見出し画像

かの国は誰よりも人間の絶望を知っている国ではなかったのか


  

 ソ連軍のウクライナへの進軍。ロケット弾が飛び交い、炸裂する爆音が大地をふるわせ、町や村が次々に破壊されていく。毎日、報道される戦乱の映像は、私たちの思考を麻痺させる。これはいったいなんなんだ。なにが起こっているのか。かの国は、トルストイトを、ドフトエフスキーを、チェーホフを生んだ国ではないか。チャイコフスキーを、ショスコダビッチを生んだ国ではないか、レーピンを、アイゾワスキーを生んだ国ではないか。誰よりも人間の悲しみを、怒りを、絶望を、そして希望を知っている国ではなかったのか。

   かの国の議会は、反戦報道を禁ずる法案を全議員賛同のもとに可決した。たった一人も反対する議員はいなかった。いったいこれは何を意味するのか。自由と民主主義が、ついにこの国には育っていなかったのか。スヴェトラーナ・アレクシェーヴィツチは、この国の本質を「セカンドハンドの時代」という長大な本で書いている。はるか彼方の地帯で起こっているこの戦乱で、私の思考は麻痺しているが、あらためてこの本を読んで、精神のバランスを取り戻したいものだ。

画像1

 ゼレンスキー大統領は、ロシアの軍事侵攻以降もキエフに残り、国民に向けてメッセージを発信している。
 私はここにいます。我々は武器を置きません。我々の国を守ります! もし、原子力発電所が爆発したらヨーロッパ全体が終わりを迎える!(NATOに対する飛行禁止区域設定の訴え)。飛行禁止区域を導入して下さい。ロケット弾や空爆を禁止し人道的空域を導入して下さい。導入してくれないなら皆さんが私たちを殺したのと同じです。

画像2

 不勉強な私は人道回廊という言葉をはじめて知った。人道回廊とは激しく戦乱の地になっていく町や都市から人々を安全に避難させるルートを作ることらしい。ロシアがウクライナに攻め込んでいる。ウクライナの民間人が危険にさらされる。そこで攻撃目標になっているウクライナの町や都市から、子供や女性や老人たちを国外に、あるいは攻撃の対象外の地域まで脱出するための経路を作ることである。
 このルートづくりは一見、戦争から人々を安全な地に避難させるという人道的な施策のように見える。しかしこのルートを設定するということは、さらにその戦乱がエスカレートするということでもあるのだ。その設定が終了すると同時に、避難させたその都市に、その都市を壊滅するばかりに猛烈な砲弾が撃ち込まれるのだ。

画像3


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?