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歴史小説論争 『蒼き狼』は歴史小説か  大岡昇平

 もう六十年の前にことになる。1961年の雑誌「群像」の一月号に、大作家の道を歩きはじめた井上靖の記念碑的大作「蒼き狼」に、これまた大作家の道を粛々と歩いている大岡昇平が猛然とかみついたのだ。その攻撃は激しく、その長文を大岡は、
「ただそれを歴史小説にするためには、井上氏は『蒼き狼』の安易な心理的理由づけと切り張り細工をやめねばならぬ。何よりまず歴史を知らねばならぬ。史実を探るだけではなく、史観を持たねばならない。この意味で、井上氏の文学は重大な転機にさしかかっているのである」
 と締めくくっている。なにやら罵倒に近い大岡の怒りの根源はどこからくるのか。この攻撃に井上靖はどう受けて立ったのか。大作家たちの歴史小説論争は熱い。

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『蒼き狼』は歴史小説家か  大岡昇平 

 先頃福田恆存が「常識に還れ」と叫んで、安保デモに関する報道や意見の感情的偏向を戒めたが、わが「常識的文学論」の「常識」の意味するところも。ほぼこれに近い。文壇沈滞が叫ばれてから久しいが、沈滞を吹き払うような傑作は一向に現われない。批評家は毎月雑誌に掲載される夥しい作品の、悪口を言うのに疲れたらしく、むしろややましなものにこぞって讃辞を呈することで、お茶を濁す傾向が目立っている。

 附和雷同とまでは言わないが、少し長かったり、力作だったりすると、一応敬意を表するのが礼儀のようになっている。礼儀正しい紹介文ばかりで、批評なんかする気がないんじゃないかという疑いが、濃厚である。
 私のような門外漢に時評的文章を書かせようとする『群像』編集部のねらいも、批評はもう素人にしか書けないという判断に基いているのかも知れない。

 私は題名通り「常識」をモットーにして、書くつもりだが、常識は中立と同じくムードである。原理も持たねば、公式もない。時の勢いに流されず、平常心を保つということは、容易ではないかもしれないが、やはり一つの感情に帰するのは、福田の論文が充分にそれを示している。
 私はこれから批評家によって賞められた作家と作品の悪口を書かねばならないが、これが単純な反感から出ていることを、予めお断りしておく。

 井上靖『蒼き狼』は咋年度に発表された小説中、際立った力作であり、文藝春秋読者賞を受け、毎週ベストセラーに名を連ねでいる。批評家達が「本年度の一大収穫」「規模雄大の歴史小説」[井上文学の転回点]「現代的な英雄叙事詩」など、口を揃えて絶讃している。『蒼き狼』がこれだけの賞讃に価する作品であるか。それはほんとうに叙事詩的進行を持っているか、はたして歴史小説か、というのが、反感が私に抱かせた疑問である。

 井上氏は人ぞ知る紳士であり、私自身二、三度お会いして、その温厚篤実な人柄には感服している。一作ごとに十万以上売る本を書き続けるのは、並々ならぬ才能を示すものである。マスコミに追われる忙しい身で、『敦煌』『蒼き狼』のような準備を要する歴史小説を、続けて書いた作者の努力は尊重されなければならない。
 これらは恐らく『蒼き狼』に讃辞を呈した批評家に共通した感情であり、また「読者賞」に投票した読者の感情でもあろう。私も同じ感情を共有しているが、それと『蒼き狼』の評価とは別でなければならない。

 結論を先に言えば、『蒼き狼』はこれまでの井上氏の小説群と、題材を除いて、大差のない小説である。叙事詩的でもないし、歴史小説と言えるかどうか疑問である。井上文学の転回点どころか、その限界をはっきり示した作品である。以下これを立証する。

「これはジンギスカンを主人公にした小説ですが、この小説の一番の特徴は、何よりまず非常に叙事詩的な構成を忠実に則っているということではないかと思います。はじめは先祖書きで、部落の古老が焚火を囲みながら先祖の英雄たちの話を若者たちに聞かせている。その部族の中で主人公が生れるのですが、主人公は多くの叙事詩にある通り、生れが何か神秘の影に包まれている。法的な父親の子であるかどうかわからない。そのことのために父親からも敵意のこもった眼差で見られ、子供の時から、迫害された生活を送る。次にある啓示があり、自分の使命みたいなものに目覚めて、冒険に満ちた人生に旅立って行く。(中略)これは洋の東酉を問わず、むかしからの英雄叙事詩に、ほぼ共通なパターンだと思うのですが、井上さんのこの小説はかなり忠実にこのパターンに則ったもの、といえるのではないか」

 これが『サンデー毎日』所載の座談会中、批評家村松剛氏の発言であるが、先祖書きではじまり、出生の秘密を持つのが、「洋の東西を問わず」叙事詩の共通点とは私には初耳である。
 英雄説話かお伽話、或いはエィポスのような悲劇の主人公と混同しているのではないか。先祖書きは『蒼き狼』の原本である『元朝秘史』にもあるが、それはこれが『古事記』とほぼ同じ目的で成立した王家の歴史だからである。そこに出生の秘密があったら大変だ。

「主人公の生い立ちから死までの一直線的な叙述は、作者が意識的に決意をすえて遂行したもので、そのことがまず読者に快くはたらきかける。現代小説に多い同時的、倒叙的、断続的等の叙述と、それらがわれわれに与える混迷感や疲労感にくらべれば、この簡潔さが叙事詩の自然な形式への復元の方向において、現代文学における生命の新しい燃焼の可能性を試みていることがわかり、それは生産的な試みとして大いに注目すべきである」(『読書人』)

 講壇批評家手塚富雄氏のこの言葉には、傾聴すべきものがある。現代小説が技巧的にうるさくなりすぎているのは事実であるが、生い立ちから死までを書くのは、必ずしも叙事詩への復帰ではない。それは十八世紀末のブルジ’ア個人主義と共に生れた小説の型の一つであり、現代小説はその初発的活力を失って煩雑化しただけである。叙事詩的とは、ほかの批評家の文章にも隠見する一般的な評言だが、学識ある批評家が、こういういい加滅な言葉の使い方をするのは、なげかわしい傾向である。

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 私見によれば叙事詩とは形態的には韻文で書かれた長詩で、戦争を内容とする。戦争は過去に行われた大事業として表象され、「拡大」と「発展」の特質を持つ。戦争は社会全休の行為だから、人物は社会と共通の利害で動く。
『蒼き狼』が叙事詩的と感じられるのは、それが成吉思汗という中世の軍事的英雄を主人公としているからである。彼は蒙古人で本来われわれとは関係のない人物のはずだ。彼の孫フビライはむしろ憎むべき元寇の張本人なのだが、不思議と成吉思汗は昔から日本人に人気がある。その前半生は伝説の中に埋れ、艱難して頭角をあらわし、極東から起って、はじめて白人を征服した人物である。

 明治以来日本軍が大陸に足を掛ける毎に、「成吉思汗は源義経なり」説が出たが、今日でも同じ歌を繰り返す推理作家が現われる始末で、なかば日本人と言える。
 戦陣で没しているから、生い立ちから死まで書いても、人を倦ましめない。従って広い読者層を持つ井上氏が、この人物を主人公に選んだのは、理由のあることである。義経や秀吉と同様、出世譚と戦記の主人公となる資格を持つ。
 その生涯をそのまま書いても、叙事詩的にならざるを得ないので、『蒼き狼』の叙事詩的印象は、井上氏の発明ではない。氏はむしろ成吉思汗をロマンチックに描きすぎ、叙事詩を傷けていることは、追い追い明らかになるはずである。

「氏は(中略)主人公を氏自身の気持にも、現代の常識にも近づけようとせず、彼とその一族の遂行した未曾有の征服事業にともなったさまざまな残虐行為を、ありのまま描き出しています。(中略)氏は彼を自分の方に引きよせず、できるだけ彼に近づき、それにのりうつりたいと希っているようです。読者に向って、彼を道徳的に非難する前に、ひとりの人間として感じることを求めているようです」(『朝日新聞』中村光夫)

 これは『蒼き狼』を歴史小説と見る見解の代表的なものだが、私は最初からこの意見に疑問をもっていた。蒙古の征服については、戦時中ドーソン『蒙古史』を読み、みな殺しの連続に一種の爽快感を味ったことがあるが、成吉思汗に所謂出生の秘密や、民族の伝承によって狼になろうと志した、という記事の記億はなかった。

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 こんどこの文章を書く必要上、『元朝秘史』(那珂通世訳註8『成吉思汗実録』昭和十八年筑摩書房刊。この題目は那珂博士の特別の工夫によるものだが、『元朝秘史』の名が通っているから、以下それに従う)を読んで、私ははじめてその由来を知ったわけだが、しかし狼になろうはまったく井上氏の創作に係り、根拠はうすいようである。

「上天の命によりて生れたる蒼き狼ありき。その妻なる白き牝鹿ありき。大なる湖を渡りて来ぬ。オナン河の源に、ブルガン嶽に営盤して、生れたるバタチカンありき」
 これが『元朝秘史』の伝えるモンゴル族の起源である。井上氏によればそれを知った成吉思汗は、狼になることによって、自分をモンゴルにふさわしい者にしようとする。

「いかなるものにも立ち向う攻撃精神と、自分の欲するいかなるものも自分のものとする強い意志を、その冷たい眼の光は持っている。体軀は全く攻撃のためにつくられたものである。きりっと立った耳は、千里の遠くの物音をも聞き逃すことなく、その軀を構成している一片の骨も、一片の筋肉も、敵を屠るための目的にそぐわぬものはない。細く強靭な四肢は、必要とあらば、雪原を駆け、強風の中を走り、岩を攀り、宙を飛ぶ」
 
 これが井上氏の描出する狼だが、民族が始祖とあがめる狼は、かかる猛獣として表象されていたか、どうか。
 わが国でも狼が多産の神として崇められたのは、柳田国男氏の著に見え、ローマの始祖ロムルスは狼に育てられている。現代になっても狼に育てられた人間の子が発見されるくらいで、原始民族の心では、もっと人間に親しい動物と考えられていたことは間違いないと思われる。
 しかしこれは成吉思汗の生きた十三世紀には、この牧歌的交配説話の意味が忘れられ、井上氏の描く如き猛獣と考えられた可能性を、まったく排除するものではない。

 私の気がついた限り、『元朝秘史』に狼がでて来るのは、ほかに二カ所ある。その一は鉄木真時代の成吉思汗が異母弟ヘルテルを殺したのを怒る親ホエルンの言葉の中である。「風雪により頭口をそこなう狼の如く」。これはあまりさっそうたる狼ではない。だから井上氏は「山犬」と書き替える。
 第二、ナイマンとの合戦の揚面である。「多き羊を狼の追ひて圈に到るまで追ひて来るが如きは、これらはいかなる人かかく追ひ来る」。これはナイマンの将が成吉思汗の軍を見て言う言葉だから、狼が困った獣として表わされているのは当然である。これは無論井上氏の採用するところとならない。

 結局井上氏が採ったのは冒頭の「蒼き狼」だけである。そこから「万里の長城を越える狼の群」のイメージや、「蒼き狼は敵を持たねばならぬ。敵を持たぬ狼は狼でなくなる」の如きモラル、成吉思汗の即位式の「狼」演説を発明した作者の才能は賞讃すべきかもしれないが、それが中世の蒙古人の心をありのまま伝えていないのはたしかである。さらに氏が原文に加えた次のような改竄は如何。

 ナイマンとの戦闘の揚面に、成吉思汗が四人の部将の突撃を見て、「ああ、四頭の狼が行く」と感歎の叫びをあげる条がある。原文では「狗」である。「ああ、走り廻っている。朝早く放たれた狼の子が。母の乳を吸って。その周囲を走り廻っているように」。これは「馬」だ。
 ナイマンは成吉思汗が狗を人肉で養っていると信じているから、おそれるのである。「朝早く放たれた狼の子」がすでにナンセンスだが、戦場で母の乳を慕う如く、走り廻るのは、自殺行為であろう。原文ではこれも敵将の言であるから、モンゴルの軍に迂廻された恐怖を表わして、自然である。
 小説家がしばしばこのような改変を行うものであることを知らぬではないが、意味不明になるのはどうか。『蒼き狼』のいわゆる叙事詩的進行は、意味不明の句に負うところが多い。

 成吉思汗が没落した貴族の家に生れ、刻苦して蒙古民族統一に成功した英雄であることは間違いないが、彼が狼を理想とし、部下に狼になれとけしかけた痕跡は絶無である。
 井上氏はその主人公を氏が現代の動物小説から得た狼の観念に引きよせようとしている。狼の原理は全篇に繰り返され、氏の小説家の手腕によって、作品に一応の統一を与えているが、原理には現実性がないから、統一はそらぞらしく、いたるところ破綻せざるを得ない。

 モンゴルの男は狼だが、女は鹿だという幻想は、井上氏の主人公に奇妙な女性蔑視の観念を持たせる。女はある時は「奪われればすぐ男に従うもの」と表象され、ある時は「女たちは牝鹿の如くもっと美しい衣服で飾られねばならぬ」と侵略を介理化するために使われて、一貫性を欠いているが、狼鹿交配説話は鹿が狼の主食であることから生れたものだから、鹿にはなんの罪もない。

 父権制に立ち、族外婚を採る蒙古族では、掠奪婚はしばしば行われることである。奪われて身を任せるのは女の弱さではなく、婚姻制度に従った正しい行為である。女性不信は井上氏の他の小説によく繰り返されるモチーフだが、成吉思汗に適用してまったく根拠がない。モンゴルの女は奪われる奪われないに拘らず、子を産み幕舎を守るから、その地位は民主的に求婚された現代の妻よりはるかに高い。母ホエルンや正妻ポルテが成吉思汗の上に及ぼす影響力は、この観点を考慮しないと理解されない。

 母ホエルンはオルクヌウト族の出であるが、メルキト族の若者に奪われて行く途中を、モンゴルのエスガイによって再び奪われた。従ってその後生れた長子成吉思汗にモンゴルの血は流れていないのではないか、と両親はうたがい。成吉思汗もうたがっている。彼がモンゴルであることは行為によって証明するほかはない。これがあの大征服の原因であったというのが、井上氏の第二の発明である。

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 たしかに利益のために侵略する男は現代人の趣味に合わない。出生に疑問を持つ男が、劣等感を克服するために、刻苦して偉業を達成する方が、はるかに現代的である。ヒットラーが家系に混じったユダヤ人の血から劣等感を得、それを克服するために独裁者になり、ユダヤ人に対して強暴になったという説が流行している世の中だ。
 歴史小説は近代の産物で、歴史的人物を人間的に描くのを原則とする。人間とは無論現代人であるほかはないが、現代的動機のために、歴史を勝手に改変していいかというと、そうは行かない。

 小説家は、その人物を現代にはもはやない条件の間におくことによって異常な葛藤の中に投げ込み、創造の欲望を解放することが出来るが、それは読者の側の、昔は勝手なことが出来たらしい、という錯覚に助けられているにすぎない。しかし歴史的事件や人物に関する限り、或る程度の限度は存在するのである。歴史的事実に尊敬を払わなければ、歴史のイリュージョンは消え、作品は歴史でもなければ、小説でもないという、空虚の中に落ち込む。

 ボロジノ会戦の朝、手に息を吹きかけ足踏みして寒気を防いでいるナポレオンを想像するのはトルストイの自由だが、ボロジノ会戦をロシヤ軍の勝利とすることは許されない。ヒットラーが劣等感だけで、五年間の勝利と征服を得たのを空想するのは、やはり歴史的ではないのである。

 エスガイがホエルンを奪った時、既に妊っていたとする根拠はうすいようである。井上氏の記述によれば、それは成吉思汗が生れる「十ヵ月程前」であり、ホエルンは最初の夫によって、
「十数回にわたって犯されていた」
「一夜突風の如くやって来て、オルクヌウト部落から自分を奪い、一言半句の言葉をも口から出さないで自分を犯し、あとは連日殴打しては自分を犯し続けたメルキトの若者がそこにいたのである」
 この描写が掠奪婚に対する誤解に基き、ままならぬ求婚制に悩む現代の男性のサディスチックな空想を反映したものにすぎないことはいうまでもない。

『元朝秘史』によれば、ホエルンはメルキトの夫に、おとなしくついて行ったのであり、逃げさる夫に帯を与え、「匂いで自分を思い出してくれ」と言っている。エゲタイに奪われてモンゴル族の部落へ行く途中、先夫を恋う万葉調の歌を歌い、エゲタイの弟に同じような美しい歌で慰められている。

 井上氏の記述には省かれているが、結婚の後、エゲタイの汗に推戴される式があり、続いてタタル族を討ちに出征する。このあたりごく自然に時間が流れた感じであり、十ヵ月という産月の計算(モンゴルがそれを知っていたと仮定しての話だが)の入る余地はないように思われる。
 かりに疑いが可能だとして、中世の遊牧民族の間では、夫は妻にただせばよく、子は母にきけばよいのである。両親と子との間の現代的な無言劇を、井上氏は苦心して理由づけているが、全然説得的でない。

 出生の疑いは成吉思汗の長子ジュチの場合は根拠があり、嫡出子と公けの席で争った記事が『元朝秘史』にある。同じ疑いを原動力として来た(井上氏によれば)成吉思汗のジュチに対する愛は、彼をわざと危地に逐いやる「ためし」として現われる。
 この二重の父子関係のロマネスクは、メルキトの悪い血の問題とからんでテーマを保持し、作品に家庭小説としての統一を与えている。しかしそれだけ歴史の影はうすくなる。

 微細な事実関係にこだわるようだが、これら『蒼き狼』をその出発点で歪めたモチーフは、成吉思汗を取り囲む歴史的環境の中で、孤立して来る。ロマネスクが完全になればなるほど、歴史の進行とは関係がなくなる。成吉思汗はその出生の秘密の有無と関係なく、蒙古を統一し、金を黄河以南に圧迫し、サマルカンドまで行ったにちがいないからである。

 成吉思汗は腕力がすぐれ、勇気あり、機略に富み、衆を統率する才があった。父の急死後窮迫したとはいえ、有力な貴族の長子であることにはかわりなく、そのため予め父の定めておいた妻をめとり、父のアンダ(義兄弟)であったトオリルカンに、子としての庇護を受けることが出来た。(これらは出生の疑いがひろまっていたら成立しないと、常識は告げるのだが、井上氏の発明を尊重して、可能としておく)精兵を養い、軍律を正し、かつ用兵が巧みであったので、次第に勢力を加え、他の有力なる部族連合の長を倒し、最後にはトオリルカン自身まで倒して、蒙古の大汗になることが出来た。

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 彼の統一は「狼」の原理に忠実であったためではなく、氏族連合体を、専制君主制による軍事国家に編成替えしたことによって可能であった。遊牧を掠奪というより手取り早い生産様式に代えたためである。
 度々の遠征は、モンゴルの牝鹿を美しくするためではなく、君主の財産を増し、親衛隊を養うためである。十三世紀のユーラシヤの北部では、西方にトルキスタンの豊かな商業国があり、東には金が繁栄していた。砂漠と草原を統一して隊商の通行の危険を除くことが要求されていた。

 成吉思汗、フビライの軍事帝国の急速な成長は、この東西の富との間の放電に似ていた。
 汗は征服した後は、寛容な支配者であり、異民族の文化の摂取にも熱心であったが、矛盾は増大し、南方大洋航路の発達により、ユーラシヤの隊商の道が意味を失うと共に、瓦解する。

 これが大体われわれの歴史的常識である。かかる歴史的事件を達成した人間は、利害に明るいレアリストでなければならないというのもまた、われわれの常識の告げるところである。必要なのは「狼」ではなく、冷静な認識者である。そして成吉思汗の軍隊はその攻撃精神のためだけではなく、狡猾と執拗のためにも恐れられたのである。

 小説は必ずしも歴史的事実にこだわる必要はないにしても、人間が歴史を作り、また歴史に作られるという相互関係がなければ、そもそも人間を歴史的環境におく必要はないわけである。
 トルキスタンへの遠征は、成吉思汗が派遣した隊商が虐殺されたことから起っている以上、彼が隊商の庇護に熱心だったからだと考えるのが自然である。『敦煌』には戦争に無関心な商業的冒険家が出て来るし、砂漠の隊商の役剖について井上氏は知らないわけではない。『蒼き狼』ではそれが「狼」の原理に反するから、背後へ押しやられたのである。そして出征は狼の二世ジュチの進言と、同意を得て行われることになる。

 成吉思汗の作った専制政体を強化するには、肉親を重要な軍事的地位につける必要があった。彼が家族に心を使ったのはあり得ないことではない。しかし司令官はレアリストでなくては勝つことは出来ない。利害は冷静に計算され、情報を集めなくてはならない。
 
 そして最後には天に勝利を祈って、出征したという方がありそうなことと思われる。(なお井上氏がシャーマニズムを回避したのも、[狼]の原理に反するからである。天とか太陽とかはその自然描写から慎重に除かれているが、成吉思汗はあらゆる君主と同じく、自分を上天からつかわされた者とし、出征に際して天に祈ったことが報告されている。もっとも彼はシャーマンを即位式に利用したが、後に別のシャーマンを殺しているから、天を信じていなかったはずである)

「彼(成吉思汗)の内面を支配したように晝かれているいくつかの固定観念には、現代日本人の影がさしているようです。しかしそれが井上氏の個人的感情ではなく、氏の人間観としての思想性を持ち、あるいはさらに現代人の人間観まで抽象化されている」
 この中村光夫の見解は、一応井上氏の人物を歴史的制約から解除するように見えるが、問題は残る。そこにどういう現代日本人の影がさし、どう抽象化されているかに問題があると私には思われる。

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『蒼き狼』は家庭小説だと前に書いたが、井上氏の書く、成告思汗の性生活は矛盾にみちたものである。掠奪婚を男のサディズムの発露と考える井上氏は、征服した部落の女を犯す成吉思汗を誇張して書くが、第二夫人忽蘭との最初の性交の場面ではひどく神妙である。蒙古人が処女性を尊んだ気配はまったくなく、第二夫人は理窟抜きに正妻を立てたはずだが、突如出現したこの永遠の妾は現代の女給のような口を利く。

 これらの愚劣な場面の成吉思汗に、現代日本人の影がさしていると考えることは出来ない。君主の後宮の生活に、ブルジュア的恋愛遍歴が同時的に実現されると勘違いする。その程度の現代人の空想を抽象化した自動人形がいるだけである。
 結局、『蒼き狼』一篇が、一番よく似ているものは、『十戒』から『ベンハー』にいたるアメリカのスペクタクル映画である。次の戦闘の描写を見よ。
「モンゴルの各部隊は喚声と共に草原の如く拡って行き、海の如く豊かな布陣をとげた。そして忽ちにして鑿の如き烈しい戦闘が開始された」
 
これに対応する『元朝秘史』の原文は次の通り。
「叢の如き行きを行きて、海の如き立合ひを立合ひて、鑿の如き戦ひを戦はん」
 那珂博士の訳註によれば、叢行きとは、行軍に際して前後左右の偵察を厳重にし、展開しつつ戦場に現われるを言い、海の如き布陣とは、利を見なければ進まぬことを指し、鑿の如き戦闘とは騎兵の突撃である。

 井上氏がこれらの註を採用せず、視覚的描写に止めたのが、戦術の詳細を書くと、「狼」の原理にさしさわりがあるからだとすると、氏の固定観念がこの小説に与えた歪みは大きい。
 『蒼き狼』の叙事詩的進行とは、むしろ自ら歴史小説であるのをやめたことによって成立している。それは少しも「生産的」なものではなく、退行現象である。歴史性、叙事性、道徳性、残虐性、エロチシズム、なに一つ欠けたものはないが、すべてワイドスクリーンに映った影であり、現代の観衆の口に合うように料理されているにすぎない。

 私は敬愛する井上氏に対して、少し意地悪だったかも知れないが、誰かが一度は言ってもいいことだと思って書いた。側近や友情の厚い評論家ばかり持つ危険は、政治家にばかりあるものではない。
 私はこの機会に『楼蘭』『敦煌』など氏の一連の西域物も通読したが、井上氏が前から危険な道を歩いていたことがよくわかった。『敦煌』も批評家によって過賞された作品だが、危険はすでにそこにあったのである。

 小品『楼蘭』は遺跡があるだけで歴史はなく、氏の空想はつつましやかに、しかし大変現実的に飛翔している。風にあおられて平らに落ちる矢などの美しいイマージュがあり、砂にうずもれかかる町の中で、不明の敵と交戦する場面も印象的である。

 氏の危険は『敦煌』でスケールの大きい小説を書こうとしたことからはじまっている。インテリの主人公に類型的な野性の女が対置され、『楼蘭』の眠る女王のかわりに、生きた永遠の女性が出現する。戦闘は西部劇のインディヤンの襲撃に似ている。バート・ランカスター流の相打ち場面もあって、千仏洞納経のラストのパセチックを損っている。
『蒼き狼』は一応『敦煌』の通俗性をすてることで成立しているが、ロマンチズム自身をすてたわけではないから、結局それが『蒼き狼』を歴史小説になるのを妨げたのである。

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 マスコミに追われながら、長大な作品を書きあげた氏の努力を無視するわけではない。『蒼き狼』の終りの方に、サマルカンドへ入城しないで幕舎を守る成吉思汗が描かれている。空虚な成功に溺れずに、営々として自分の道を行く氏の心意気が察せられぬでもない。ただ歴史小説が氏のつまずきの石とならぬことを私は祈っているわけである。

 私としては『楼蘭』と同じ西域物では、去年『声』に書いた『洪水』が好きだ。不意に流路を変更する砂漠の河に戦いを挑む漢の武将の悲劇を書いたものだが、ファンタスチックな自然との戦いの描写で、氏の空想は意外にレアリスチックである。文体もまた題材にマッチしていて、氏の西域物の傑作と言える。

 井上氏は元来瞬間的な抒情的なイマージョの発明にすぐれた作家である。私は井上氏の作品の忠実な読者ではないが、『猟銃』の「白い川原」とか「暗い沖で燃える船」。或いは『氷壁』の落ちた友を手で感じる登山家など、美しい場面を憶えている。新生面を開くのは重要だが、自分の畑をよく耕やすことも必要である。私としては氏が『楼蘭』『洪水』の線まで引き返すことを望まずにはいられぬが、恐らくすでに『蒼き狼』を書いてしまった氏にとって、それも本意ではあるまい。

『蒼き狼』には続篇が構想されているかもしれないのである。『蒼き狼』の終りでは、少年フビライが登場しているし、忽闥が生んだ王子ガウランは、民の間に棄てられて、行方不明のままである。彼が成長してフビライに対する敵対勢力になる可能性もないこともない。
 ユーラシヤ全域にまたがる史上最大の帝国を打ち建てながら、二世紀を経ずして瓦解し、蒙古の故山にもどって滅亡した元の興亡のあとは、悲劇と考えられぬでもない。

 元の運命は十年の問に中国から市太平洋に拡がり敗退した日本の運命と似ていないこともない。侵略の原理は異なるが、無知から統治に失敗したことも同じである。アンチーミリタリスムの立場からの記録が、こんどの敗戦についてはあるだけで、本当の戦争文学はまだ生れていないともいえる。元朝興亡史のうちに、鏡の中に見るように、勝利と挫折の跡を読む人もいるかもしれないので、井上氏の筆力と勤勉をもってすれば、それを実現することも不可能ではないであろう。

 ただそれを歴史小説にするためには、井上氏は『蒼き狼』の安易な心理的理由づけと切り張り細工をやめねばならぬ。何よりまず歴史を知らねばならぬ。史実を探るだけではなく、史観を持たねばならない。
 この意味で、井上氏の文学は重大な転機にさしかかっているのである。

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特集 歴史小説論争
『蒼き狼』は歴史小説か  大岡昇平
『蒼き狼』は叙事詩か   大岡昇平
自作「蒼き狼」について  井上靖
成吉思汗の秘密       大岡昇平
歴史小説と史実      井上靖
『蒼き狼』の同時代評   曽根博義
『蒼き狼』論争一     曽根博義
『蒼き狼』論争二     曽根博義
花過ぎ 井上靖覚え書   白神喜美子

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