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どの道を選ぶのが正解ではなく、どの道でも最後に目的地に着くのが正解。

ドラえもんが初めてのび太に会った時、同行していたセワシがどんな交通手段を用いても目的地に着けば良いとしていた。

タイトルの「正解」とあるが別にこれが正解というものでもない。

どんな道を選んでも最終的にその目的地に辿り着けばいいのだから片や遠く果てしない回り道であっても、もう一方では短かろうが険しい道であっても道を歩むことに変わりはない。

今の学校教育は選択肢を増やすようなやり方を勧めているのだろう。

詳しくは言わないが子供達に行き止まりをさせてはならないという教育方針かも知れない。

今、思い付いたことがあるがそうした子供の選択肢については別の話にする。


但馬ミツロの試合が延期になってしまった。

本題はここからである。

懸念していたことが起きてしまった。

腰痛を発症してしまったようである。

急激な体重増加がどこかしら体に負担を齎すのではないかと思ったがその通りになってしまったようだ。

ボクシングは怪我がつきものとされるが、このままではいつまで経ってもリングに足を踏み入れることが出来ない。

プロテストの時は120kgあったそうだ。

試合前はそれより10kg減った110kgでいたようだ。

少しずつ体重を減らして階級を変えていくというプランは残っていたのかも知れない。

但馬側のプランや進路に対してはこれが正しい、これが間違っているというものではなかろう。

不必要な小枝を切り落として幹や大きな枝を逞しくさせるというものなのだろうが、不測の事態はどこかで必ず起きる訳で一本に絞った結果育てるつもりの枝が折れてしまうこともある。

今のボクシングはそうした事態に滅法弱いようだ。

プロフェッショナルを自認しているが故に融通が利かない。

感染対策に非常に敏感となってしまい試合すらままならなくなり1年以上試合が出来ないままグローブを置く選手が後を絶たなくなっている。

ミドル級もランカーが五本の指で数えられるくらいしかいなくなってしまった。

ボクシングの打開策が最早神頼み的な状況に陥っている可能性が高い。

コロナが落ち着けばというそうした感覚がボクシング側にあるのではないかと感じる。

正にあらゆる選択肢を残さないで切り落とした結果だろうと感じる。

人の往来が自由だった頃は下手すりゃタイ人祭りやインドネシア人祭りでお茶濁して興行を打てていたのだが、それも出来なくなり実力が伯仲するような選手同士で試合することもなく、ずっと延期が続いていた。

ただ、ボクシングの炎を絶やさないという熱意はジム側(プロモーション側)から伝わって来ており、日本人同士の生き残り対決を模索したり、投げ銭システムやネット配信中継を試みたりと色々な工夫をしている。


ライセンスを一旦返上しK-1に復帰した藤本京太郎が「10年後に格闘技を始める子供たちの選択肢が増えればと思った」と語っていた。

正にその「選択肢が増える」と言うこと他ならなくて、どこかで行き詰まれば立ち行かなくなるのはその経験上から理解しているのだろう。

資源は無限ではないことは京太郎自身が一番よく知っている(筈である)。

K-1が休止状態になった時も拾ったのがボクシングであり、そのボクシングがほぼ休止状態になったら今度はじわじわと再生して来たK-1が今度は拾い上げて来てくれた。

選択肢は切り落としてしまうのではなく太い幹があってどこでも選べる状態の方が正解に辿り着けるのではないのだろうか。

但馬は京太郎が何故ボクシング辞めてK-1に行ったのだと問い詰めたかったようだったが、その答えは今の状況を見れば分かるだろうと思う。

3度オファーしたようだがそれでも断られたそうである。

何度であろうが、多分このオファーには意味がない。

オファーしてどちらが勝とうが負けようがボクシングのヘビー級はただでさえ人材が少ないので3人でぐるぐる回す不毛な結果にしかならない。

スーパーミドル級が日本にはあったが(正確には日本のチャンピオンシップはなくて東洋太平洋)、ランカーが二人しかいなくていつもこの二人で東洋太平洋王座戦を幾度となく繰り返し行っていた。

この頃のスーパーミドル級もヘビー級のチャンピオンシップがなくて実質最重量階級で暫く存在していた。

結局京太郎がボクシングに来ることによってヘビー級が復活してチャンピオンシップを設けるに至ったのだから如何にボクシングそのものが10年前と変わらない神頼み精神でいたか分かってしまう。

京太郎(並びに所属ジム)は選択肢を増やしてほしかったと願っていたようである。

ボクシング側も他団体、他ジャンルからのボクシング参戦を模索していたようだが結局その話もなかったようだ。

現実のボクシングジムはキックやMMAからの選手達にも練習させているが、結局ボクシングそのものは「プロになるからには他を捨てろ」という姿勢を変えなかったのだろう。

オリンピックではプロの選手が競技者として今は出られるようになっているるがボクシングはプロが出ることはない。

プロボクサーがライセンスを返上してオリンピック目指すという形を取っているのは見受けられる。

ある種の厳格とも言えるが一方では頭が固いとしか言えない。

菊野克紀や山本KIDもプロ格闘家ではあったがオリンピックを目指していたのでプロの試合は中断するかもだが柔軟ではあったと思う。

頭の固いボクシングであっても井上尚弥他大橋ジム所属の選手達がアマチュアのボクサーと交えたスパーリング大会をネット中継させたのは良い試みだったと感じる。

無秩序は駄目だが全く動けない状況をどうにか変えていくことは出来ないのだろうかと思う。

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