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コロナが人を追い詰める。

緊急事態宣言から幾週間。

ここ二週間が山場だと何度も繰り返される。

もう流石に人々の精神も追い詰められてしまっているのだろう。

公と私の鬩ぎ合いで、平衡感覚が押し潰されていくのが見て取れる。

やはり格闘技と雖も、ではなくて何にでも当たり前だけれども自分自身との闘いなのだなと感じる。

現世界王者の呟きである。

誰からお金を貰っているかという自覚がすっぽりと抜けてしまった発想である。

所詮身内興行であることを告白したようなものだ。

自分とは無関係だからこうした発言が出来るのだろう。

パチンコをボクシングに置き換えたらどうなる?

K-1がどれだけ叩かれたか忘れたのだろうか?

ボクシングが不要不急という烙印を捺されたからなのだろうか?

JBCは六月末までの興行を中止にしてしまっている。

その間に選手達は試合も出来ずに只管家に閉じ籠もった生活を余儀なくされる。

果たして、五月六日までを期限としているがそれでコロナが終熄しているという確証は持てるのか?

8割抑えればコロナが抑えられるという根拠とは何か?

医者が言ったからか?

それで出ずに抑えられたので五月の二週目から復帰しましたでコロナを封じ込めると考えられているのだろうか?

そこまで来ると狂気であり狂信の世界である。

こうすればこうなるという考え方は流石に自然を侮った言い方であるし、子供の教育に対する見方と同じで強制すればそうなると考えがちな人々の習い性であると感じる。

天気の子を観ていれば分かるかと思うが、自然とは元々狂っているとしか言えないのである。

残念ながら、人々に自然と共生をする覚悟と感覚が失われてしまっているのだろう。

アフターコロナなど信じるに値しないが、限定解除された時、こうした攻撃を繰り返して来た人々は今後どうするのだろう?

かと言って、自分自身は選手を責める気にはなれない。

自分にその番が回って来ただけである。

体を鍛えるだけが強さとは限らない、そう思う。

やはり、人は修行を欠かせないとも思うし、昔の人も言っていたが「衣食足りて礼節を知る」なのである。

礼節が足りないとかではなく、余裕がなくなるということである。

原文はこれのようだが。

「倉廩實則知禮節衣食足則知榮辱」

倉廩實ちて則ち禮節を知り、衣食足りて則ち榮辱を知る。

文化とは即ち余裕があって然るべきなのかも知れない。

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