していったもの  池谷啓

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竹細工職人の梅沢貞夫さん(85歳)が訪ねてくれた。春野町の川上集落のさらに奥、その名も外山(はずれやま)という山中に暮らしておられる。そこは、高齢者ばかりの5世帯の集落である。
安価なブラスチック製品に押されて、生活雑器の竹細工をつくる人は、今ではほとんどいない。おそらく浜松では梅沢さんだけではなかろうか。

きっかけは10歳のときの大けが
竹細工を始めたきっかけは、10歳のときに大ケガを負ったことにある。近所の山の崖から転落したのだ。たいへんな山奥で医者もいない。片道2時間以上もかけて、自転車に乗せられて川根町の病院へ。しかし麻酔もない。そのまま片足を切断した。
梅沢少年は、不自由な体になって、どうやって暮らしていこうかと考えた。家の中でできる仕事をするしかない。いったいどんなことができるだろうか。
「竹細工はどうだろうか。これなら自分にもできそうだ」と考えた。しかし、教えてくれる人はいない。たとえいたとしても、こんな山奥から、不自由な体で通えるはずもない。そこで、梅沢さんは、竹細工の製品を取り寄せて、三日三晩、徹底して観察した。そして、たったひとりの独学で竹細工を始めたのだった。以来75年になる。
つくる竹細工は、竹箕、お茶籠、背負い籠など数十種類。とにかく仕上げが丁寧。とっても堅牢なつくりだ。使い込むほど風合いと味わいが増す。

完全無農薬・有機肥料でお茶も栽培
杖を片手に完全無農薬・有機肥料でお茶も栽培している。「自然茶工場」という看板を掲げた自前のお茶工場もある。
竹細工やお茶の栽培を学びたい人がいたら、丁寧に教えてくださる。いま通ってくる生徒は、三人いる。ちゃんとお茶を引き継いてくれる人がいたら、工場から茶畑から、みんな譲ってもいいと言われた。
遠州北部の山里には、鍛冶屋、和紙職人、機織など、手仕事の達人がまだまだおられる。時々、紹介していきたい。
浜松北部地区担当 生きがい特派員 池谷 啓

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たけざわさん


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