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廃校に地域力がはじけるとき 1      竹内敏

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廃校に地域力がはじけるとき  竹内敏

第一章                   地域と職員の総合力「ポレポレECOまつり」


1 「ポレポレECOまつり」の開幕です
 
子ども御輿(みこし)が会場を晴れやかに一周します。秋空輝く旧小学校の校庭は、二〇〇〇人を越える親子の賑わいが御輿を迎えます。かついでいるのは学童保育の小学二、三年生男子です。はっぴに身を包んできりりと声をあげます。初めて御輿をかついだときはかわいいだけの感じでしたが、今回は職員の澤田千恵さん(チエちゃん)の特訓で元気みなぎる御輿となりました。

子ども御輿はシニアボランティアの西野善一郎さんや守屋長太郎さんたちが半月かけて制作した大作です。樽をメインにしながら廃材で作ったとは思えないほどの立派な御輿です。木の枝やススキで表現したかわいい獅子が鳳凰のかわりに鎮座しています。子ども御輿を西野さんらが制作しているとき、いつも関心を寄せていたのは女の子でした。そして、完成した後も「かつぎたい」と言ってかついだのも女の子でした。その様子を見て「いったい、いまの男の子はどうしたんだろう‥‥」と西野さんらとため息を漏らしたものでした。しかし、きょうばかりは男子の出番です。

そのうちに、「ソーラン節」のいいテンポの太鼓が響いて、「よさこい連」の登場です。学童保育の子どもたちをメインに、おとな・青年たちが舞台に向かってあでやかに集結していきます。赤・黒・青のそれぞれのはっぴには緊張が走ります。今回は参加者が多く舞台前の広場に入りきらないほどです。小気味いいリズムが観客の心を包み込んでいきます。

子どもたちの「よさこいソーラン」は、二○○四年の開館当初からの伝統です。職員の豊田良子さん(トヨちゃん)の素早い提案と指導で地域の祭礼や高齢者施設などにも披露してきたものです。子どもたちが通う学校の先生から、五年生の踊る「よさこい」を見せてもらったり、ビデオテープを借りたりして研究を重ねてきました。さらに、子どもたちと池袋や品川に遠征して「よさこい連」を見に行って、研究と練習を重ねてきました。「よさこい」は、一年目から子ども交流センターの重要な「広告塔」になりました。本番が近づくと、先輩の子どもがてきぱきと後輩に教えたりする光景も見られるようになり、それはまわりにさわやかな感動を届けます。

親や招待者からは、子どもの踊りについて当初は「かわいい」という感想が多かったのですが、最近では「表情がよくなったね」とか「腰が入っているね」とか、踊りの技や表情を評価するように変化してきました。進級とともに毎年メンバーは変わりますから、技量を磨きながらここまで継承してきたこと自体が感動的です。

子どもの後ろには学童保育のお母さんたちがやや緊張気味に踊っています。さらにその隣には、ふだんはこうした行事にはあまり参加していない幼児クラブの若いお母さんも加わっているではありませんか。幼児もそばで身体を動かしています。また、ボランティアの青年たちもにわか練習ながらも、嬉しそうに側面から加わっています。そうした姿を老若男女の地域の人たちによる暖かな目が注がれます。江戸の粋がオープニングから発進します。「ポレポレECOまつり」の始まりです。

この光景はとても象徴的です。というのは、それは子ども交流センターがめざす児童館像そのものだからです。子どももおとなも、働く人も家庭にいる人も青年たちも、ともに「つながっていく」という姿です。同じ地域に住みながら時間差でかみあわない住民の「分断」を、「よさこい」がつないでいるのです。つまりは子どもをまんなかにして地域のさまざまなおとながそれを楽しみながら支えているという構図です。おとなもその役割をすることで「人に役立つ喜び」、「居場所」を入手し、自分自身も励まされるというわけです。それが「よさこい」群舞のすがすがしさに表現されています。それらのスペースを提供し、その意味を増幅・発信してきているのが児童館であるという関係です。

そのうちに、主催者のNPO法人おおもり子どもセンターの笹原勇理事長があいさっにたち、このまつりが地域や行政のさまざまな立場・階層の人々が支えていることを報告しお礼を伝えました。つづいて、松原忠義太田区長が、「子ども主体でこれだけ多くの人が集まるまつりは大田区ではここだけです。それを支えているのは地域のみなさんであります。江戸のエコを私たちはいまこそ学ばなければなりません。それがこのまつりにこめられています。昨今の暗いニュースが続くなかで、ここに集まった地域力がまちを明るくしてくれます」と、力強く挨拶してくれました。

会うたびに「子ども交流センターの活動に感動しています」といつも激励を送ってくれる森本茂太副理事長は来賓を紹介しました。来賓には、開桜小学校長・大森学園高等学校理事長・同校長・大田区副区長・福祉部長・子育て支援課長・出張所長・議員・町会長・NPO代表等が駆けつけています。

子どもまつりがこうしたあいさつ儀礼から始まること自体が私の経験値にはありませんでした。職員だけの力ではこれだけの顔ぶれを集めることはできません。やはり、地域が主体的に参画した施設づくりではこういう協働ができるのだ、という証左でもあります。しかも、区内に五十一館ある児童館のうちの一つにしかすぎない児童館に、多忙な区長が毎年のように挨拶に来るというのですから、職員も慌てるというよりきょとんとさえしてしまいます。また、ふだんからなじみのない議員がいるのにもびっくりです。

ここで注目したいのは、まつりを直接的に企画・運営している子どもたちや児童館利用者サークルなどの地域の新しい顔ぶれと、まつりを側面から支える地域組織・行政・学校等の関係者が一堂に会していることです。つまり、そこには地域が立ち上げた児童館(と学童保育)の成り立ちの意味がカタチとして表現され、まちづくり・まち育てにつながる可能性の芽が秘められているのではないかと思ったのです。

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2  江戸のまちができていく

一週間前にはまつりの赤い幟三十本が「こらぼ大森」の敷地の四方を包囲します。子ども宣伝隊もチラシをもってまちなかを賑やかにします。

会場の「こらぼ大森」のグラウンドに入ると、やはり最初に目に飛び込むのは芝居小屋です。すだれに囲われた正面上には、浮世絵のような役者絵が張り出され、その絵のとなりには、江戸文字で書かれた出演団体のカンバンが連なっています。よくみると、防災テントのような大きな天幕の骨組みにはすだれが囲まれ、屋根も垂木で補強されたすだれが乗っています。紅白のちょうちんが軒下を興奮させています。理事のなかに工務店を経営している近嵐勝さんがいたことも本格的な小屋装置誕生の力となりました。また、足元の広い舞台一式は、子ども交流センター向かいに住む理事の田中清一さん(清さん)がまる二日かかって制作したものです。

準備作業は、中高校生・青年ボランティア・NPO理事との共同作業で組み立てられました。とりわけ大森学園の高校生軍団が前日・当日それぞれ約二五名が先生ともども大挙してやってきて、天幕・舞台の運搬・設営で活躍しました。「模型クラブ」「生徒会」を中心に朝から暗くなるまで「肉体労働」に汗を流してくれます。かたわらでそれを見ながら大森学園の理事長や校長も二コニコしています。

主催者である「おおもり子どもセンター」理事と職員は、夏ごろから、「小委員会」を設置して、まつりの準備と打ち合せをしてきました。そして、ふだんは町会や各地域委員を兼ねながらも、このときばかりは、秋の貴重な連休をまつりの準備に割いてくれています。会場入口には「村役場」があり、ここが総合窓口および本部となっていて、「村方三役」の理事と接待役の理事田口あい子さんらがこまめに動いています。そこに、学童保育OBで看護師の鈴木さんも救護役として毎年村役場に待機してもらっています。

開館して一年目のまつりのときはボランティアがまだまだ少なくて、重い机や天幕などの運搬を理事にやってもらわざるをえなかったのですが、「町会長にそんなことまでさせるなよ!」と、区の職員から怒鳴られたこともありました。

それでも、笹原理事長らは、本番前には連日出勤して、グラウンドの駐輪場や店のコーナーなどの線引きや「駐輪禁止」のカンバン約三十枚を施設のまわり一周に掲げるなど作業の先頭に立っています。関口進理事長は近隣への協力チラシを一軒一軒訪ねながら配布してくれました。また、理事の山崎澤子さんは、民生委員児童委員の方とともにスタッフの昼食やご苦労さん会の食事づくりに前日から二日間終日専念してくれました。会場では、後藤三郎さんや宮本周造さんらが高校生らと埃っぽい土のグラウンドに水をまいたり、臼井善吉さんは自転車整理の先頭に立ったりして、後方支援を理事がしっかり担っています。

そうしてその日は、まるで人が湧いてくるように約二五〇〇人を越える老若男女がグラウンドを埋め尽くします。それはもう突然のこと、江戸のまちが大森にワープしてしまったのです。世界一の循環型社会を実現したエコな江戸がそこにひょいとやってきました。こうして、三年目の「ポレポレECOまつり」からは江戸のまちが突如出現しました。
 子どもの運営参加は約一六〇人、おとなは約五〇〇人、合計で約六六〇人くらいの人が、このまつりの実行スタッフとして運営に参画しています。

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3    「子ども時代」を取り戻す

まつりを直接的に担っているのは、なんといっても子ども交流センターに関係する子どもやおとな・グループ・ボランティアです。
「子ども長屋」を企画・運営しているのは、小学一年から三年生の学童保育児だったり、児童館に遊びに来ていた小学生です。とくに一般の子は、子ども同士が集まれる時問がなかなか取れないなかでの、スキマを縫っての準備でした。

放課後は、子ども生活の「学校化」によって、子どももおとな並みに忙しいのです。豊かな「子ども時代」を体験できないまま促成のおとなになってしまい、それで、青年・おとなの「幼児化」が深刻な社会問題を引き起こしているのかもしれません。ですから、子どもの店を出すこと自体が子ども時代を取り戻す闘いであると言っても過言ではありません。

「子どものコーナー」では、学校と家庭の挾間で工面して作った子どもたちの手作りの「江戸小物」「手ぬぐいや」「紙すき屋」は、期待と不安の顔が店番に入り混じります。また、所狭しと並んでいる「まと当て」「相撲部屋」「虫や」「江戸くじや」「のぞき小屋」「札所めぐり」は、子どもの遊び心を掻き立てています。中心である学童保育の子どもたちは、前もって下町の資料館にみんなで行ったのが、イメージを膨らませました。そうした取り組みを事前に大胆に行った職員の発想も見事でした。

「子ども楽市」コーナーも負けてはいません。「やきいも」「豆腐田楽」「漬物屋」などにも人気が殺到し、フォローするボランティアのおとなもてんてこ舞いのひとこまでした。自宅のビワの葉をきれいに洗って持ってきてくださる地域の方がいて、二年連続「ビワの葉茶」も登場しました。今回は子どものほうからぜひ「やりたい」「やらせて」と                 いう声があがり、さっそくビワの葉茶づくりをしました。少々癖がある葉なので、薄めに煮出すと、「うん、もう少し濃いほうがビワの葉らしいんじゃない‥‥」とか言いながら、当日は「めずらし茶屋」を見事やりきりました。毎年「どんぐりクッキー屋」さんを取り組む子どもたちにかかわってきた職員の阿部由起子さんが子どもたちの取り組みを次のように伝えてくれました。

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おまつりで今年もあっという間に完売となったどんぐりクッキーを売っていた六年生チームは、二年生のときから四年間「ポレポレECOまつり」に参加し続けました。初めての参加は二年生のとき。その後三年生になると「エコクイズラリー」、そして昨年は「どんぐりクッキー」。

今年は「統どんぐりクッキー」。どんぐり拾いからクッキーづくりまで、ほとんどすべてを自分たちの手でやりきり売りました。簡単に「どんぐりクッキー」と言ってしまうけど、おとなの私たちからすると気の遠くなるような手のかかる作業をへて、このクッキーはできています。まず、どんぐりを拾いに行く、種類ごとに分ける、アクを取りながら茹でる、ミキサーにかける、粉を絞りとる、それらどんぐりの粉を混ぜてクッキーを焼く。しかも、クヌギ・マテバシイ・シイの実と味を分け、今年はクリも持参。さらには「炒ったシイの実をハサミで切って混ぜ込む」と驚くようなこともやり、おとなには考えつかないようなクッキーができました。途中、喧嘩もあったけど、当日はまぶしいような着物姿・法被姿で売り切りました。

来年はもう中学生。これからどんどん忙しくなっても、小学生時代の四年間「どんぐり拾って一生懸命クッキー作ったな」って、ポレポレECOまつりの時間を思い出してくれるといいな。足元に落ちている木の実を一つひとつ拾って自分たちの手で仲間とともに作りあげたということを。子どもたちは、おとなにはかなわないような力を持っているということを実感させられました。

ふだんから児童館の子どもと遊んだり、ときどきイベントを手伝ってくれている若いボランティアや中高生タイムに来ていた中学生常連もボランティアとして顔を見せてくれました。それは、まつりが終わっても小学生と遊んでくれる効果をもたらしてくれました。ふだんは「暖簾に腕押し」のような手応えに悩んでいたスタッフらの喜びはひとしおでした。

芝居小屋の舞台袖で音響を手伝っていた青年ボランティアは、浴衣や法被を着て「ドラムライン」のリズムを舞台から江戸大森に届けてくれました。いままでは同じ日に工作室でバンドライブをやっていたのですが、「中高生もみんなの顔が見える所で参加しよう」ということで、青年スタッフの大河内基樹くん(もっくん)を中心に中高生もボランティアスタッフとして合流していきました。さらに、「つばさ総合高校福祉部」の女子高生は、子どもも参加しやすい「江戸わっぺんづくり」を考えてくれたり、手話ダンスを飛び入りで披露してくれました。

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