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七日間のキャンプ

七日間のキャンプ

 冬休みに入ると、樫の木子供団は、草津で二泊三日のソリすべり合宿をおこなった。はじめての合宿生活だったが、その活動もずいぶん盛り上がって、これで完全に子供団の土台がつくられたように思えた。ところが三学期がはじまった最初の活動日に、泰彦と守と徹也が子供団をやめたいと言ってきたのだった。八人になっていた団員の三人がやめるという。なにやらそれは親の命令であり、しかも親同士が話しあっての連携であり、どう説得しても無駄のようだった。弘はがっくりしてしまった。
「まったくいまの母親は、なにを考えているのかという思いだね」
 と弘は長太にふんまんやる方ないという調子で言った。
「母親だけじゃなくて、彼女たちの背後に父親もいるわけでね。それがいまの日本の親の姿なんだろうね」
「そういうものなのかな」
「そういうものだよ」
「受験、受験と言って、さあっと抜けていく。実は受験なんかよりももっと大切なものをやろうとしているのに。すべてに優先していく受験って、いったいなんなんだと思うね」
「親たちにとって受験は絶対のものだよ。疑う余地のないものなんだ」
「例えば、徹也にしたって、守にしたって、特別に勉強ができるわけではないんだ。どうみたって私立に受かるとは思えないんだがね」
「親にその現実がみえてないんだよ。ただ隣の子が受験するからうちの子もというだけなんだ。一種の流行みたいなものに、自分たちもまた関わっていなければ、とり残されるという不安がその根底にあるのだと思うよ」
「中学受験なんていままで一部の子だけのものだったけど、いまはどこの家庭もという状況だからね。そんなに公立中学の質が落ちているのだろうか」
「そんなことはないよ」
「じゃあいったいなんなのだろう」
「例えば、しきりに私立私立と騒いでいる家庭の子が、この受験戦争をのりきってそれなりの大学に入るかというと、実はそうじゃないんだ。大半が専門学校だったり、就職したりしている。そういう道ならば、なにも小学生のときから受験だ受験だとあせる理由なんてなにもないんだ。そういう時点に立ってはじめて、なんて馬鹿げたことに大騒ぎしていたのだろうと気づくんだな。そこまでいかなければわからない」
「いや、そこまでいってもわからないと思うね。受験はさらに加熱していくし、さらに偏差値信仰は広がっている。偏差値のなかで人間が判断されたり評価されたり、その勢いはとどまることをしらないという感じだね」
「だからなんだろうか、日本という国がぐらぐらとおかしくなっているのは。そう思うのは誇大妄想なのかな」
「そうじゃないだろう。奇妙な子供がいっぱい生まれている。それは結局大人の反映、社会の反映なんだからね」
 二人はしきりに嘆き絶望しあうのだった。しかしいくら嘆いたって、いくら絶望したって、弘の虚脱感はいやされることはなかった。
 その次の週から宣言した通りにばったりと三人はこなくなった。その日集まったのは幸治と繁と和夫の三人だけだった。友和はどうしたのと訊くと、どうやら彼らの情報によると友和もまた危ないらしい。
「ぜんぜん面白くねえな」
「子供団、つぶれるかもしれないね。こんなんじゃあ」
「うちのお母さんもさ、遊んでばかりいないで勉強しなさいだって。うるせえんだよなあ。ぶうぶうとさ」
 四人の気持ちはいよいよ沈むのだった。弘はこれではいけないと思い、三人を床に座らせると、
「いいか、みんな、このみじめさというものをちゃんと見つめようよ。やめるやつはやめていけばいいさ。ぐちゃぐちゃ言うのはよそう。人間ってここからだと思うんだ。このどん底からはい上がっていくことが大切だと思うんだ。負けたくないじゃないか。ぼくたちは絶対に負けない。そう思うおうよ」
 と弘は言ったが、それは自分に言っているのだった。
「ここでさ、なにかものすごく面白いことをしよう。いままで女の子がいなかったじゃないか。女の子をいれる活動をはじめていこうよ」
「女を誘うけど、こないんだよな」
「女って、子供団なんて馬鹿にするからね」
「だからそこは作戦をたてるんだよ。まず女の子を呼ぶパーティを開こう。ぜったいにあのパーティにいってみようというような面白いパーティをさ」
 三人は、こねえよとか、ふられるなとか、誘うのは恥ずかしいと言っていたが、幸治が、
「あの怪物たちを呼んでみようか」
「げえっ!」
「くるわけがねえだろう」
「うるせえよ、あついらがきたら」
「あいつらおっかねえよ」
「はんぱじゃねえもんな」
「なんだい、その怪物たちって?」
「三人組、女三人組なの。クラスのボス」
「いいじゃないか、誘ってみたら。だめでもともとじゃないか」
 と弘がけしかけると、
「やってみようぜ。あいつらくるよ」
「くる、くる」
「まじかよ」
「くるよ、ぜったいくるって」
「おれ、怖ええよ」
「やってみようぜ」
「幸治が誘えよな」
「いいよ。おれ」
 三人はしきりにおっかねえを連発するのだが、そのおっかねえという言葉にはなにやら深い意味がこめられているようだった。あこがれだとか、おそれだとか。ひょっとするとその三人組のなかに好きな子がいるような気配でもあった。
 火が消えたようだったその日の活動は、それで一気に燃え上がった。早速その日のうちに招待状がつくられたのだ。

 どどどどどパーティにごしょうたい
 まあいろいろとべんきょうとかあるけど、たまにはぱあっとやりましょう。これはあなただけに送るしょうたいじょうです。おもしろいことがいっぱいあるよ。わくわくするどどどどどどどどどパーティです。みんなきてくれよ。うちゆうのししゃより。ばいばいだよ一ん。

 見事なばかりにひらがなが羅列したそんな招待状がつくられ、みんなにばらまかれた。するともう翌日には反応があって、その怪物三人組がくるというのだ。そういう情報がぱっと子供たちの世界に流れると、あとは芋ずる式にきたいという子がぞくぞくあらわれた。弘も児童館にやってくるこれはと思う子を誘ったりして、なんとその「どどどどどパーティ」に二十三人も集まったのだ。やめていった泰彦も守もやってきた。
 そのパーティは大成功だった。弘が誘った五年生の悟という子と三年生の正という兄弟が正式に入会することになり、ついでに悟の友達である雄二という子も入り、また少しずつ団員の数がふえていった。
 それは三月の終わりだった。明日から春休みだという日に「どどどどどパーティ」にきた怪物三人組が、児童館にやってきたのだ。弘がするどく察知したように、幸治がひそかに思いを寄せている美雪という子が、
「あの、よくわかんないんですけど、子供団ってなんですか」
 と訊いてきた。成績はトップクラスで、しばしば先生の間違いを指摘するという噂を裏づけるようないかにも利発そうな子だった。弘はそんな噂を聞いていたからちょっと警戒して、
「子供団というのは、子供たちの夢と理想をつくりだすところだね」
「夢と理想ですか?」
「そう、一言で言えばそんなところかな」
「よくわかんないんだよね。そんな抽象的なことを言われても」
 と夏子という子が口をはさんできた。
「幸治もそんなこと言ってたけど。よくわかんない」
「幸治もそう言ったわけ?」
「そうです」
 それを聞いて弘はくすりと笑ってしまった。人の話を聞いていないようで、実はちゃんと聞いているのだ。
「それで、そのほかにどんな風に説明していたの」
「ごちゃごちゃした細かい所は、児童館の先生に聞けだって」
「あいつらしいな」
「子供団って男の子だけのものなんですか?」
「いや、違うんだよ。女の子のためのものでもあるんだ」
「じゃあどうして、女の子がいないんですか?」
「それはつくった子が、男の子だけだったからで」
「どうして男の子だけだったんですか」
「そういうことをする女の子がいなかったわけだよ」
「女の子が入れないというか、そういう環境になっていないんじゃないんですか」
 詰問するようにたたみかけてくるので、弘はちょっと言葉につまってしまった。なんだろう、この子たちの目的は。なにが言いたいのだろうか。なにか学校であのパーティが問題になったのだろうかと、弘はさらに疑問を募らせていくのだった。
「夢とか理想というけど、具体的にどんなことをめざしているわけですか?」
 とかおるという女の子が鋭く迫ってきた。
「それは、例えばさ、もっと子供らしい遊びをするとかさ。宿題とか、塾とか、そんなことも大事なんだろうけど、もっとちゃんとした子供の遊びをするってことも大事だと思うんだよ」
「ちゃんとした子供の遊びってなんですか」
「それは、つまり、君たちがやりたいことを自分たちの力でしていくことだよ。例えば、いま幸治たちはキャンプにものすごく燃えているんだ」
「キャンプをする目的ってなんですか」
「それはいろいろとあるな」
「例えば?」
 弘は口うるさい母親たちと話しているような錯覚にとらわれる。
「いろいろとあるよ。キャンプだけでなく、いろいろなところに探検にでかけたり」
「例えば、どんな所ですか?」
「アフリカとか、ソロモン島とか」
 と弘は大きく出てみた。
「ほんとうにそんな所にいけるんですか」
「つまり君たちがいこうと思うなら、それを企画して、しっかりと活動していけば、実現できないことはないよ」
「そんなことってほんとうにできるのかな」
「なにもしなければ、それはできないさ。しかし人間は目的をもって、いろんな障害にぶつかってもくじけないで進んでいけば、どんなに遠いところにある目的でも達成できるんじゃないのかな。ぼくはそう思うけど」
「まあいいか、それは。それと、会費とかですか。いくらですか」
 そしてさらに、会費はどう使われるのかとか、保険に入っているのかとか、怪我をしたときはどうするのだとか、責任はどこでとるのだとか、休むときはどうすればいいのだとか、実に子細なことまで訊いてくるのだ。なんだかいまの母親たちそっくりだと思い、総じて女の子たちの精神年齢は高いものだが、それにしてもこの子たちは、なるほど怪物と呼ばれるだけのことはあるなと思うのだった。
 それにしてもいったいなんのために、こんなことを訊くのだろうか。三人組はいったん弘の部屋を出て、廊下でひそひそと話していたが、もう一度もどってくると、こう言ったのだ。
「あたしたち子供団に入りたいんです」
 夏子、美雪、かおるという三人組の入団によって、樫の木子供団の活動はいっきに活気を帯びていったばかりか、どっしりとした土台のようなものができはじめていた。それまでの男の子たちだけの活動は、なにをするにも杜撰でどこか底が抜けているようなところがあった。しかしその三人組が入ることで、新聞が毎週発行されるようになったし、会議なども論理的になったし、決まったことを実行に移す段階になっても、まるで大人がするようにあたりの状況をきちんととらえながら着実に進行させていくのだった。
 春のキャンプも終わって、その日の会議のテーマは夏に向かっての活動だった。
「二日とか三日のキャンプって、つまらないよね」
「あっという間に終わってしまうからな」
「もっと長いくやりたいな」
「あたしなんか夏休みになると、うるさいから出ていけって言われるんだから」
「おれもそうだよ。うるさくてかなわないから、はやく学校がはじまってくれって」
「邪魔者、扱いなのよ」
「ほんと、ほんと」
「でもさ、長くなればなるほど大変だと思うけど」
「なにが?」
「あんた何聞てんのよ。キャンプの話しをしてるんでしょうが」
「あっ、そうか。キャンプは長いほうがいいと、ぼくは思うけど」
「おれたちにはそれをやっていける力があるよな」
「あるよ。ぜったいにあるよ」
「じゃあ、四日か」
「五日だよ」
「いや、一週間がいいよ」
「そんなに長くできるかな」
「かるいと思うけど」
「かるいかな」
「かるい、かるい」
「そうかな、かるいかな」
 すると夏子が言った。
「期間を長くするって言うけどさ、長さの問題じゃなくて、そこでなにをするかだと思うけど」
「やりたいことはいっぱいあるじゃないか」
「例えば?」
「例えばさ、どこかを探検したりさ」
「木の上に家をつくるとかさ」
「川を下ったり」
 そんな話をかたわらで聞きながら、弘もまた心が大きく興隆していくのだ。この子たちとしっかり取り組めば、七日間のキャンプも夢ではないと思いはじめるのだ。そのためにやることは沢山あった。弘はその一つ一つを彼らにつきつけていった。場所はどこにするのか、装備はどうするのか、どんな活動をするのか、食糧の調達はどうするのか、費用をいくらぐらいにするのか、と。投げ出されるその課題の一つ一つが、子供たちの心に火をつけるのだった。興奮した口調で話し合うその様子は、ほんとうに燃えるようだった。
 毎週の活動が熱気を帯びてきた。定例の活動を休む子がいなくなった。一日でも休むとそのすごい計画から取り残されてしまうのだ。
 団員の数も少しずつふえて、もう十五人近くなっていった。この勢いでは二十人をこえるのは時間の問題のようにみえる。なにもかもがうまく回転しだしたのだ。
 具体的にその活動がはじまった。まず五月の連休を利用して下見にいくことが決定された。いくつかの候補地のなから丹沢の谷太郎川の上流にいくことになり、六年生を中心にしたリーダー八人で二泊のキャンプにでかけることになった。
 しかしそれはすごいキャンプになってしまった。厚い雲がどんよりとたれこめていた天候は、とうとう二目目から崩れて、朝から雨になってしまった。それでもその日のメインの活動の山登りは決行して、全員頂上に立って二時過ぎにはテントを張った場所にもどってきたが、その頃から雨は一段とはげしくなって、まるで嵐が襲いかかったようになった。
 朝のうちこそ、弘はかえって雨でよかったと思った。雨のテント生活こそキャンプ技術を飛躍的に向上させる。雨こそキャンプの最高のテキストなのだ。しかしまるで銃弾のように叩きつけるはげしい雨は、もうそんな思いを吹き飛ばしてしまった。みんなすでに衣類をぐっしょりと濡らしている。着替えも底をついているはずだった。夜になると寒さが一段ときびしくなる。風をひいて肺炎でもおこさないだろうか。こんな激しい雨と風にテントがたえられだろうか。
 弘の不安をさらにかきたてるように、雨と風は激しくなるばかりだった。川はもう真っ茶色になって、ごうごうと逆巻きながら流れていた。ドドドンと雷が落下した。爆撃するような音は、だんだん近づいてきてすさまじい音を谷間に響かせる。
 女の子たちはそのつんざくような爆音がはじけるたびに両手を耳にあててすわりこむ。あたりは真っ暗だった。まだ三時前だというのに、杉の木立の下のテント場は夜のようだった。はやめに夕食をつくらなければならない。さあ、食事づくりだと全員に号令をかけると、子供たちは、
「こんなんでつくれんですか」
「セブンイレブンで買ってくればいいと思うけど」
 と夏子と美雪が言った。あのしっかり三人組はまるでだらしがない。
「馬鹿なこと言うなよ。セブンイレブンなんて山のなかにあるわけがないだろう」
「バス通りまで出れば、お店はありましたよ」
 とかおるも言った。弘はちょっといらいらしながら、
「いいかい、ぼくたちはキャンプにきたんだぞ。どんな状況でもキャンプ生活ができる訓練をしにきたんだろう。セブンイレブンなんてとんでもないよ。この雨のなかでつくるんだよ。つくらなければ夕食抜きになるだけだね」
「まじかよ」
「まじだよ」
「火もないのに、ご飯どうやってたくんですか」
「どうやってたくって、火を起こすわけだよ」
「まじかよ」
 と子供たちはぶつぶつ言いながら、のろのろと立ち上った。そして雨のなか全身ずぶ濡れになりながらそれぞれの仕事にとりかかり、やれやれと思っていると、夏子が駆足でもどってきた。
「ご飯が、たけません」
「どうして?」
「川の水がもう泥水だもん」
「そこは考えろよ。あちこちの崖から水が流れこんでいるじゃないか。そこの水はきれいなんだよ。頭を使えよな」
 いつもは教育ママの離形のようにしっかりしている子なのだ。しかしやっぱり子供なんだなとへんなところで安心するのだった。健康がやってきた。
「寒いよ。寒くて死にそうだよ」
 名前は人をあらわすというが、この子の性格はさっぱり名前らしくなく、いやなことがあるとすぐに頭が痛いとか、気持ちがわるいとか、吐き気がするとかいって逃げてしまうのだ。そんなことがわかっているから、
「体を動かせよ。体をつかっていないから寒いんだよ。幸治たちがいま必死になって火を起こそうとしているじゃないか。あそこを手伝ってみろよ」
「火なんて起きねえよ」
「やってみないでなにが起きないだよ。やってみろよ。なにもしないでぼさっと立っているからだぞ。林のなかに入って、杉の枝をたくさん探して、幸治たちのところにもっていってやれよ」
 幸治と繁はカッパを脱ぎ捨て、激しい雨に全身をうたれながら、火を起こそうと格闘していた。そこに健康をおいやると、今度はのぞみが駆け込んできた。
「手を切っちゃった」
 弘はぎょっとなって、彼女の指を見たが、たいしたことはない。
「大丈夫だよ。こんな傷はバンドエイドを貼っておけば。バンドエイドもってこいよ」
「はあい」
 そんなことをしていると、また夏子がばたばたと走ってきて、
「スリッパ、流されちゃった」
「仕方がないなあ。あきらめて靴をはいてやれよ」
 落着けよ、みんな落着くんだ、と弘は自分に言った。こんな雨ぐらいでばたばたするなよ。しっかりしろよ、自分を失うなよ、と弘はまた自分につぶやくのだった。
 するとテントにバンドエイドをとりにいったのぞみが、たいへん、たいへんと叫びながら戻ってきた。
「なにがたいへんなんだ」
「テントの中が水びたし!」
 飛んでいってみると、なるほどテントのなかに水が流れこんでいて、リュックの底がもう水たまりにつかっている。急いでリュックを他のテントに移動し、そのテントにたまった水を外に逃がしてやっていると、また健康がやってきた。
「寒いよ。寒くて死にそうだよ」
 なんだか弘はこの子供たちをぶっとばしたくなった。東京でみんなで話し合ったとき、ぼくたちはキャンプの技術があるとか、どんな嵐のなかでもキャンプができるとか言っていたが、なんだこのざまはと一人で毒づくのだった。
 そんななかで、弘を励ましてくれたのは幸治と繁だった。二人は木立の下で、泥だらけになって懸命に火を起こそうとしていた。この激しい雨のなかで火を起こすのは大人でも至難のわざだったが、二人はあきらめず挑戦している。弘はもちろんこんなときのために携帯コンロを用意してきていたが、果敢な挑戦しているこの二人をみていると、それを使うことはこの二人への冒涜だと思えるのだった。
 幸治と繁は秋のキャンプのとき、雨が降りしきるなかで火を起こしたことがある。そんな体験がおろおろする子供たちとの差をつくりだしているだが、しかしそんな体験のない子でも、泣言も愚痴もこぼさすに分担された仕事を果たそうとしている子はいるのだった。そんな子をみていると、かえっておろおろおたおたしているのは自分ではないかと弘は思うのだった。
 繁と幸治は顔の半分を泥のなかにつっこんで、ふうふうと息をはきかけたり、鍋の蓋でばたばたと煽りたてるが、煙が上るばかりだった。しかし消え入るばかりだった煙は、次第にもくもくとさかんに立ち上ってきた。そこまできたらもうあとわずかだった。やがてぱあっと火が上がった。暗闇のなかにあかあかと鮮やかな火が浮かび上がった。その火でみんなの顔が明るくなった。やっと快活な笑い声があちこちから聞こえはじめた。
 その夜、雨は一晩中やむことはなかった。どんなところにテントを張ってもなかは水びたしになる。土のなかから水がわきあがってくるのだ。幸治たちのテントが一番ひどくて、寝袋にくるまっている繁も良和も幸治も水たまりのなかで眠りこんでいた。
 それはさんざんなキャンプだったが、チームワークはさらに堅固になり、夏の長期のキャンプをつくりだす自信をつくったのだ。実際、雨のなかのキャンプは子供たちばかりか、弘をも鍛えたのだ。
 愉快なことに、それまで例の女の子三人組の力が断然強くて、男の子たちの影がうすくなりはじめていたが、このキャンプで幸治と繁が女の子たちから一目も二目もおかれるようになった。そして幸治がひそかに思いをよせていた美雪の目が、ようやく幸治に向けられはじめているのだった。
 六月に入ると計画はさらに煮つまって、

 一日目 開村式 カレーコンクール
 二日目 登山
 三日目 きもだめし
 四日目 上流探検
 五日目 劇の練習
 六日目 キャンプファイヤー
 七日目 閉村式

 というスケジュールを何日もかかって作り上げた。そして次は食糧計画だった。
「ステーキがいいな」
「ばーか。山でどうしてステーキなんだよ」
「だってカレーばっかりじゃいやじゃないか」
「あたし、毎日カレーだっていいもん」
「きっもちわるい」
「そこは魚は釣れないの」
「釣れる、釣れる」
「じゃあ、そいつをおかずにすれば」
「釣れなかったらどうするのよ」
「そのときは夕飯抜きっていうことになるわけよ」
「それはつらいところがあるな」
「鉄板はあるわけ」
「今度はキャンプ場だから、借りれるよ」
「バンガローがあるからな」
「じゃあ、雨が降っても大丈夫なんだ」
「あの連休のキャンプはすごかったね」
 すると突然、その話になって、あの激しい雨のなかのキャンプでの出来事を興奮して話しだすのだった。笑いがはじけて、みんな狂ったように騒ぎたてる。そのキャンプにいけなかった子たちは、その話をうらやましそうに聞いているのだった。
 議論はいつも空中分解寸前になるのだが、さすがに三人組がきわどいところでぴたりとおさえてまとめていく。その手腕はなかなか見事なものだった。

 一日目 昼 パン、牛乳。
       夜 カレー、サラダ。
 二日目 朝 ごはん、みそしる、なっとう、たまご。
       昼 カップラーメン、おにぎり。
       夜 インディアン焼きそば、スープ、サラダ。
 三日目 朝 パン、牛乳、ハムエッグ。
       昼 おにぎり、果物。
       夜 焼き肉どんぷり、みそしる、サラダ。
 四日目 朝 パン、スープ、牛乳。
       昼 ソーメン、おにぎり、果物。
       夜 シチュー、サラダ。
 五日目 朝 パン。スープ。
       昼 おにぎり、カップラ一メン、果物。
       夜 海賊なベ、ごはん。
 六日目 朝 ごはん、みそしる、たまご、なっとう。
       昼 パン、かんずめ、果物。
       夜 焼き肉パーティ。
 七目目 朝 パン、ミルク。

 なにしろ長期のキャンプだから栄養の配分が必要だった。そこで学校の給食のおばさんたちに相談して最終的に決めていこうということになった。
 そしてキャンブに要する装備。テントは設備一式ととのったキヤンプ場に張るから、最少限のものを用意すればよかったのだが、これから何度もキャンプをするのだから、予算のなかで購入できるものは買ってしまおうということにきまった。そこで子供たちは、大井町や大森、さらに神田や御徒町のスポーツ店や釣り道具屋まで足をのばして、どんな製品があるのか、値段はいくらなのか研究するのだった。だからまたそこで議論が白熱する。
「お金ないからさ、できるだけ借りるんだよ」
「でもテントはちゃんと揃えておきたいな」
「ワンタッチで組み立てるテントがあるけど」
「あれいいよな」
「でもあれは高えよ」
「いくらするの」
「六万だって」
「ぐえっ」
「あんたね、いったいなに考えてんの。あたしたちの予算いくらだと思ってんのよ」
「まあまあ、そこはこれから会費をためて」
「ナタがいるよな。あと二つぐらい」
「一本じゃきついよな」
「でもあのナイフほしいな」
「あのバドリーのナイフ、な」
「いいよな。あれおれもほしいな」
 こうしてその装備に要する一式が書き立てられていった。

スコップ。紋とりせんこう。おなべ。やかん。おたま。おしゃもじ。ロープ。フライパン。ふきん。ぞうきん。トイレットペーパー。ペンチ。なた。せんたくばさみ。おの。カッターナイフ。たわし。せっけん。ビニールぶくろ。バンドエイド。マジック。せいろがん。くすり各種。体温計。はんごう。バケッ。ポリタン。マッチ。ライター。けいたいコンロ。ランタン。ガスのボンベ。はさみ。セロテープ。ほうちょう。まないた。ザル。もぞうし。テント。ペグ。予備のフライシート。

 こうして着々と長期のキャンプに向かってつき進んでいったが、そのころから受験のために退団するといって、やめていった泰彦と守と徹也が活動にもどってきた。守と徹也はもう進学塾にもいっていないようだった。二人の話から察すると、もう親のほうも中学受験はあきらめているようなのだ。それは弘に十分予想できたことだった。中学受験のハードルは驚くほど高くなっていて、ちょっとやそっとの勉強では刃がたたなくなっている。おそらく二人は、というよりも二人の母親たちは、進学塾のテストの成績でそのことを思い知ったのだろう。
 弘はそれでよかったと思った。まるで現実性のないことに親も子供もぐずぐすとこだわるより、きっぱりと撤退したほうがいいのだ。徹也と守は以前にもまして生き生きと活動に加わってきた。
 しかし泰彦の場合はちょっとちがっていた。彼はクラスのなかでも学力はトップクラスだった。彼の学力ならばきちんとした受験勉強をすれば、そこそこの私立中学に合格するはずだった。そのことに泰彦の父親も母親を必死になっているようだった。それなのにまた子供団の活動をはじめていいのだろうか。
「あのさ、泰彦。君がここにくることを、お母さんは認めているわけ」
「ええ、まあ」
「そうかな。だって受験するんだろう」
「そうです」
「だんだんキャンプで活動もいそがしくなっていくしさ。中途半瑞になるんじゃないのかな、勉強と」
「そのぶん勉強に打ちこむという約束ですから」
 と泰彦は言った。しかし一度このことはきちんと彼の母親と話しておかねばならないことだった。
 六月の後半なって、その壮大なプランが具体的に仕上がっていくと、子供たちにかかってくる家庭の圧力というものが弘の耳にもはいってきた。そんな長いキャンプはだめだとか、今年の夏は家族で田舎にいくとか、そんなに何日も遊ばせるお金はないとか、勉強が大切だとか。そういう話を聞くたびに、当然のことながら子供たちの背後に親がいて、その力は絶大なのだということを思い知るのだった。
 弘ははやめに説明会をもたねばならないと思った。この大事業を成功させるにはまず親を説得することからだった。弘のもっとも苦手とするところだったが、この関門をのりこえなければならなかった。
 その説明会にむけてまず資料づくりからはじめた。いままで子供たちが発行したすべての新聞を綴じ、さらにこの活動のなかで子供たちがどんなに豊かな成長しているのか、そしてこの夏のキャンブがどれほど大きな意味をもった大事業であるのかを、ちょっとした論文を書くような意気ごみで書き上げたりした。
 その日の説明会には、弘がびっくりするほど大勢の人が集まった。父親の姿もちらほらと見える。弘の話に聞き入る母親や父親を目の当りにして、この地域に子供団がたしかに存在の芽を息吹かせているのだなあと思い、それだけでも胸があつくなるのだった。
 その説明会ではたくさんの質問がでたが、そのいずれも好意に満ちていて、なんとかしてこのキャンプを成功させようという善意にあふれているのだ。それまで子供たちから聞こえてきた、誤解と偏見にみちた意見は一つもなかった。そしてその席で弘が予想もしなかった発言が飛び出してきた。
「子供団の父母会をつくらなければいけないわね」
 幸治の母親の徳子だった。彼女はそこまで話をエスカレートさせたのだ。幸治の骨折騒ぎのとき、弘は彼女にはげしく叱られて、父母後遺症とでもいうべき深い傷をのこした当事者だったが、いまは一番の理解者でなにかと弘を助けてくれる。徳子をみるとき弘はつくづくと人間の見方をかえなければならないと思うのだった。
「そうだね。これから父親たちの出番もあるから、活動しやすいような組織というものが必要ですね」
 と陽子の父親が言った。
「組織っていうとかたいけど」
「学校のPTAみたいなものですね」
「キャンプづくりは子供たちの仕事だけど、とにかく七日間でしょう。大人がフォローすることが必要よね」
「いろんな係をきめて、やっぱりここは組織的にかかわったほうがいいですね。そのほうが効率的ですよ」
 かたくるしい組織ではなく、手伝うことができる余裕のあるときは手伝うというやわらかい組織にして、しかしとりあえずは父母会の役員ぐらいはつくっておこうということになった。そして一気にだれが適当かという話になって、
「会長は坂口さんがいいですね」
 徳子のことだった。しかし彼女は、
「あのね、やっぱりこれは、女性より男性ですよ」
「そうそう。男性ですよ」
「だったら登君のお父さんがいいわね」
「ああ、鈴木さんね」
「そうね。あの人ならやってくれるわよ」
「父ちゃん野球のオーナーになってるぐらいだから」
 鈴木というのは、大井町の駅近くで《花活》という居酒屋の主人だった。五年生の登という子と、二年生の桂子という子を子供団に入れていた。そんなことで弘も何度か《花活》ののれんをくぐったことがある。だから弘もすぐに賛意を表した。
「それはいいですね。あのお父さんならきっとやってくれますよ」
 そしてその説明会が終わったあとに、有志だけで《花活》に乗りこんだ。徳子がこの日の話し合いの様子を伝え、副会長は守の母親と健治の父親が、会計が美智子の母親、そして渉外係は徳子になったと言って、
「それで、鈴木さんに、会長をやってほしいということになったんだけど」
「なんだ、なんだ」
「鈴木さんのいないところで、こんなこと決めて申し訳ないけど」
「どおりで鼻がむずむずしやがってたが、原因はこいつだな」
「いいでしょう、鈴木さん。面倒みなさいよ。一番元気があるんだから」
「なんだか神風特攻隊みてえじゃないか」
「神風特攻隊だなんて、あんた年がばれるわよ」
「どうせおれは古い人間だよ。なんだい、その会長ってのは?」
「いろいろとあるのよ、やることは」
「なんでもかんでも、おれに押し付けるんじゃないだろうな」
「そんなことないわよ。鈴木さんは、あたしたちの上にのっかってればいいの」
「あんたの上にのっかっていいのかい。それだったら喜んでやるよ」
 と言ってがばがばと笑った。
 それで決まってしまった。そうやって樫の木子供団の父母会がまたたくまにできあがってしまった。まったく思いもよらぬ展開だった。しかしそれはもちろん弘にはうれしいことだった。これでまた新しい道が大きく開かれていくのだ。
 七月になって班の体制が組まれ、それぞれの役割も決まっていよいよ活動は熱気をおびていったが、ちょうどそのころ班長になっている守が、泰彦をつれてきた。
「あのさ、ヤスが、ちょっと話があるんだって」
 弘は、その話というものがなんであるかすぐに察知したが、どうしたのと訊いた。
「言えよ、ヤス。はっきりと」
 泰彦はもじもじしている。するとまた守が、
「キャンプにいきたいんだって、ヤスが」
 やっぱりなと弘は思った。そういうことになるだろうという予感がずうっとしていたのだ。
「それでさ、ヤスのお母さんに、弘から話してほしいんだって」
「お母さんはだめって言ってるわけだね」
「まあ、そうです」
「お父さんはどうなの?」
「まあ、お母さんと同じです」
「そうすると、むずかしいかもしれないな」
「それを、だから弘にたのみたいんだろう。なあ、ヤス」
「まあ、そうです」
 と泰彦は小さい声でこたえた。
 キャンプに泰彦は絶対に欠かせないと弘は思っていた。彼が加わることでその班はしっかりとまとまっていく。彼は子供団を創立した四人組の一人だったが、いつもひかえめで目立つことのないおとなしい子だった。しかしどこか底の抜けている四人組の行動を、その背後できちんと支えているのが泰彦だった。泰彦の存在は大きいのだ。
 しかし泰彦の両親を説得するのは容易ではないように思えた。聞くところによると、いま二つの進学塾にいっているらしい。そんな生活をしている泰彦が、週一度の活動にきているのは、かえってそれで勉強の励みになるという理由からだった。もし毎月受けるテストの成績が、少しでもダウンしたらすぐに子供団をやめさせるとも言われているらしい。そういうかかわり方をしている泰彦を、彼の両親が一週間もの長期のキャンプに参加させるとはとても思えなかった。
 父母会活動がはじまって、徳子と会うことが多くなった弘は、そのことを話してみた。すると徳子は、
「泰彦ちゃんはとってもやさしい子なの。あそこのお母さんはちょっと体が弱いでしょう。それだけにあの子、すごくお母さん思いなのよ。それはみていて歯がゆくなるほど、お母さんの言いなりになるところがあるの。幸治なんかはもう反抗どころか、親の言うことなんて馬耳東風だけど、あの子はちょっと痛々しいばかりに親に従順なのね」
「ああ、よくわかりますよ」
「あのお母さん、よく寝込むのよ。そんなとき買物にいったり、ご飯たいたり、おかずをつくったりする子なの、あの泰彦ちゃんは。ほんとうにえらいのよ。洗濯なんかもするらしいわね。体の弱いお母さんに必死になってむくいてやろうとするところがあるの。だからいまお母さんが、泰彦ちゃんをいい学校にいれてやろうと一生懸命になっている、その期待にこたえようと一生懸命勉強しているんだと思うわ。でもね、ほんとうはあの子のやりたいことは、子供団なのよ。なんだかかわいそうよね。とにかくあの子は、小さいときから勉強勉強できたでしょう。だから子供団のようなことは、あの子には逆に大切なのよね」
「そうだと思います」
「そこのところは親もわかっていると思うけど」
「そうでしょうね。だから子供団の結成にも参加させたんでしょうから」
「あたしから話してみるわよ。まあ一週間は無理かもしれないけど、二日でも三日でもいいでしょう」
「そうなんです。それでいいんですよ。できたら最終日にむかってね」
 夏休みが近づくと父母会の役員たちは頻繁に集まっていた。父母のほうの協力体制も着々と整っていくようだった。その日は日曜日で、会合の場所となったゼームス坂にある居酒屋に、会長も姿をみせていた。参加者が十人ちかくになって、会は大いに盛り上がっている。なにかそのキャンプは、大人たちも興奮させているかのようだった。にぎやかな談笑で座は盛り上がり、しばしばどっと歓声があがる。
「泰彦のお父さん、おそいですね」
 と弘は徳子に声をかけた。徳子が泰彦の母親を誘ったら、父親がこの会合に顔を出すということになったらしい。弘は泰彦の父親に、子供団の活動を説明するために、子供新聞などのたくさんの資科をもってきていた。
「泰彦って、病気のお母さんのために、毎日ご飯を作ってやってるって子か?」
 と会長が訊いてきた。徳子はそのあたりの状況を説明すると会長は、
「ようし、お母ちゃん。その、高橋さんって人を呼びだせよ。おれが説得してやっから」
 徳子が泰彦の家に電話をいれると、五分もしないうちに泰彦の父親はやってきた。いかにも大企業のサラリーマンという風情だった。自然にキャンプの話になっていくと、泰彦の父親は、
「まあ、私としては泰彦をそのキャンプに参加させたいんですよ」
 と言った。弘は勢いこんで、
「じゃあ、ぜひ参加させて下さい」
「私としてはそうさせたいんですよ。しかし受験がありますからね。とにかく今の私立中学の受験のレベルって、はんぱじゃないですからね。ちょっとやそっとの勉強ではおいつかないんですね。毎月、学力テストがあるんですが、これがさっぱりで。塾の先生からも、このままでは危ないと尻をたたかれるし。そんなわけで、この夏は特訓教室に入れることにしていましてね。まったく今の子供を取り巻く状況って異常なばかりですね」
「でも泰彦ちゃん、キャンプにやるんでしょう」
 と徳子が訊いた。
「まあ、二、三日ぐらいはいいと思うんですね。それで勉強のほうも弾みがつけば」
 弘はこれで大成功だと思った。これですべてうまくいく。そのとき会長が割り込んできた。
「二、三日なんてけちなことを言わないで、ぱあっと一週間やっちまいなよ。それが子供のためだぜ」
「まあ、それもそうですが。しかし受験というやつがあるとそうもいかないんですね」
「受験受験ってさ、あんたさ、三日やるのも一週間やるのもたいしてちがわねえんじゃねえの。このキャンプは、いままでだれもやったことがない、一週間という期間の長さに取り組むところに、意義があるって言うわけだからさ。その意義があるところを、ばっさりと切られたんじゃあ、子供だって面白くないんじゃあねえの。あんたの子供は、そりゃあえらいね。お母ちゃんが寝込んだときは、ご飯の支度から洗濯までするって言うじゃないの。そんな偉い子は夏ぐらい、のんびりと好きなことをさせなきゃあ、あんたバチがあたるんじゃねえのかな」
「それは各家庭によって、それぞれの教育方針がありますからね」
 泰彦の父親は次第に不快になっていくようだった。弘はまずいなあと思った。これは止めなければ、と。会長の言っていることはよくわかるが、しかしこれではなにもかもぶち壊しになる。
「あんたね。受験受験と言うけど、そんなもの社会にでたら一文の価値もねえんだよ。わたしなんかまるで学校っていうものにはいってないの。中学出て裸一貫でたたきあげてきたんだから。だからあんたの学歴の半分もおれはねえよ。だけどあんたと比べたっておれは負けないよ。給科だってあんたがいくらとってるかしんねえけどさ。千葉と山梨に三百坪ほどの土地だってもってるし、いまの家だっておれの土地だよ」
「会長、そんなこと関係ないでしょう」
 とさすがに危険を感じたのか徳子が言った。
「そうじゃねえの。おれの言いたいことは、受験受験ってこんな小さなガキのころから、勉強勉強でしばりつける魂胆がしれねえってことなんだよ。ガキって遊ぶからガキなんだろうよ。夏休みって遊ぶためにあるんだろうがよ、よくしらないけんど。もう勉強はいいから、外でおもいっきり遊んできなさいというから夏休みじゃねえの。おれはそうしたから、そう思うけど。そうじゃねえの。それなのに勉強勉強だ。たった一週間のキャンプにいったぐらいで落っこちるなら、最初からそんな試験うけさせなきゃいいだろうが。あんたそう思わないかい」
 いやまずい、これはまずい、これは止めねばと弘が制止しようとしたとき、泰彦の父はぷいと立ち上がると、怒りをあらわにして外に出ていってしまった。
 弘はなんだか一難去ってまた一難だなあと思うのだった。



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