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あのときの王子くん  from6to10   

あのときの王子くん
LE PETIT PRINCE
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupery
大久保ゆう訳
 


レオン・ウェルトに
  子どものみなさん、ゆるしてください。ぼくはこの本をひとりのおとなのひとにささげます。でもちゃんとしたわけがあるのです。そのおとなのひとは、ぼくのせかいでいちばんの友だちなんです。それにそのひとはなんでもわかるひとで、子どもの本もわかります。しかも、そのひとはいまフランスにいて、さむいなか、おなかをへらしてくるしんでいます。心のささえがいるのです。まだいいわけがほしいのなら、このひともまえは子どもだったので、ぼくはその子どもにこの本をささげることにします。おとなはだれでも、もとは子どもですよね。(みんな、そのことをわすれますけど。)じゃあ、ささげるひとをこう書きなおしましょう。
かわいい少年だったころのレオン・ウェルトに



 ねえ、王子くん。こんなふうに、ちょっとずつわかってきたんだ。きみがさみしく、ささやかに生きてきたって。ずっときみには、おだやかな夕ぐれしか、いやされるものがなかった。このことをはじめて知ったのは、4日めのあさ、そのとき、きみはぼくにいった。
「夕ぐれが大すきなんだ。夕ぐれを見にいこう……」
「でも、またなきゃ……」
「なにをまつの?」
「夕ぐれをまつんだよ。」
 とてもびっくりしてから、きみはじぶんをわらったのかな。こういったよね。
「てっきりまだ、ぼくんちだとおもってた!」
 なるほど。ごぞんじのとおり、アメリカでまひるのときは、フランスでは夕ぐれ。だからあっというまにフランスへいけたら、夕ぐれが見られるってことになる。でもあいにく、フランスはめちゃくちゃとおい。だけど、きみの星では、てくてくとイスをもってあるけば、それでいい。そうやってきみは、いつでも見たいときに、くれゆくお日さまを見ていたんだ。
「1日に、44回も夕ぐれを見たことがあるよ!」
 といったすこしあとに、きみはこうつけくわえた。
「そうなんだ……ひとはすっごくせつなくなると、夕ぐれがこいしくなるんだ……」
「その44回ながめた日は、じゃあすっごくせつなかったの?」
 だけどこの王子くんは、へんじをなさらなかった。



 5日め、またヒツジのおかげで、この王子くんにまつわるなぞが、ひとつあきらかになった。その子は、なんのまえおきもなく、いきなりきいてきたんだ。ずっとひとりで、うーんとなやんでいたことが、とけたみたいに。
「ヒツジがちいさな木を食べるんなら、花も食べるのかな?」
「ヒツジは目に入ったものみんな食べるよ。」
「花にトゲがあっても?」
「ああ。花にトゲがあっても。」
「じゃあ、トゲはなんのためにあるの?」
 わからなかった。そのときぼくは、エンジンのかたくしまったネジを外そうと、もう手いっぱいだった。しかも気が気でなかった。どうも、てひどくやられたらしいということがわかってきたし、さいあく、のみ水がなくなることもあるって、ほんとにおもえてきたからだ。
「トゲはなんのためにあるの?」
 この王子くん、しつもんをいちどはじめたら、ぜったいおやめにならない。ぼくは、ネジでいらいらしていたから、いいかげんにへんじをした。
「トゲなんて、なんのやくにも立たないよ、たんに花がいじわるしたいんだろ!」
「えっ!」
 すると、だんまりしてから、その子はうらめしそうにつっかかってきた。
「ウソだ! 花はかよわくて、むじゃきなんだ! どうにかして、ほっとしたいだけなんだ! トゲがあるから、あぶないんだぞって、おもいたいだけなんだ……」
 ぼくは、なにもいわなかった。かたわらで、こうかんがえていた。「このネジがてこでもうごかないんなら、いっそ、かなづちでふっとばしてやる。」でも、この王子くんは、またぼくのかんがえをじゃまなさった。
「きみは、ほんとにきみは花が……」
「やめろ! やめてくれ! 知るもんか! いいかげんにいっただけだ。ぼくには、ちゃんとやらなきゃいけないことがあるんだよ!」
 その子は、ぼくをぽかんと見た。
「ちゃんとやらなきゃ」
 その子はぼくを見つめた。エンジンに手をかけ、指はふるいグリスで黒くよごれて、ぶかっこうなおきものの上にかがんでいる、そんなぼくのことを。
「おとなのひとみたいな、しゃべりかた!」
 ぼくはちょっとはずかしくなった。でも、ようしゃなくことばがつづく。
「きみはとりちがえてる……みんないっしょくたにしてる!」
 その子は、ほんきでおこっていた。こがね色のかみの毛が、風になびいていた。
「まっ赤なおじさんのいる星があったんだけど、そのひとは花のにおいもかがないし、星もながめない。ひとをすきになったこともなくて、たし算のほかはなんにもしたことがないんだ。1にちじゅう、きみみたいに、くりかえすんだ。『わたしは、ちゃんとしたにんげんだ! ちゃんとしたにんげんなんだ!』それで、はなをたかくする。でもそんなの、にんげんじゃない、そんなの、キノコだ!」
「な、なに?」
「キノコ!」
 この王子くん、すっかりごりっぷくだ。
「100まん年まえから、花はトゲをもってる。100まん年まえから、ヒツジはそんな花でも食べてしまう。だったらどうして、それをちゃんとわかろうとしちゃいけないわけ? なんで、ものすごくがんばってまで、そのなんのやくにも立たないトゲを、じぶんのものにしたのかって。ヒツジと花のけんかは、だいじじゃないの? ふとった赤いおじさんのたし算のほうがちゃんとしてて、だいじだっていうの? たったひとつしかない花、ぼくの星のほかにはどこにもない、ぼくだけの花が、ぼくにはあって、それに、ちいさなヒツジが1ぴきいるだけで、花を食べつくしちゃうこともあるって、しかも、じぶんのしてることもわからずに、あさ、ふっとやっちゃうことがあるってわかってたとしても、それでもそれが、だいじじゃないっていうの?」
 その子はまっ赤になって、しゃべりつづける。

「だれかが、200まんの星のなかにもふたつとない、どれかいちりんの花をすきになったんなら、そのひとはきっと、星空をながめるだけでしあわせになれる。『あのどこかに、ぼくの花がある……』っておもえるから。でも、もしこのヒツジが、あの花を食べたら、そのひとにとっては、まるで、星ぜんぶが、いきなりなくなったみたいなんだ! だから、それはだいじじゃないっていうの、ねえ!」
 その子は、もうなにもいえなかった。いきなり、わあっとなきだした。夜がおちて、ぼくはどうぐを手ばなした。なんだか、どうでもよくなった。エンジンのことも、ネジのことも、のどのかわきも、死ぬことさえも。ひとつの星、ひとつのわくせい、ぼくのいばしょ――このちきゅうの上に、ひとりの気ままな王子くんが、いじらしく立っている。ぼくはその子をだきしめ、ゆっくりとあやした。その子にいった。「きみのすきな花は、なにもあぶなくなんかない……ヒツジにくちわをかいてあげる、きみのヒツジに……花をまもるものもかいてあげる……あと……」どういっていいのか、ぼくにはよくわからなかった。じぶんは、なんてぶきようなんだろうとおもった。どうやったら、この子と心がかようのか、ぼくにはわからない……すごくふしぎなところだ、なみだのくにって。



 ほどなくして、その花のことがどんどんわかっていった。それまでも、王子くんの星には、とてもつつましい花があった。花びらがひとまわりするだけの、ちっともばしょをとらない花だ。あさ、気がつくと草のなかから生えていて、夜にはなくなっている。でも、あの子のいった花はそれじゃなくて、ある日、どこからかタネがはこばれてきて、めを出したんだ。王子くんはまぢかで、そのちいさなめを見つめた。いままで見てきた花のめとは、ぜんぜんちがっていた。またべつのバオバブかもしれなかった。でも、くきはすぐのびるのをやめて、花になるじゅんびをはじめた。王子くんは、大きなつぼみがつくのを目のあたりにして、花がひらくときはどんなにすごいんだろうと、わくわくした。けれど、その花はみどり色のへやに入ったまま、なかなかおめかしをやめなかった。どんな色がいいか、じっくりとえらび、ちまちまとふくをきて、花びらをひとつひとつととのえていく。ひなげしみたいに、しわくちゃのまま出たくなかった。きらきらとかがやくくらい、きれいになるまで、花をひらきたくなかった。そうなんだ、その花はとってもおしゃれさんなんだ! だから、かくれたまま、なん日もなん日も、みじたくをつづけた。ようやく、あるあさ、ちょうどお日さまがのぼるころ、ぱっと花がひらいた。
 あまりに気をくばりすぎたからか、その花はあくびをした。
「ふわあ。目がさめたばかりなの……ごめんなさいね……まだ、かみがくしゃくしゃ……」
 そのとき、王子くんの口から、おもわずことばがついてでた。
「き、きれいだ!」


「そうね。」と花はなにげなくいった。「お日さまといっしょにさいたもの……」
 この花、あまりつつましくもないけど、心がゆさぶられる……と王子くんはおもった。
 そこへすぐ、花のことば。「あさのおしょくじのじかんじゃなくて。このままあたしはほうっておかれるの?」
 王子くんは、もうしわけなくなって、つめたい水のはいったじょうろをとってきて、花に水をやった。


 こんなちょうしで、ちょっとうたぐりぶかく、みえっぱりだったから、その花はすぐに、その子をこまらせるようになった。たとえばある日、花はこの王子くんに、よっつのトゲを見せて、こういった。
「ツメをたてたトラが来たって、へいき。」


「トラなんて、ぼくの星にはいないよ。」と王子くんはいいかえした。「それに、トラは草なんて食べない。」
「あたし、草じゃないんだけど。」と花はなにげなくいった。
「ごめんなさい……」


「トラなんてこわくないの、ただ、風にあたるのは大っきらい。ついたてでもないのかしら?」
『風にあたるのがきらいって……やれやれ、こまった花だ。』と王子くんはおもった。『この花、とってもきむずかしいなあ……』

「夜には、ガラスのおおいをかけてちょうだい。あなたのおうち、すっごくさむい。いごこちわるい。あたしのもといたところは……」
 と、ここで花は話をやめた。花はタネのかたちでやってきた。ほかのところなんて、わかるわけなかった。ついむじゃきにウソをいってしまいそうになったので、はずかしくなったけど、花はえへんえへんとせきをして、王子くんのせいにしようとした。
「ついたては……?」
「とりにいこうとしたら、きみがしゃべったんじゃないか!」
 また花は、わざとらしくえへんとやった。その子におしつけるのは、うしろめたかったけど。
 これだから、王子くんは、まっすぐ花をあいしていたけど、すぐしんじられなくなった。たいしたことのないことばも、ちゃんとうけとめたから、すごくつらくなっていった。
「きいちゃいけなかった。」って、あるとき、その子はぼくにいった。「花はきくものじゃなくて、ながめて、においをかぐものだったんだ。ぼくの花は、ぼくの星を、いいにおいにした。でも、それをたのしめばいいって、わかんなかった。ツメのはなしにしても、ひどくいらいらしたけど、気もちをわかってあげなくちゃいけなかったんだ。」
 まだまだはなしはつづいた。
「そのときは、わかんなかった! ことばよりも、してくれたことを、見なくちゃいけなかった。あの子は、いいにおいをさせて、ぼくをはれやかにしてくれた。ぼくはぜったいに、にげちゃいけなかった! へたなけいさんのうらにも、やさしさがあったのに。あの花は、あまのじゃくなだけなんだ! でもぼくはわかすぎたから、あいすることってなんなのか、わかんなかった。」

 
 
 星から出るのに、その子はわたり鳥をつかったんだとおもう。出る日のあさ、じぶんの星のかたづけをした。火のついた火山のススを、ていねいにはらった。そこにはふたつ火のついた火山があって、あさごはんをあたためるのにちょうどよかった。それと火のきえた火山もひとつあったんだけど、その子がいうには「まんがいち!」のために、その火のきえた火山もおなじようにススをはらった。しっかりススをはらえば、火山の火も、どかんとならずに、ちろちろとながつづきする。どかんといっても、えんとつから火が出たくらいの火なんだけど。もちろん、ぼくらのせかいでは、ぼくらはあんまりちっぽけなので、火山のススはらいなんてできない。だから、ぼくらにとって火山ってのはずいぶんやっかいなことをする。


〈火のついた火山のススを、ていねいにはらった。〉

 それから、この王子くんはちょっとさみしそうに、バオバブのめをひっこぬいた。これがさいご、もうぜったいにかえってこないんだ、って。こういう、まいにちきめてやってたことが、このあさには、ずっとずっといとおしくおもえた。さいごにもういちどだけ、花に水をやって、ガラスのおおいをかぶせようとしたとき、その子はふいになきたくなってきた。
「さよなら。」って、その子は花にいった。
 でも花はなにもかえさなかった。
「さよなら。」って、もういちどいった。
 花はえへんとやったけど、びょうきのせいではなかった。
「あたし、バカね。」と、なんとか花がいった。「ゆるしてね。おしあわせに。」
 つっかかってこなかったので、その子はびっくりした。ガラスのおおいをもったまま、おろおろと、そのばに立ちつくした。どうしておだやかでやさしいのか、わからなかった。
「ううん、すきなの。」と花はいった。「きみがそのことわかんないのは、あたしのせい。どうでもいいか。でも、きみもあたしとおなじで、バカ。おしあわせに。……おおいはそのままにしといて。もう、それだけでいい。」
「でも風が……」
「そんなにひどいびょうきじゃないの……夜、ひんやりした空気にあたれば、よくなるとおもう。あたし、花だから。」
「でも虫は……」
「毛虫の1ぴきや2ひき、がまんしなくちゃ。チョウチョとなかよくなるんだから。すごくきれいなんだってね。そうでもしないと、ここにはだれも来ないし。とおくだしね、きみは。大きな虫でもこわくない。あたしには、ツメがあるから。」
 花は、むじゃきによっつのトゲを見せた。それからこういった。
「そんなぐずぐずしないで、いらいらしちゃう。行くってきめたんなら、ほら!」
 なぜなら、花はじぶんのなきがおを見られなくなかったんだ。花ってよわみを見せたくないものだから……。


10

 その子は、しょうわくせい325、326、327、328、329や330のあたりまでやってきた。知らないこと、やるべきことを見つけに、とりあえずよってみることにした。
 さいしょのところは、王さまのすまいだった。王さまは、まっ赤なおりものとアーミンの白い毛がわをまとって、あっさりながらもでんとしたイスにこしかけていた。
「なんと! けらいだ。」と、王子くんを見るなり王さまは大ごえをあげた。
 王子くんはふしぎにおもった。
「どうして、ぼくのことをそうおもうんだろう、はじめてあったのに!」
 王さまにかかれば、せかいはとてもあっさりしたものになる。だれもかれもみんな、けらい。その子は知らなかったんだ。
「ちこうよれ、よう見たい。」王さまは、やっとだれかに王さまらしくできると、うれしくてたまらなかった。
 王子くんは、どこかにすわろうと、まわりを見た。でも、星は大きな毛がわのすそで、どこもいっぱいだった。その子はしかたなく立ちっぱなし、しかもへとへとだったから、あくびが出た。
「王のまえであくびとは、さほうがなっとらん。」と王さまはいった。「だめであるぞ。」
「がまんなんてできないよ。」と王子くんはめいわくそうにへんじをした。「長たびで、ねてないんだ。」
「ならば、あくびをせよ。ひとのあくびを見るのも、ずいぶんごぶさたであるな、あくびとはこれはそそられる。さあ! またあくびせよ、いうことをきけ。」
「そんなせまられても……むりだよ……」と王子くんは、かおをまっ赤にした。
「むむむ! では……こうだ、あるときはあくびをせよ、またあるときは……」
 王さまはちょっとつまって、ごきげんななめ。
 なぜなら王さまは、なんでもじぶんのおもいどおりにしたくて、そこからはずれるものは、ゆるせなかった。いわゆる〈ぜったいの王さま〉ってやつ。でも根はやさしかったので、ものわかりのいいことしか、いいつけなかった。
 王さまにはこんな口ぐせがある。「いいつけるにしても、しょうぐんに海鳥になれといって、しょうぐんがいうことをきかなかったら、それはしょうぐんのせいではなく、こちらがわるい。」
「すわっていい?」と、王子くんは気まずそうにいった。
「すわるであるぞ。」王さまは毛がわのすそをおごそかにひいて、いいつけた。
 でも、王子くんにはよくわからないことがあった。この星はごくごくちーっちゃい。王さまはいったい、なにをおさめてるんだろうか。
「へいか……すいませんが、しつもんが……」
「しつもんをせよ。」と王さまはあわてていった。
「へいかは、なにをおさめてるんですか?」
「すべてである。」と王さまはあたりまえのようにこたえた。
「すべて?」
 王さまはそっとゆびを出して、じぶんの星と、ほかのわくせいとか星とか、みんなをさした。
「それが、すべて?」と王子くんはいった。
「それがすべてである……」と王さまはこたえた。
 なぜなら〈ぜったいの王さま〉であるだけでなく、〈うちゅうの王さま〉でもあったからだ。
「なら、星はみんな、いうとおりになるの?」
「むろん。」と王さまはいった。「たちまち、いうとおりになる。それをやぶるものは、ゆるさん。」
 あまりにすごい力なので、王子くんはびっくりした。じぶんにもしそれだけの力があれば、44回といわず、72回、いや100回でも、いやいや200回でも、夕ぐれがたった1日のあいだに見られるんじゃないか、しかもイスもうごかさずに! そう、かんがえたとき、ちょっとせつなくなった。そういえば、じぶんのちいさな星をすててきたんだって。だから、おもいきって王さまにおねがいをしてみた。
「夕ぐれが見たいんです……どうかおねがいします……夕ぐれろって、いってください……」
「もし、しょうぐんに花から花へチョウチョみたいにとべ、であるとか、かなしい話を書け、であるとか、海鳥になれ、であるとかいいつけて、しょうぐんが、いわれたことをできなかったとしよう。なら、そいつか、この王か、どちらがまちがってると、そちはおもう?」
「王さまのほうです。」と王子くんはきっぱりいった。
「そのとおり。それぞれには、それぞれのできることをまかせねばならぬ。ものごとがわかって、はじめて力がある。もし、こくみんに海へとびこめといいつけようものなら、国がひっくりかえる。そのようにせよ、といってもいいのは、そもそも、ものごとをわきまえて、いいつけるからである。」
「じゃあ、ぼくの夕ぐれは?」と王子くんはせまった。なぜなら王子くん、いちどきいたことは、ぜったいにわすれない。
「そちの夕ぐれなら、見られるぞ。いいつけよう。だが、まとう。うまくおさめるためにも、いいころあいになるまでは。」
「それはいつ?」と王子くんはたずねる。
「むむむ!」と王さまはいって、ぶあつい〈こよみ〉をしらべた。「むむむ! そうだな……だい……たい……ごご7じ40ぷんくらいである! さすれば、いうとおりになるのがわかるだろう。」
 王子くんはあくびをした。夕ぐれにあえなくて、ざんねんだった。それに、ちょっともううんざりだった。
「ここですることは、もうないから。」と王子くんは王さまにいった。「そろそろ行くよ!」
「行ってはならん。」と王さまはいった。けらいができて、それだけうれしかったんだ。「行ってはならん、そちを、だいじんにしてやるぞ!」
「それで、なにをするの?」
「む……ひとをさばくであるぞ!」
「でも、さばくにしても、ひとがいないよ!」
「それはわからん。まだこの王国をぐるりとまわってみたことがない。年をとったし、大きな馬車(ばしゃ)をおくばしょもない。あるいてまわるのは、くたびれるんでな。」
「ふうん! でもぼくはもう見たよ。」と、王子くんはかがんで、もういちど、ちらっと星のむこうがわを見た。「あっちには、ひとっこひとりいない……」
「なら、じぶんをさばくである。」と王さまはこたえた。「もっとむずかしいぞ。じぶんをさばくほうが、ひとをさばくよりも、はるかにむずかしい。うまくじぶんをさばくことができたなら、それは、しょうしんしょうめい、けんじゃのあかしだ。」
 すると王子くんはいった。「ぼく、どこにいたって、じぶんをさばけます。ここにすむひつようはありません。」
「むむむ! たしか、この星のどこかに、よぼよぼのネズミが1ぴきおる。夜、もの音がするからな。そのよぼよぼのネズミをさばけばよい。ときどき、死けいにするんである。そうすれば、そのいのちは、そちのさばきしだいである。だが、いつもゆるしてやることだ、だいじにせねば。1ぴきしかおらんのだ。」
 また王子くんはへんじをする。「ぼく、死けいにするのきらいだし、もうさっさと行きたいんです。」
「ならん。」と王さまはいう。
 もう、王子くんはいつでも行けたんだけど、年よりの王さまをしょんぼりさせたくなかった。
「もし、へいかが、いうとおりになるのをおのぞみなら、ものわかりのいいことを、いいつけられるはずです。いいつける、ほら、1ぷんいないにしゅっぱつせよ、とか。ぼくには、もう、いいころあいなんだとおもいます……」
 王さまはなにもいわなかった。王子くんはとりあえず、どうしようかとおもったけど、ためいきをついて、ついに星をあとにした……
「そちを、ほかの星へつかわせるぞ!」そのとき、王さまはあわてて、こういった。
 まったくもってえらそうないいかただった。
 おとなのひとって、そうとうかわってるな、と王子くんは心のなかでおもいつつ、たびはつづく。

あのときの王子くんについて  大久保ゆう

3 朗読について
 この翻訳は、翻訳者に許可を得ることなく、自由に朗読することができます。朗読の際、自然に出てくる言い換えなども、してくださってまったく構いません。(つまり、訳者が細かいことをいうことはありません。)
 たとえば、この翻訳では会話文を多く、以下のようにしています。
「○○××」と、△△はいった。「■■◇◇!」
 それを、朗読に必要な範囲内で、このように読み替えてくださっても結構です。
「○○××。■■◇◇!」と、△△はいった。
「○○××。■■◇◇!」(台詞のみで以下を省略する)
 どちらの方がよく読めるかどうか、そのあたりは、朗読者のご配慮や感性におまかせいたします。
 ――と、このような注記をつけるのにも、理由があります。そもそもこの翻訳の企画が、朗読のために始められたからです。
 佐々木健氏は、プロの声優ナレーターであり、また STORYTELLERBOOK(http://storytellerbook.cocolog-nifty.com/blog/)というブログで朗読ポッドキャスティングをやっておられます。あるとき、青空文庫で公開されていた拙訳の『はだかの王さま』を朗読してくださり、それがご縁でメールを交わす仲となりました。
 ちょうどそのとき、私は次に翻訳する作品をどれにしようかと悩んでいて、その候補のなかに "Le Petit Prince" があったのですが、なかなかどれに決めるという踏ん切りがつきませんでした。
 そこへ舞い込んできたのが、佐々木氏のメールです。――『はだかの王さま』や『赤毛連盟』のように、無料で公開されていて自由に読める『星の王子さま』はないでしょうか?――と、そう尋ねられたとき、ここはひとつ、自分でやってみよう、内藤濯氏に挑戦してみよう、と覚悟を決めたのです。
 1953年に出版された内藤濯[訳]は、その訳者本人が何度か言及なさっているように、まさに〈朗読〉のために作られた翻訳でした。内藤氏は「まず声の言葉あっての文字の言葉である」という言語観をもっておられて、〈言葉の呼吸〉や〈いのちある言葉〉を重要視しておられました。『星の王子さま』という作品の〈ねうち〉は「声を通して読む」ことにあるとお考えになっていたようです。実際、あの翻訳は口述で作られていて(健康上の理由もあったようですが)、原文と訳文を比べながら、できるだけリズムに注意していくども推敲されています。詠む対象とひとつになるというのが、内藤さんが文芸作品に挑む際に用いる〈哲学〉であり、その意味では、あの翻訳は内藤さんの身体からダイナミックに吐き出された翻訳だったように思います。
 この『あのときの王子くん』も、佐々木氏という朗読者がそこにいらっしゃる以上、何よりもまず〈読むテクスト〉として、〈語るテクスト〉として織られています。その意味では、内藤氏に挑戦するということになります。この挑戦には、また別の項で語るように、別の意図もあるのですが、果たしてその挑戦がうまくいったかどうか、私に判断することはできません。読者のみなさんのご判断を待つばかりです。


 

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