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王冠を脱がない王様その3

今回は相撲のことについて取り上げようと思う。

ここでいう王冠とは既に察しがついているかも知れないが権威として扱っている。
相撲で言う権威とは文字通り横綱の地位のことである。
今更説明するまでもないが強さと威厳があってこそ横綱たり得る。
今の大相撲には横綱が二人だけしかいない。
多い時で四人もいたが半分になってしまった。

弱くなった。

土俵の外で理不尽に暴れた。

いずれも横綱の権威を毀損して土俵から降りてしまった。

横綱になるのは難しい。

横綱であり続けるのも難しい。

そもそも力士になるのでさえ足切りから始まる。
背が低過ぎても駄目、量(かさ)も軽過ぎても駄目、結局無差別級故の協会からの配慮だと思う。
相撲協会はパターナリスティックであることは良くも悪くも指摘されている。

そうであっても最近では小兵と呼ばれる力士が活躍して来ているのでウルトラヘビー級の風潮から脱出出来ているのではないかと思う。
今まで体の大きさを利用した外国人力士が席捲して来たが、その自重に耐えられなくなって次々とその地位から降りて行く。
単なる大きさ重さよりも技術が尊ばれるようになったと思う。

時代が変わったと思う。

30年前の平成初期の相撲も所謂ハワイ勢と呼ばれる体の大きな力士が擡頭して来て日本人力士が悉く投げ飛ばされたり押し潰されたり肉の壁に阻まれて来た。
恐らくこの平成一桁、90年代の力士を論っても若貴を除いて外国人力士以外の力士の名を知る人はいないのではないかと思う。

若貴以降日本人横綱が出ることもなく、日本人力士による優勝者もいなくなってしまった。

体が大きいだけでなく少数精鋭のエリートモンゴル人がやって来てやっぱり土俵を席捲する。
日本人どうしたとさえ思うようになった。
横綱に近かった日本人力士もいたが道半ば辞めることにもなった。

はっきり言ってしまえば体が大きくなければそれをカバーするような技術もなかっただけである。
攻略しようにしてもそこまでに至る機転も持ち合わせていない。

ボクシングと似ている。
ミドル級以上の世界に伍するボクサーが出て来ないのと同じ世界。
ボクシングもミドル級以上の世界と対峙する選手が出て来なかった状況と被る。

結果から言ってしまえば選手を育てる環境が貧しい他ならないのだが、いまだ蔓延る精神論の所為でどれだけの人材や逸材を潰して来たのだろうかと思う。

モンゴル人だけでなく外国人力士達はスカウトによって集まった逸材である。
初めから違う。
ただ最近では日本の名門校に通わせて力士にさせるケースも増えたし、逆に遅れをとったような日本人力士もアマチュアから引き抜くことも目立つようになったし、全速力で遅れを取り戻して来ているようにも感じる。
外国人力士の強さと弱点もこの20年で研究して来たのだろうと思うと忍びない。

白鵬も鶴竜も長年横綱で居続けていたが最近になって休場が目立つようになった。
というよりも、実際初日を失敗(しくじ)ると休場するようになる。
無双していたモンゴル人力士の攻略方法が見つかったのだろう。
※尤も白鵬は帰化して日本人力士となったが。

白鵬はオリンピックでの開会式の土俵入りを目標としているようだが、しかしそれまで保つのかと思う。
オリンピックまで二場所中一場所出るようなペースで保つのではないかという見立てが現実のものとなってしまった。

横綱は休場を繰り返しても番付が下がることはないが負け続けてしまうと協会から引退勧告を出されてしまう。
横綱は特権を有しながらも責務を負うこととなる。
相撲協会のコンプライアンスでも土俵外での理不尽な暴力は一発退場とするようになった。
責務と権利は表裏一体。

報酬も高いという。

日馬富士も横綱時代に得たお金でモンゴルに学校を建設するようになったし、朝青龍も案外散在するようなことはしないでモンゴルの土地で蕎麦農場を作るようになった。
曙は横綱として君臨しても年寄株を持つことが出来ずに結局土俵から去るようになってしまい、他の格闘技に転向しても恥辱を晒すことになってしまうのであった。
琴欧洲は年寄株を持っていなくても大関経験者ということで親方になることが出来て部屋まで持つことが出来るようになった。
初めは一時的な処置であった筈だったが。

ここまで堅実な人達を見たりすると、やはり過去から学ぶのだろうと思った。

曙の姿はもう一つの自分の将来だからである。

流石に今の横綱二人はこんな惨めな道を歩もうとはしないだろう。
大砂嵐が試合した時のファイトマネーが1000万円だったと言うが、恥辱を晒してまで得るお金ではなかろう。
曙のデビュー戦のお金も億単位だったという。
当然今の格闘技にそんなお金を出せる余裕はないし、大砂嵐が出ても視聴率が一桁にしか及ばなかったので投資としてもリターンのないものである。
力士が土俵の外で活躍しようにも実際何の役にも立たないことが分かってしまっているので元力士を登庸することはしないという。
特別扱いはしないことらしい。

力士のその後はそれぞれではあるが、今の横綱二人はほぼ誰が見ても明らかのようにタイムリミットまで刻一刻と迫って来ているように見える。
休場という特権をフルに活用して本場所を休むが、力士の仕事はそれだけでないことは明らか。
地方巡業もあるのでそこに出られればお客さんに横綱としての顔を見せることも出来る。

現役でいられる時は王冠を被ったままでいられる。
巡業でも王冠は被れる。

ただ、それを裏打ちするのは紛れもない「強さ」である。これは先に説明した通りで、結局強さを証明するためには本場所に出るしかないのである。

現実的には協会も今の段階で横綱二人に辞めて欲しくはないのだろう。
横綱不在の本場所がここ最近目立つが横綱そのものがいなくなる事態に陥ることだってある。
横綱たり得る資格を有するとされる大関陣も陥落、角番を繰り返してしまっているのでおいそれと横綱にさせる訳にはいかない。
横綱の在位が長いと結局大関達も時間と体力を磨耗してしまうのでここに来て彼等にも相撲人生の危機が訪れる。

横綱二人が来場所を休んでも直ぐ協会から引退勧告というものは出ないだろう。
その先を休んでたって出すことはない。
精々“激励”だと思う。
稀勢の里の時も激励だった。
あの時も横綱がいなくなってしまうという危機感を感じたからだろう。

王冠を脱がないというよりも、寧ろ王冠を脱がせたくないのかも知れない。

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