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お母さん、あなたの息子がただいま帰ってきましたよ

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それは明治二十八年(一八九五年)のことだった。日本英語で書かれた一冊の本がアメリカで出版されたのは。内村鑑三の「余はいかにしてキリスト信徒となれしか」(How I Become a Christian)である。明治十八年(一八八四年)にアメリカに渡った内村は、宗教関係の集まりで、その集会の前座としてたびたびスピーチを求められる。なぜ日本人のあなたがキリスト教徒になったのかを十五分程度で話してくれと。しかしそんなスピーチをするたびに、彼の心に残るのはすべてを語りきれない虚しさと挫折感だったにちがいない。一人の人間の内部に起こる精神のドラマをそんな短時間で語れるわけがない。たとえ長時間が彼に与えられたとしても、彼の英語はまだ自分をよく語るためには成熟していなかった。「日本人のあなたがなぜキリスト教信徒になったのか」という問いは、アメリカとアメリカ人が彼に与えた宿題だったのであろう。日本に帰り七年の月日をかけて果たしたのがこの本だった。

この本を出してくれる出版社探しに苦労するが、ようやくシカゴの小さな出版社が、初版五百部を刷ってアメリカの読書社会に投じるのだ。しかしまったく売れなかった。その本の生命はそれだけのものだったのかと思われたが、十年後にこの本の真価を読み取ったドイツの出版人が、ドイツ語に翻訳されてドイツで出版されるのだ。これが再販また再販で数万部も売れベストセラーになるのだ。その波はヨーロッパ中に広がっていき、スエーデン語、フィンランド語に、デンマーク語に、そしてフランス語訳まで現れる。こうして「余はいかにしてキリスト信徒となれしか」と作者の名は西欧の読書社会に驚異と尊敬とをもって知れ渡っていった。不思議なことにこのことを当時の日本人は知ることはなかった。というのはその本の日本語訳がなかったからだった。日本語訳がようやく日本の読書社会に登場したのが四十年後のことだった。

内村鑑三がどんな英語を書いたのか、悪魔の書にはかなりの長文が引用されているから、ここでもまた最後のくだりを孫引きしてみる。このくだりに「お母さん、ただいまあなたの息子が帰ってきましたよ」というタイトルをつけたいほど美しい英語だ。

I reached my home late in evening. There upon a hill, enclosed by Cryptomeria hedge, stood my paternal cottage. “Mamma,” I cried as I opened the gate, “your son is back again,” Her lean from, with many more marks of toil upon it, how beautiful! The idea beauty that I failed to recognize in the choices of my Delaware friend, I found again in the sacred form of my mother. And my father, the owner of a twelfth part of an acre upon this spacious globe, --he a right hero too, a just and patient man. Here is a spot then which I may call my own, and by which I am chained to this Land and Earth. Here my Home and my Battlefield as well, the soil that shall have my service, my prayers, my life, free.
The day after my arrived at home, I received an invention to the principalship of a Christian college said to have been started by heathens. A singular institution this, unique in the history of the world. Shall I accept it ?
But here this book must close. I have told you I became a Christian. Should my life prove eventful enough, and my readers are not tired of my ways of telling, they shall have another book like this upon “How I Worked a Christian.”

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注釈   本文の英文に二者の日本語訳を載せるのは、それぞれが異なった音色を奏でているからである。原文と二つの日本語訳を、ピアノ、ヴァィオリン、チェロのピアノ三重奏として、あるいはヴァィオリン、ビオラ、チェロの弦楽三重奏にして味読するとき、豊饒なる言葉の音楽がそこに広がっていくはずである。

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余は夜遅く我が家に着いた。丘の上に、杉垣に囲まれて、余の父親の小家屋が立っていた。「お母さん」余は門を開けながら叫んだ、「あなたの息子が帰って来ました」苦労の影を増した彼女の痩せた姿の、いかに美しき! デラウェアの友人の選んだ美人に認め得なかった理想的美を、余は再び余の母の神聖な姿において見出した。そして余の父、この広漠たる地球上に一エーカーの十二分の一の部分の所有者、──彼もまたりっぱな英雄、正しいそして忍耐の人である。ここは、それゆえ、余がそれか余自身のものと呼んでよい、またそれによって余がこの国土と地球とに繋がれる、一地点である。ここは余のホームにしてまた余の戦場でもある。余の奉仕、余の祈り、余の生涯を自由に捧げしめるであろう地である。
余の帰宅の翌日、余は異教徒によって発起されたという一基督教カレッヂの校長の地位への招請を受けた。奇妙な組織なるかな、これは、世界の歴史に独一である。余はそれを受諾すべきであろうか。
しかしここでこの書を閉じなければならない。余は諸君に如何にして余は基督信徒となりし乎を語ってきた。余の生涯が十分に多事なるものとなり、また読者諸君が余の話し方に倦怠したまわないならば、諸君にはこのようなもう一つの書を贈るであろう。題していわく『余は如何にして基督信徒として働きし乎』
(鈴木俊郎訳)

夜おそくわが家に着いた。小高い丘に、杉垣に囲まれて、父の小屋が立っている。「お母さん、息子が帰ってきましたよ」と、わたしは門を開けながら叫んだ。やせた体に、その後の労苦のしのばれる母の姿の、なんと美しいことか! デラウェアの友人が選んだ美人たちの中にも見出しえなかった理想の美を、いま、わが母の神聖な姿の中に、わたしは改めて発見した。それから、この広い地球上で、一エーカーの十二分の一の地主である父は───彼もまた真の英雄であり、正しい忍耐強い人である。それゆえに、ここにわたしがわがものと呼びうる一地点がある。わたしはこの地点によって、この国土と地球とにつながれている。ここがまたわが家庭、わが戦場だ。すなわち、わが奉仕、わが祈り、わが生命を託すべき大地である。
家に着いた翌日、わたしは異教徒によって創設されたという或るキリスト教主義の学校の教頭に就任の交渉を受けた。これは世界の歴史に独特の、奇妙な学校だ。承諾したものだろうか。
しかし本書はここで終わらねばならない。わたしはこの中で、「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」を語った。今後のわが生涯が多事となり、また諸君がわたしの話し方にうんざりされないならば、わたしはもう一冊の本を、次のように題して諸君に贈りたいと思う。「余はキリスト信徒としていかに働きしか」
 (山本泰次郎、内村美代子訳)

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