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『わたし』を失わないために腹から声を出す

大晦日。SNSを眺めると多くの人が1年を振り返って様々な投稿をしていて、そんなムーブに駆り立てられるような気がするけれど、そうじゃない、と自分に言い聞かせる。誰のためでもなく自分のために私は言葉にしなくてはいけない、と。なぜかというと、この1年、言葉の持つ重要性に大きな気づきを得たからに違いない。そして、自分をより強くしていくための覚悟のようなものを持ちたいからなのだ。

私自身は現在、こどもや若者の居場所感をどのように作っていけるのかということに専ら関心を寄せて普段活動をしているわけだけれど、正直この1年、とても心が挫かれるような思いが多かったように思う。ニュースを見ると、不登校や自殺をするこどもの数が更新されていたり、こどもが苦しくなって親を殺す等の報道もあった。貧困対策という目的のもと、多額の資金が投入されて市民活動や民間団体を中心に食糧供給されている(させているとも言える)構図にもモヤモヤしたりした。自分の無力さを知った。社会を変える、と胸を張って言うことは傲慢になる気がして憚られたし、一方でこのまま口を閉じていることも違うように思った。

また、パレスチナでは多くの人が本人たちの生きる場所や資源を失われ、ジェノサイドに近い状況になっている報道を毎日のように耳にしていた。何が起こっているのかを理解することが、せめてものできることで、起こっている事象に、どこか諦めのようなものを感じる自分がいたことは否めない。そんな時、友人に誘われて試聴したのが、「緊急学習会 ガザとはなにか」登壇:岡真理 早稲田大学大学院文学研究科教授だった。時間が許せば、是非視聴してほしい。(特に00:47:24人間性を取り戻すためための文学の言葉、の部分)

その講義でハッとさせられることがあった。それは、「文学は人間(私たち)にヒューマニティーを取り戻させる」という言葉だ。他者の人間性を否定することは自らの人間性を手放しているということであり、逆説的に言えば、言葉は人間性を保つための武器なのだ、と岡教授は話す。

私は、この講義を聞いて自分自身の人間性を手放していないか心底省みた。そして、その人間性を持つ場面は、きっかけとなったガザで起こっていることに対してだけではない。普段活動をしているテーマに対してもそうだし、目の前の人や、自分自身に対してもだ。一人の人として、人間性を持った人でいられているかどうかということだ。

因みに、最近読んだ「まとまらない言葉を生きる」の著者である荒井裕樹さんも似たようなことを書いていた。

つらかったり、苦しかったり、寂しかったりする時に、そっと「自分を支えてくれるもの」というのが、この世界にはあると思う。そうしたものの存在を信じようとする心の働きのようなもの。それが「文学」だと思う。

社会の見えていることは、力の大きいものの作用によって見えているに過ぎない。民主主義なんだから、全員に声をあげる権利があるではないか、という反論もあるかもしれないが、声をあげる力そのものに偏りがあるのが社会なのだ。だから、価値観は多様だよね、それぞれだよね、と自己責任という言葉で人との距離を隔て、孤立させるようなことがあってはならない。

私は「言葉」にしていきたい。”自分”がどう感じ、何を考えるのかを伝えられるような人でありたい。既に伝えたように、自分を含めて様々な事情を持っている人が共に生きるために必要なことだから。相手の気持ちなんて誰にも理解できっこないかもしれないけれど、想像することならできる。尊厳を守り、励まそうとすることはできる。ブレイディみかこさんは、「誰かの靴を履いてみること」と表現していたっけ。

そして、他者と生きることを考えるには余白が必要だ。だからまずは自分自身の尊厳を守れるよう、声を出す力をつけていきたい。例えば、嫌だと思った時に「嫌です」と言えることだ。先日、性暴力予防の授業をしている方の話を聞く機会があった。講師の方が「もし、帰り道に見知らぬ男性が現れて、突然、車に引き込まれそうになったら、どうしますか」と参加者に問いかけた。一同が「近くにいる人に助けを求める?」と反応を返したのだか、その方が仰るには「腹から声を出しなさい」ということだった。「おおおお」と。性暴力は、相手の力が優位であることを確認するため、優越感で満たすためになされる行為だ。だから、その時に助けを求めることは、自分が弱いことを認めているようなものであり、余計に相手の思うがままなのだそう。私はこれを聞いて、自分にも当てはまるものを感じた。全体の空気を乱さないために、相手からの評価を損なわないようにするために、笑ってごまかしていないか。腹から「NO」と言えるだろうか。言葉にできるだろうか。

思い返せば、この1年、「腹から声を出していきなさい」そんな励ましの言葉を教えてくれる、強い方にたくさん出会うことができた。だから、私もそんな風に強くなれるよう、腹に力を入れて言葉にする練習をしていきたいのだ。

言葉は受け止めてくれる人がいないと、コミュニケーションにならない。だから、よければ受け止めてください。そして一緒に腹から声を出して受け止めあいませんか。また、次の1年もどうぞよろしくお願いします。