いつか生ゴミになる 


 私は気がついた時から”私”であったのだが、思えば随分不可思議なのりものを動かしてこの世界と接しているものだ。この「からだ」と呼ばれるのりもののことだ。のりもの、という概念を知るより前から”私”はこの身体を動かしているので、この身体がのりものだと気づくのに随分時間がかかってしまった。物心ついた時には、どう動かすかについて考えずとも良くなっていたし、乗り換えたことがなかったので、これは”私”であるとすら思っていた。しかしどうも、私はいつかこの身体を乗り捨てる時が来るのである。ということを、私のように、何者かが身体を操作しているらしい、同じような身体を見ていて知る。ある拍子に身体は操る存在を失って、外側から動かさない限り、動くことはなくなるようなのだ。それを知って、”私”は私の身体に乗って操っている私というものに気付いたのである。いつかある拍子に抜け出ていく”私”という存在を。身体とは”私”に身体の外からの刺激を入力し、”私”の意思を身体の外、世界へ出力する仕組みを持った”私”にべっとりと癒着するのりものであったのである。その全てを意思の元に組み立ててみた訳ではないのでその全ての仕組みを把握することはまだ叶わないが。
 魂、などと言うつもりはない。ただいつまで経っても世界のどこかで起こっている戦争とその犠牲となった人々の死を、インターネットとSNSが発達した現代において私たちは嫌と言うほど生々しく目撃したその時、この身体は永遠に”私”と共にあるのではなく、こののりものはいつか別れてこの物質世界に残り、いつか生ゴミになるのだと強烈に知ったのである。

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