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音楽の道徳的力

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 それから数年たったある日、平沼は彼の魂を一撃するような文章に出会うのだ。それはブルーノ・ワルターという名高き指揮者が、ある場所でスピーチし「音楽の道徳的力について」と題された一文だった。武蔵刑務所には、平看守たちで作られている「矯正を考える会」という会があり、その会の機関誌といったものが途切れることなく発行されていたが、平沼はその機関誌に版元の許諾をとって、その全文を載せたのだ。それは次のような文章だった。

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《ある日のことサンフランシスコで、一人の中年の人が私のところに訪れてきて、次のような経験談を話してくれました。彼は音楽家であって、ずっと以前から囚人の生活に関心を持っていたが、彼らの運命、精神状態、将来の可能性について熟考した末に、音楽によって彼らを感化善導することを思いつきました。彼はある刑務所の所長の賛同を得ることに成功し、その刑務所の囚人たちに多声合唱の指導をはじめました。

 彼の語るところによれば、彼が何年も継続した努力の結果は目覚しいものだったそうであります。囚人たちの態度は根本的に変わってしまいました。合唱指導のあいだ、彼らの顔に喜びや幸福の表情がありありと現れてきたというだけではなく、平素でも、これらの頑な気難しい人々の刑務所職員に対する態度やお互い同士に対する態度は、目に見えて驚くほど柔和になったのです。彼らのうちの誰か一人が過ちをしでかしたときには、彼をおとなしくさせるにはそれまで行われていた通常の処罰を加えるかわりに、次の合唱に参加させないと脅しつけるだけで、たいていの場合充分でした。そして、この訪問者の知っている限りでは、このような試みがはじめられて以来──彼がこの職を退いてからももうかなりの歳月が経過しているようですが──出獄した者でふたたび悪の道に転落したものは皆無だということでした。

 私の記憶に誤りがなければ、たしかこの人は刑務所の方針が変わったために活動を停止したのだったと思います。そして、私をして彼の着想に関心をいだかせ、彼の復職とこの教化方法の普及のために有力者に対して口添えしてくれるように依頼する目的で私を訪れたのでした。まことに残念なことに、その方面に対する私の骨折りは悦ばしい結果を納めずにしまいました。しかし、刑務所での経験を話してくれたこの慈善家の方法は、完全に正しいものであったと信じます。

 犯罪者というものは反社会的な、あるいは少なくとも非社会的な存在とみなされるべきものであります。彼にとって社会は厭わしいもの、もしくはどうでもいいものなのです。だから彼は術策を用いるか暴力を用いるかして、社会から自己の望むものを奪いとろうとするのであって、しかもこれが彼の社会に対する唯一の関係なのです。彼はいわばひとりぽっちでこの世にいるのであります。そして堅い自我の殻のなかにとじこもり、恐るべき孤独の中に生きているのです。

  死の責め苦にあう場合以外には、善意のこもった言葉も、忠告も、この自己閉鎖の頑固な鎧を貫いて、囚人の粗暴な、あるいは鈍重な犯行に打ち勝ちうる機会はなかったと、私に確言する人もありました。言葉がよくしなかったことを音楽は見事に成し遂げたのであります。

 囚人たちは多声合唱をする。彼らの共同の努力から生まれた和音が響き、それが次々に発展してゆく。一つのグループがBを、他のグループがDを、さらに他のグループがFを歌う、そして、彼らは歌い続けてまた別の和音を生み出します。これらの孤独者たちは和音によって手をつなぎあい、お互いに共同して何かこころよいものを作り出すところの一つの社会になったのです。彼らはいわば「社会化」されて、まったく自然なやり方で、共同することの美しさを感じたのであります。その結果、一種の気持ちの暖かさ、感情の高揚、新しき人生への更正が生じたのに何の不思議もありません。》

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 そのときの武蔵刑務所には、西田健人という所長が赴任していた。平沼はこの所長から呼び出された。そのときちょうどこのワルターの文章を載せた会報誌を会員に配布したときだから、この会報誌についてなにか指弾を受けるのかと思い、平沼はちょっと緊張して所長室に入っていったものだ。「矯正を考える会」は上部組織につねに監視されていて、会報誌などを発行すると全文がチェックされている。しかしこのとき西田は思いもよらぬことを話し出した。自分もまたクラシックをよく聴いている。ときどき娘に買ってやったピアノを自分でも弾くことがあるほどの愛好家だ。だからワルターのいっていることがよくわかる。まことに音楽は人間を変える力を持っているものだと切り出して、平沼がその会報誌に書いた一文を取り上げて、自分はその提案に大賛成だといったのだ。

 平沼は会報誌のあとがきに、ワルターの文章は娘が通っていた中学校で行われていた合唱コンクールのことを思い起こさせたと書き、そのコンクールがどんなに素晴らしいものだったか、生徒たちがどんなに真剣にそのコンクールに立ち向かっていったかをちょっと熱くなって書き進め、そしてわが刑務所でもこのような合唱コンクールができないものだろうかと書いたのだ。西田が、平沼さんの提案に大賛成だといったのはそのことだった。所長はさらにその大賛成だといったその背後にある決断を平沼に伝えるのだ。「矯正を考える会」のみなさんが先頭に立って、この武蔵刑務所に合唱コンクールを誕生させてもらいたい。私も力の限り応援する、と。

 今日の刑務行政に矯正思想が流れこんできているが、しかしいまでも圧倒的に刑務所の存在を支えているのは監獄法の思想だった。刑務所とは処罰の場であり、刑罰の場である。明治時代から今日まで刑務行政の根幹をなしてきた監獄法は、人権思想や矯正思想がなだれ込んできてもいささかも揺るがない。犯罪者たちをコンクリートと鉄で成り立つ世界に閉じ込め、徹底的に自由と人格を奪って処罰していく。処罰の生活を遵守させ、処罰の労働をさせる。その世界を完璧に機能させていくために、看守たちもまた徹底的に鉄とコンクリートにならなければならない。

「矯正を考える会」はいってみればそんな思想に抵抗するための活動だった。看守は鉄でもなければコンクリートでもないのである。看守たちは生きた人間であり、鉄の格子やコンクリートの壁になってはならないのだ。それは刑務所を統治する矯正局にとって反逆の思想であり弾圧すべき活動だった。組織末端の看守たちは何も考えなくともよいのだ、監獄法を遵守し、徹底的に鉄とコンクリートになっていればいいのだ。それが看守たちの仕事であるというわけだった。


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