遺書のなりそこない、が出てきた話

 気まぐれに昔書いていたメモを読み返していたら、かつての自分が書いた遺書のようなものが出てきた。
 当然、この記事を書いている現在自分は生身で生存しているので、この遺書は不要になったわけである。ただ、読み返していたら当時のことをつらつらと思い出して感慨深くなり、また今だからこそその文章から見えるものもあった。せっかくだしここに記事にして、無用の長物となった(いずれ必要になるとしても、その時はその時の自分が新しく書くだろう)遺書のなりそこないを供養してやりたい。
 簡単にこの遺書の背景を説明すると、書かれたのは2021年6月のことである。自分は2020年2月頃から精神疾患を抱え、そのために当時働いていた職場を辞めざるを得なくなった。同時にコロナ禍が襲来したこともあり、実に1年半もの長きに渡って失業期間を味わうことになる。求職活動をしていてもなかなか採用までこぎつけることが叶わず、また病状も良くなる兆しが見えずに、どんどん追い込まれ、ついには本気で命を断つことを考えるようになった。そうした中で書いたものである。

『就職活動がうまくいかないままついに失業保険の受給期間を終えてしまった。このまま生きていても仕方がない。誠に勝手ながら人生に区切りをつけることとした。
 お父さん、お母さん。迷惑ばかりかけてきて、最後まで何の恩返しもすることができず本当にごめんなさい。大学まで行かせてもらいながら、自分の人生を真面目に考えてこなかったばかりに、目も当てられない情けない人生になってしまいました。お父さんにもお母さんにもさぞ情けない思いをさせてしまったと思います。その上先立つ不幸まで押し付ける形になり、自分は本当に身勝手な人間です。許してくれとは言いません。どうかこんな息子などはじめからいなかったのだと見捨てて下さい。
 〇〇(妹の名前)にも本当に沢山迷惑かけたし、情けない思いも沢山させてきました。こんな兄でごめんなさい。共通のマンガや映画等の話をしている時はとても楽しかった。本当にありがとう。約束していた謎解きバー、一度行きたかったね。〇〇もこんな兄がいたことはどうか忘れて下さい。✕✕くん(妹の彼氏)とお幸せに。
 △△ちゃん。』

 ここで、文章は止まっている。書きかけなのだ。そういう意味でも、遺書になりそこなっているわけである。
 『△△』というのは、自分が当時付き合っていた女性の名前である。付き合いだして4年経った頃だっただろうか。自分の失業期間も別れずにいてくれた最愛の女性だった。
 では、肉親一人ひとりにメッセージを遺そうとしたこの文章において、なぜ彼女の名前を記したところで、自分は筆を止めたのだろうか。愛情が未練となって思いとどめた? いや、当時の心境はおぼろげに覚えてはいるが、とても人のことに構っていられるような精神状態ではなかった。とにかく生きていた証をたった一つでも遺したくて、そのために書いていたに過ぎない文章だったのだ。
 では、なぜ書けなかったのか?
 何と書けばいいのか、分からなかったからだ。
 最愛の女性であるにも関わらず、当時の自分には、彼女に対して何と書き遺せばいいのか、一文字たりとも浮かばなかったのだ。
 当時、そのことが自分で不思議で仕方なかった。こんなにも好きで感謝しきれないほどの恩もあり、思い出もたくさんある。それなのに、どうして書けないのだろう。そう考えたら、自分がとてつもなく薄情な人間であるように思えて、途端に涙が溢れ出てきたことを覚えている。散々泣いて泣いて……泣き尽くした頃には、先程までのドロドロとした心が嘘のようにスッキリしてしまって、遺書を書くのも死ぬことも面倒くさくなってやめてしまった。人間、現金なものである。それとも自分が特別面倒臭がりなだけか。
 そして、この2週間後、自分はなんとか再就職を決めることができたのだった。

 さて。先程の疑問に戻ろう。なぜ、自分は彼女に対して『何と書けばいいのか、分からなかった』のか。
 当時の自分には出なかった答えであるが、今振り返ると、なんとなく分かるような気がするのである。
 書けなかったのは、なんのことはない。彼女との関係を言語化できなかったからだ。
 もっと言うならば、彼女との関係が、その当時もなお変わりつつあるもので、固定化したものではなかったからだ。
 父・母・妹との関係は、すでに自分の中で固定化され、変わることのないものとして、言語化しうるものだった。一方で、彼女との関係はまだ不変のものではなかった。付き合い始めからそれまでも様々な思い出を重ねながら少しずつ変化してきたもので、そして今後も変化していくであろう可能性をもった、流動的な、現在進行系の関係性。まだ答えの出ていないもの。それが、二人の間にあるものだった。
 答えのないことを、言語化することはできない。だから、言語化できなかったに過ぎない。
 そう、現在の自分は思うのだ。

 さて、この遺書のなりそこないを書いてから2年半の歳月が経った。その間に変わったことと言えば色々あるが、個人的に一番大きな変化は小説を書き始めたこと。そして彼女との間で一番大きな変化は、二人の左手薬指に指輪が光っていることだろう。
 2年半前よりも文章力は……いざ知らず、書ききる力は少なくともついたと思う。そんな現在の自分なら、では『恋人』から『家族』へと変化した彼女に対して、何かしらのメッセージを遺せるだろうか?
 正直自信は、ない。やはりまだ、彼女と自分との間にあるものは、現在進行系で変化していると思うからだ。
 今後、どのように変わっていって、果たして固まる日は来るのだろうか。それを見届けるまでは死ねないなあ、なんて思うものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?