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その日、朝日新聞は紙面三ページの特集記事を組んだ

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九月十五日の朝日新聞朝刊は、三ページにわたって『検証 虚偽メモ問題――信頼される報道のために』という特集記事が組まれていた。下段の広告をすべて排除して、三ページの紙面すべてを使い切った一大特集記事である。何事が起こったのたかとその記事を読んでいくとき、さまざまな思考が沸きたっていくのだか、その思考が強く喚起させたものが、あの松本サリン事件だった。

あの事件が起こったとき、マスコミが一斉にでっち上げた虚偽報道に私たちはまんまとだまされ、だれもが間違いなくその犯行者は河野さんだと思った。河野さんはなかなか自白しない。しぶとく犯行否認する河野さんに、マスコミはさらに捏造記事をでっち上げて、河野さん犯行説を裏付けていった。それはすさまじいかぎりで、河野家の呪われた家系だとか、一族の怪しい過去だといったことまでが掲載されていく。そんな報道を浴びる私たちは、いよいよサリン事件の犯行者は間違いなく河野さんなのだと確信していったものだ。ところがオウム事件が起こり、この松本サリン事件もまたオウムが仕組んだものであり、河野さんはまったくの濡れ衣だったということが判明した。そのときマスコミはどう対応したのだろうか。そのすさまじい虚偽報道をなした記者たち、さらには局長から社長におよぶまでに厳しい処分があったのだろうか。

マスコミ各社はそれぞれが反省のコメントを出す程度のことで、その犯罪を決着させてしまったが、しかしあの虚偽報道は、そんな簡単に決着させてはならなかったのである。河野さんは徳の高い人で、マスコミに対して一円の損害賠償も請求しなかった。しかしもし賠償金を要求するならば、それは破格の額を請求すべきであり、裁判所はその請求の何百分の一でもいいから、限りなく億に近い賠償金の支払いを各マスコミに命じるべきなのだ。
いや、それは民事事件というよりも、むしろ刑事事件にすべきであって、あの虚偽報道をなしたマスコミ各社の責任者は、すべて監獄に投げこんでもよいほどの犯罪的な報道であった。

いまこの記事を読むとき、松本サリン事件で起こした新聞社の体質は何も変わっていないのだということが、この検証記事によって明らかになったということだった。新聞記者にとって、ペンとは権力と悪に立ち向かっていく道具であった。しかし朝日新聞のペンは、権力と悪のシステムに立ち向かうどころか、なにやらそれらを擁護するために、一人の若い記者をペン先に突き刺して投げ捨ててしまった。朝刊三ページを全段ぶち抜いて埋め尽くした検証記事は、一人の若者の心臓を突き刺すという人権侵害をなした犯罪記事なのだということが、朝日新聞にはわかっているのだろうか。

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