カウアン・オカモトがブレイキングダウンに出ていたという
正直出場していたことすら気付かなかった。
そしてその試合に勝っていたことさえも知らなかった。
改めて説明する必要もないが、最底辺の人間が承認欲求を得る為に集う格闘技イベントのことを指して言う。
この人物も誰だったのか言うまでもないし、もう賞味期限が切れちゃったのだと感じる。
現実はさして甘くないのだね。
ひところ注目浴びていたのにいざ事が進むと一気に世間の話題から消え失せてしまう。
何かしらの注目カード以外がなければ斯様なイベントを観ることはない。
無料でなくPPVなのでそこまでして買って観る価値はあるのかと個人的に思う。
いわくつきの人間同士殴り合っていればいいし外野がこの価値はどうたらなんて言う必要もないだろう。
それがその人達にとって必要であるならば、必要なのである。
素人が出て殴り合うというもので、嘗てボクシングがその受け皿だった筈なのだが、段々とプロ志向が強くなり過ぎてチンピラ達の入る隙がなくなってしまった。
本人も結局そういう類いなのだなと心底思う。
多分多くの人達は彼がそんなところに出ていたことすら知らないと思う。
すっかりと過去の人となったので誰も興味を持たなくなっているのだろう。
あとは彼の今のサポートする人らや周辺のファン辺りが支えていればいいのだ。
承認欲求の果ては無いので、正にゴールがどこにあるのかすら無いと言えるだろう。
一体何を指して「可哀想」と言えるのだろう?
無名だった頃か?
名前も顔も出して告発した時か?
すっかりと忘れ去られた現在か?
承認欲求に囚われてずっと殴り合い続けることか?
百歩譲って彼の歩んだ人生を可哀想だとしよう、それで今はどうだろうか。
今の人生は今自分で選んでいるのだからそれで十分であろう。
椅子もパイも限られているし全員に均等に平等に配られるものではない。
不幸にも座れなかった者がいたり、パイすら手に入れることが出来なかった者もいる。
少し話を逸らすが、20年以上ずっと就職氷河期に打ち拉がれてしまった世代がいるがそんな彼らにも今の正規雇用者や今のまともな家庭を築いている世帯と等しき待遇を与えるべきだと今、誰が思っているのだろうか。
キャリアを積めなかった人に今更管理職やら重要ポストや若手並みのハードワークを任せられるのかと言われれば首を縦に振る訳にはいかないだろう。
江戸時代なら朱印船貿易を信じて外国に置き去りにされた武士達であり、明治時代なら特権を剥がされた士族であり、戦後なら平等になってしまった旧華族である。
偶々割を食ってしまった世代にはその時は可哀想とも言えるかも知れないが、何十年も経っているし企業の一つくらい潰せなくて(グッドウィルは潰せたらしいが)結局日本全体が老いさらばえて貧しくなって人手不足になってしまって今更氷河期世代にも賃金上げてお呼びを掛けざるを得なくなっているのが今の状況なのである。
少年達を集めて枯れ木の賑わいをやらせても結局花は咲かずにそのままフェードアウトする人達はたくさんいたであろう。
そこにいたから人生が狂ったのだろうか。
正直どうだろうか。
親の所為とも言えるだろう。
親も一発逆転を狙って子供を預けて人気者にさせようとして来た。
アイドルだけでなくスポーツや受験勉強なんかそれで時として子供も親も限度や諦めを持たないと怪物に成り果ててしまうのである。
今の彼らは大人である。
少なくとも親の指図なんて従わないし自由である筈だ。
それでもまだ何か言うのであれば完全に無視すればいい。
今の彼らはそうした親に指示を受けて生きている訳でもない。
と、考えれば殴り合って生きているのもまたその人の人生なのだし大いに自分の人生を謳歌すべきである。
おめでとう。
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