無敵の人を作らないためにも
無敵の人に関して今更説明する必要はないだろう。
ひろゆきが考案した言葉だが社会的に認知され始めた。
追い詰められた人が社会への復讐をする為に無差別大量殺人を行うことだが、時々発生したりしなかったりを繰り返す。
犯罪件数は過去から比べると少なくなってはいるが、一気に被害に遭ってしまっては「運が悪かった」などととてもじゃないが言えやしない。
パラサイトシングルが高齢の親と死に別れてしまったり、介護を始めたりするパターンがある。
個人的に思うに無敵の人はこうしたパラサイトシングルの鬼化だけでなく、ストーカー殺人者とか、広域強盗で叩きをやる実行犯など追い詰められて丸で法律が機能しないような犯人に類推されるのではないか。
直接的な人殺しをしないまでも指殺人など誹謗中傷やネットで通報されて逮捕や裁判を起こされるのが分かってるのに平然と繰り返す人間も準無敵の人じゃないかと感じる。
尤も、誰しもが人殺しの素養があるのでこの人は必ずこうなるし逆にこうはならないというものではない。
言うまでもないが最早万引きが高齢者が惹き起こす物と言う認識が定着し始めたが、昔は若者がスリルを味わう為にやるものだという認識だったのである。
どんな地位にいても過去どんなに真面目であったとしても老いさらばえて犯罪に手を染めてしまうことくらい造作もない。
孤立化してしまえば人は均衡を保てなくなる。
崩れ落ちたら犯罪に手を染める、ただそれだけ。
昔だったら宮崎勤みたいな人間も生来からそれだったりビデオの影響で変貌したみたいな論調が事件発生から30年間も変わらなかったのが正直のところ社会の怠慢だったと思える。
社会が前向きにもならずずっと放置してきた。
一見もすれば孤立化した人間がオタクみたいに見えることだろう。
確かにその通りなのだが、宮崎勤はどこまでも現実が自分の所しかなくて文字通り自分自身を追い詰めてしまった。
宮崎勤も捕まってから取調べを親身になって行なったらべらべらと喋るようになったという。
宮崎勤もオタクも一般人も地続きのところにいる。
孤立化してしまえば宮崎勤と同じところに誰しもが転落する。
これだけである。
みんなはこの自覚がない。
尤も集団が狂っていれば同じく狂うものである。
オウム真理教や連合赤軍なんかもそうである。
かと言えば、世の中が狂っているのだと思ったら自分自身が正に狂人の道へと転落する。
無差別大量殺人に関する研究調査が法務省から出ているが、こちらは対策がはっきりしている。
孤立化させない為にも尽力すると書いてあるのだ。
しかし余りにも予防意識が強過ぎてしまい、国家が引き籠りの家の扉を強制的に開けて「お前はこれから人殺しをする可能性があるから隔離して治療する」なんて言えるのだろうか?
これこそ人権侵害である。
その事もきちんとそれには断っている。
法治国家の限界と言えばそうなるのだろう。
誰しも人権があるものだから、分かっていても出来ないことくらいとっくに理解しているのである。
このページに色々と書かれているので参照されたし。
調べ上げたからこそ、原因も分かる。
すぐに結果を出すものでもないからこそ良い方向へ一歩一歩と歩み出すしかないのである。
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