救いを求めているの。


 私たちは救いを求めているの。たくさんの誰かの物語の中に。そこにある、本当のことに触れると私たちは、高揚して、生きるということを感じられる。もう、別にそれが自分の生かどうかなんて関係ない。自分達がただの物語の受容体でしかなく、インプットをなぞらえてアウトプットするだけの有機的システムだとしても、それの何が問題なんだろう?私たちは電気の代わりに食べ物からエネルギーを得ているだけ。私たちの体の内部だって、刺激を伝えるのは電気信号なのだ。
 どうしてだろう?私たちは消費ばかりしている。一人の人間が生産するのは効率が悪すぎて、生産をシステムに委ねるしかなくなってしまった。そうして私の力を吸い上げられるだけ吸い上げられて、自分のものにはできない。ただの価値になってしまう。喜びが脳から吸い上げられていく。手を通って私を喜ばせる前に。
 誰かが作った人工物から、私たちは一生懸命救いのかけらを吸い上げている。
 自分が明日生きていくために。
 私たちは、自分で自分の力を受け取ることはできないかもしれない。けれど、価値になる前に、値打ちのつかない優しさを誰かにあげられないのだろうか。この手を通って出ていく、誰かのための力に触れることはできないのだろうか?それは紛れもない本当のことでしかないのではないだろうか?私は喜びの瞬間に触れたいのだ。
 救いが価値になる前に。

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