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王冠を脱がない王様

イギリスのヘンリー王子(愛称ハリー)が高位王族を辞退する話になっているという。
メーガン妃(愛称メグ)と間に子供が生まれてからますます王室から距離を置く形となった。
年末年始はイギリスではなくてカナダで過ごしていたということのようだ。
以前から感じていたがハリーは英王室から離脱しようとしていたのではないかと思われる。
奥さんは3つ年上のメグであるが、このメーガンという名に因んでメグジットMegxitなどと呼ばれる始末である。
Brexitとと言い、イギリスはこういう造語作るの好きだなと感じる。
Brexitなる語はイギリスの別名であるブリテンBritainが(EUから)エグジットexit(離脱)するという造語から来ている。
そもそもイギリスはポンドはそのままなのだがEUに加盟していて取り決めもEUに倣っていたそうでイギリス国民はEUの植民地だと感じていたそうである。
漁業もEUの取り決めに従っていて業者達は困窮をしていたそうである(勿論これは例に挙がっていることではあるが)。

既に知られているがイギリスはイギリス人が住んでいる国ではない。
首都であるロンドンの市長は非イギリス系の人である(正確にはパキスタン系)。

ツイッターでもロンドンには白人しか日本のアニメは描いていないという呟きがあったが、実際はそんなことはなくけいおん!や魔法使いの嫁でもちゃんと非白人のイギリス取り分けロンドン市民を描いているくらい最早ロンドンは多民族都市と化していたのである。

格闘技に倣えばこうだろう。

ボクシングにおけるロンドン五輪代表の金メダリストやリオ五輪の銀メダリストは黒人系だったり、2020年東京五輪の代表を蹴ってまでプロボクシングの道を選んだプロボクサーも黒人である。
少し前ならばナジーム・ハメドというイエメン系のイギリス人ボクサーがいた。

白人はどうした?というツッコミを余所に国家の威信と名誉の為に身体能力のある人材を受け容れているのがイギリスだけでなくヨーロッパのここ最近のトレンドでもあるようだ。
第二次世界大戦後、ヨーロッパ各国は戦争で疲弊していたので旧植民地国辺りを始めとした移民を奨励して復興に当たろうとしていた。
そうした移民達がヨーロッパで暮らして行き二世三世と世代を経てヨーロッパに溶け込んで行った。

K-1などで活躍していた各国のファイター達は実際のところ移民二世であり殆どがオランダ人だったりしていたのである。
モロッコのバダ・ハリ、スリナムのタイロン・スポーンやアーネスト・ホースト、トルコのグーカン・サキ、エジプトのヘスディ・ゲルゲス、アルメニアのドラゴ、みんな代表国はバラバラではあるが国籍はオランダなのである。
オランダも第二次世界大戦に参戦して日本とも戦争をして戦勝国となった筈だったが、戦後に大きな領土を失うことになる。

EUの誕生については説明する必要はないが、通貨統合や国境の撤廃やその他ルールの統一などを図り理想に近づいたと思われたが…綻びを見せ始めることになる。

各国の国民は一部を除きどんどん貧しくなり政治は保護主義になっていく。

元大相撲大関把瑠都も故郷エストニアで国会議員になったものの、当初は落選したのだが当選した候補が辞退したことによるギリギリ当選だった。
把瑠都の所属している政党は与党ではあるが所謂左派で、エストニアの英雄であっても国民は政策を選ぶのである。

イギリスも国民が疲弊して脱EUを考えるようになっていった。

国民投票でEU離脱が決まり、イギリス国民はEUから独立したのだと嬉しがるようになった。

戦勝国の常任理事国である筈のイギリスが落ちぶれてしまうのである。

最早、イギリスらしさというものは何だろうか?

英連邦の王国というだけではなかろうか?

されど近代スポーツ発祥の国であり、相変わらずラグビーもサッカーもボクシングも何もかも強いが。

それ除いてもイギリスの統合の象徴はエリザベス女王だけなのではと穿ってしまう。

女王が国家元首を辞めると離脱する国、地域、王族は沢山出て来るのではなかろうかと思う。

エリザベスを慕うのであってその後の後継者に従う義理はないと。

ハリー自身も王室自体に一見拘りを見せてないようには見える。

しかし実態は“高位”王族を辞退するだけで完全に王族を辞めた訳でもなく税金は貰いつつ王位継承も維持されたままなのだという。

脱出ではなくて小学生の家出みたいなものである。

帰って来ることを前提とした家出であることがバレているので国内では非難囂々らしい。

義務は負いたくないが権利を主張するというこの流れはここ最近見られる傾向にある。

新自由主義者もこんな感じである。

施しはしないが自分の恵まれた地位は確保したい、貧しい人から収奪した資産で更に貧しい人に分配して恩を着せようとするのがここ最近のリベラル貴族の姿勢のように見える。

リベラル貴族とはこちらの造語だが、カルロス・ゴーンや各地各国の富裕層らはこの傾向にあって決して地に降り立とうとはしない。

いいとこ取りと言えばそうであろうか。

誰にでも言えることではあるが、生活水準を下げようとは誰も思わないだろう。

ハリーは兵役にも就いたことはあるがこれは一過性なものだろう。
どの王族にもノブリス・オブリージュの精神はあるようでまずそうした建前を背負う。
しかし、その建前の責務よりも有り余る特権を享受したままだと国民が納得行く筈もなかろう。
国民が苦しい生活を強いられながらもリターンのない暮らしだと流石に反撥も起きる。

エリザベス女王しかまともな王族がいない。

同じくタイでもブミポン前国王が死去してから後継者として息子のワチラロンコンが王位に就いたが、大不評で剰え側室まで復活させてタイ国民から嫌われてしまっている。

正にハリーやアンドルーのような『冠を脱がない人達』である。

考えてみれば国民主権で人類平等なのに自分達があらゆる自由を享受出来ない不平等さを強いられるというのは理不尽ではないか。

国民から最低限の生存権を約束されているものの自由を制限されるのなら王族を辞めたっていいではないかと思う。

しかし、ここ最近の世界情勢を見ても自分の力で生きていくのは難しく却って自由さえも手にすることが出来ないのではないかと思われるので、ある程度の保険がかかった生活を望みたいだろう。

そのような考え方がそうした彼らにもあるのではと思う。
ワチラロンコンも本当は国王になりたくはなかっただろう。
妹に継がせたがったのかも知れないが結局まともな王様になることはなかった。
実質軍隊と憲法に守られた苟且の国王である。

翻って我が国の皇族は“カリスマ”だけで維持出来ている。
奇蹟である。
建前として警察や憲法や皇室典範に保護されているが、国民は皇室を倒そうとは思っていない。
皇室が範を示しているので国民から反撥されていない。

冠は被る人こそ相応しくなければならない。

テレビゲームなどでは王族が王国の危機に際して冒険に出ることがあるが、彼らは冠を脱ぐことはない。
王族でなければただの人でしかない。
貴種流離譚という物語の構成もあるが、仮令一度は王国が滅んでも王族が帰れば王国が復活するのである。
ロードオブザリングもそういう話だった(元々テレビゲームの構成はこれが元になっているが)。

革命で王国を逐われた元王族が、その革命政権が短命に終わった時に国民から戻ってきて欲しいという要請があっても拒否することがある。
具体的にはアフガニスタンやブルガリアなどである。
狂気の社会主義政権が矛盾を孕み崩壊した後に王国の記憶が残っていた国民から再び王位に就いて欲しいと願っていても最終的に国民が決めることだとして断りを入れる。

カンボジアは王制に戻ったがカンボジアの場合は仕方ないだろう。

国民が“成熟”していればこそ民族の長は必要ないのかも知れないが、今の段階では矛盾が混在しているようである。

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