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小さな書店から

世界文学の傑作
「ユリシーズ」がついに出版される
シルヴィア・ビーチ  中山未喜訳


『ユリシーズ』の初版本
 『ユリシーズ』が直ぐにも発行されるかもしれないという噂が立ちました。ペネロピーの挿話に至るすべての校正刷りが今私の手許に届いていました。二月二日のジョイスの誕生日が近づいておりました。私は彼が『ユリシーズ』出版記念のお祝いを、この誕生日にしようと心に決めていることをよく知っていました。

 私はグランディエールと話し合いました。彼は印刷者としては最善を尽しているものの、『ユリシーズ』の発行は今少し待ってもらいたいと言いました。二月二日までに発行準備を整えることは不可能だったのです。私は彼に不可能なことはわかるけど、ジョイスの誕生日に少くとも一冊、『ユリシーズ』を彼の手に渡して彼を喜ばしてもらえないものかどうかを尋ねてみました。

 彼は何も確約しませんでしたが、私はダランディエールをよく知っていました。それで、二月一日に、翌日朝七時にディジョン発の急行列車を出迎えて欲しいという彼からの電報を受け取った時にも私は驚きませんでした。電報によると、車掌が『ユリシーズ』を二冊、私に届けることになっていました。
 ディジョンからの列車がゆっくりと入ってきて停止した時、私は心臓を機関車のように轟かせながらプラットホームに立っておりました。そして、車掌がひとつの包みを抱え、誰かを捜してあたりを見回しながら、もちろん私を捜しながら、列車から降りてくるのを見つけました。その直後には、私はジョイス家の呼び鈴を鳴らし、『ユリシーズ』の初版本第一号を一家に渡しました。一九二二年二月二日のことでした。

 初版本の二冊目はシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店のものでした。私はこれを窓に展示するという過ちを犯してしまいました。このニュースはたちまちモンパルナスやその界隈に広まってしまいました。翌日、書店が開く前から、『ユリシーズ』を指差しながら購読予約者たちが店の前に列を作りました。二冊を除いて、『ユリシーズ』はまだ発行されていないと説明してもなんの役にも立ちませんでした。彼らは窓から私の『ユリシーズ』の本をひったくりかねないように思えました。もし私がこの本をもっと安全な場所にいそいで移さなかったならば、彼らはおそらく本をひったくり、みんなに行き渡るように粉々にして分けてしまったことでしょう。

 ジョイスは、この誕生日の贈物に対する彼の感謝を、一通の短い手紙で表現しています。彼は、「私は今日というこの日を、昨年あなたが私の本のために払われた苦心と心労とに感謝せずに過すことはできません」と綴っています。それから彼は、『ユリシーズ』の発行者に戯れ歌を書き送って、この本の出版を祝っております。その歌というのは次のようなものです。
 
シルヴィアとは何者なのだ
われら作家たちが、ほめたたえるこの女性は
ヤンキーで、若くて、勇気ある女性
ありとあらゆる書物が出版されるように
彼女に勇気をあたえよ
 
彼女は金持ちではない
いつだってその経営は火の車
しかし地平を切り拓く勇気がある
作家たちはその勇気に群がり
どこからも出版されない「ユリシーズ」もそうだった
しかし彼女はこの危険な書に立ち向かった
かくて、出版
『ユリシーズ』を求めて購読予約
されど、予約はしてみたものの、手に入らない
この書は禁断の書なのだ
 
その書を発行する
シェイクスピア・アンド・カンパニイ
シルヴィアのために、われら歌おうではないか
シルヴィアの勇気を讃えて
 
  ついに、『ユリシーズ』は、ギリシャの紺碧のジャケットに包まれ、タイトルと著者名が白い文字で装幀されて出版されました。732ページにおよぶ本は「削除なしの完全無欠」な姿で現われました。もっとも、一頁につき平均一か所から六か所までの誤植がありました。発行者はこれをお詫びし、誤字訂正の小さな頁を挿入しました。

 「ユリシーズ」は、ジョイスの国アイルランドでもイギリスでも発行発売禁止です。ですからすばやく確実に、アイルランドやイギリスの購読予約者に発送しなければなりませんでした。幸い両国の政府当局に気づかれる前に、イギリスとアイルランドの購読予約者には送り届けることができました。しかしアメリカでは、「ユリシーズ」はニューヨーク港で没収されているという通報をうけて、私はその後の発送の船積みを中止したのでした。



 
 

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