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リッチモンドか死のどちらかを選ぶなら、私は死を選ぶわ

六月のある美しい朝。三人の女の特別の一日が始まる…
 
ヴァージニア
ロンドン郊外。 1923年。文学史上の傑作「ダロウェイ夫人」を書き始めようとする…
 
ローラ
ロサンジェルス。1949年。『ダロウェイ夫人』を愛読するlミ婦。夫の誕生パーティを計両し、息子とケーキを作り始める…
 
クラリッサ
ニューヨーク。20世紀の終わり。「ダロウェイ夫人」と同じ名ゆえに元恋人リチャードにミセス・ダロウェイと呼ばれる編集者。文学賞を取った彼のためにパーティを開こうと。花を買いに行く…
 
異なる時代を生きる二人の「時間」はいつしか運命的に絡み合い、奔流のように予想もつかぬ結末へ…。

──ヴァージニア、ネリーがぼくたちの夕食を作って待っているんだぞ。君はネリーの作った夕食を食べる義務があるんだ。
──義務、義務ですって、そんな義務なんてないのよ、そんな義務なんて存在しないのよ。
──君は君の心を取り戻す義務があるんだ。
──いいわ、そういうことにするわ。それで、レナード、あなたの役目はなんなの。私の夫、それとも刑務所の看守?
──君は病んでいるんだ。だからぼくたちはリツチモンドにきたんだろう。この静かなゆったりと流れる生活の中で、君は健康な心と体を取り戻していくんだ。
──静かなゆったりと流れる生活ですって、これは監禁なのよ、あなたは私を監禁しているの。
──監禁だって?
──そうよ、監禁なんだわ。私はこの監禁にたえてきた。この投獄にたえてきたのよ。私は医者たちの治療を受けて、おとなしく、薬を飲んでたえてきた。自分のことは誰よりも一番よくわかっているわ。
──君はわかっていない。君はまだ自分の本当の声を取り戻していない。
──私はわかっているのよ、自分のことぐらい。
──いや、わかっていない。君は病んでいる。君は病んだ歴史がある。君は深く病んでいる。ひきつけ、発作、失神、かんしゃく、苛立ち、幻聴、幻覚。ぼくたちがこの静かなリッチモンドにやってきたのは、死の淵から避けるためだった。君は二度も自殺しようとしたんだぞ。
──私はロンドンが恋しいの、ロンドンにいかなければならないの。ロンドンで私は自分を取り戻すことができるの。
──君はいまでも危険だ。君は今でも死の淵を歩いている。
──私はロンドンにいかねばならないの。これは私の権利よ。これはあらゆる人間の権利だわ。私は郊外の行き詰まる麻痺ではなく、都会の激しい覚醒を選ぶは、それが私の選択なの。最悪の状態の患者だって? そうよ、まさに最低の状態の患者でも、自分自身の処方箋についてはなんらかの言い分があるわ。そのおかげでひとりの人間となる、あなたのために。レナード、私がこの静寂のなかでも幸せになれたらと思うわ。でもリッチモンドか死のどちらかを選ぶなら、私は死を選ぶわ。


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