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今年けっこう本読んでるかも

去年の暮れに3年弱務めた会社を退職し、自覚なき学生となってからだいたい1年が経った。
大きく変わったのは、自発的に本を読むようになったところかもしれない。年間平均0〜2冊だった自分が現在10冊以上は読んでいるのは仕事辞めてイキイキしたからだと思う。人生の秋休み最高!と思う日もあれば全く思わない日もある。

読んでたのは基本的に小説とエッセイ。エッセイストってどうやったらなれるんだ。
本を勝手に読んでくれるオーディブルを2ヶ月無料体験している。何度も同じ行を読む事も理解にかかる時間も減り、電車で本読みたいけど電車で本を読んでる自分ってなんかやだな〜、という自意識が邪魔する事も無くなった。
p.s 解約し忘れて3ヶ月目に突入

本読んで思った事とか書きます。
適当言ってるだけです!細かい内容まで覚えてるわけじゃないので勘弁して下さい(陳情)


年始のマジでなにもしてない時期に図書館でしろいろの街の、その骨の体温の/村田沙耶香を読んだ。村田さんはコンビニ人間で有名だと知ってたけど、表紙のニュータウンの白さが西陽に照らされていてなんか良かったので、こちらにした。
1人の女子が思春期の葛藤を通して成長する話、でまとめられるあらすじではあるんだけど、この思春期がとにかくどぎつい。
小中学校の思い出したくないくらい痛い行動や教室の空気の悪さのリアリティ。最悪な記憶を箱に詰め鍵を掛けて忘れ去ろうとしてたのに、お前こんな事してたよな?!と勝手に開けられているような感覚になってめっちゃ嫌だった。記憶が拷問を受けている。
小学校で仲が良かったグループが中学に上がり階級分けされることで話すことも無くなり、あげく「なんであんな奴と遊んでたんだ」と当時の思い出をゴミのように扱うあの感じ。自分の立ち位置が危うくなった時だけ友達ヅラで匿ってもらもうとする図々しさ。
思春期のしょうもなさが全部入ってる。つまんね〜けど懐かしい。
こいつらしょうもない、と自分のことを達観していると思っている主人公さえ、小学校からの幼馴染を欲求のまま「おもちゃ」にしようとしている。彼氏が、彼女がどうこう言う集団を眺め、そんなつまらない関係じゃない。私にはおもちゃがいるんだから、と思える思春期さたるや。痒すぎる。自分のようで。
他中学生のグロさがみっちり詰まっており途中で気分が悪くなった。が故に、ラストの主人公が羽化する様は美しく清々しかった。
中高生向けの「死にたくなった時に読む本」としてメディアで紹介されていたらしい。あんま良くない気がするよ〜〜


同じく村田さんの信仰も好きだった。シビアすぎるくらい現実的な主人公が知人に金稼ぎのためカルトを立ち上げようと持ち掛けられ、実際に開く話。
価値観は人によって本当に違うから、何が真実か嘘かなんて外部が決めるような事ではないんだなあ〜。
今から縁日を楽しもうとしている人の前で、縁日の食べ物は高くてまずいから買うな!と言えるほど「私は現実を見ている。そんなものには騙されない」というスタンスの主人公も、現実という宗教にズブズブにハマっているだけなのかもね、というメッセージ。凄いな。
実際、高校の時に過激な原価厨の友達がいたし、奴ほどでは無いが私もスーパーに行くと一個当たりの値段を計算したり、味ではなくグラム数で購入を決めたり、高額商品を買うとき必ずクーポンの有無を調べたりする。←こいつケチ←お前がケチ
浄水器は詐欺で、キモいブランド食器に700万出す事が正義、と思っている人もいる。実際、それ騙されてるよ!と言ったところではいわかりましたで辞められる人なんていないと思うし。
多様性として配慮できる範囲は結局自分の世界にあるものだけという真理、分かってはいるんだけどいざという時にいつも抜け落ちてしまっている気がする。




強すぎる光は時に毒になると感じたのは、光のとこにいてね/一穂ミチを読んだから。
医者家族の娘で、冷たい母からの抑圧を受けて暮らすユズちゃんと、団地に住む、母の自然思想を押し付けられ、まともなご飯も食べられずに暮らすカノンちゃん。小学生の時に出会い、はじめての友達になった2人の少女、お互いを特別に思いながらも、運命によって離れては引き寄せられる2人の人生の物語。
どんだけきつい描写でもどこか透明感のある文体がすごい。
「この子変だ、と少し思ったけれど、私がママの言うことを聞くように、この子もママの言うことを聞いてるだけなんだと思う(うろ覚え)」小学生でこんな考え方できるか〜!!
小学生の時から家庭を持つような年齢になるまでの長い時間、ほんの僅かな思い出を反芻して心の中で大切にしてきたはじめての友達が、目の前にもう一度現れたら、自分に足りないあと1ピースを持っている相手ともう一度出会えたとしたら。そりゃあ人生投げ出すだろう。
2人の視点で交互に独白が続く形式なんだけど、話が進むにつれお互いの光が強すぎて、他が全部薄暗くぼやけているみたいな生活を無意識にしているような気がした。
家族を置いて、もう光のとこにいなくても良い選択をした2人のラスト。幸せならOKですとは易々と言えないような終わり方だったが、お互いしょうもない親のもとで育ったから、悲しいけれど自分勝手な部分が似ちゃった故の行動なのかもなと思った。
若干ご都合感のある展開はアニメ映画をみてる感覚だった。嫌いじゃないぜ。百合てえてえとは思うが愛とか絆とかで片付けてはいけないような関係性がここにあると思う。わたくしとても好き。



今村夏子さんの作品はけっこう読んだと思う。友達から本を借りたこときっかけでとても良い体験をできてありがたい!
この方の書くSFが好きだ。今なぜならSFじゃないからだ。メンクリに通っていることを大っぴらに話せる現代と違い、昔は社会の第1段階で振り落とされる人たちはまとめて「電波系」と呼ばれ嘲笑の的となっていたらしいが、この方の小説がSFのような話になってしまうのは、語り部がいわゆる電波に導かれて行動しているからなんじゃないかと思う。
何かが確実に抜け落ちている主人公が、気になった物事に異様なまでの執着を見せる。良くも悪くもねじれた展開になっていく…という話が多い気がする。
また、全身の体温が下がるような体験を書くのがめちゃ上手い。
預かって、と頼まれた子供が騒ぐので、止めさせる為に口を塞いだら力が強く窒息させかけた時(白いセーター)お年寄りに道を聞かれたので、段差だらけで林道だが早く着く、自分だけが知る近道を教えた翌日、お年寄りが林の中で倒れていたことを知った時(嘘の道)とか。良かれと思ってやったことが完全に裏目に出る体験はよくしがちなので、自己投影して読んでしまうと何も考えられなくなってしまう。
今村さんの小説は読み終わるといつもからっぽな気分になる。感情がぐちゃぐちゃになる、の逆。ワクワクしたり熱くなったり、感動させるような作品は大好きだけど、心をバリウム飲む前にさせてくれる作品は貴重だと思う。どの作品にも多かれ少なかれある虚しさが心地いい。頭の中が冷静になることが少ないので、自分にとって虚しさは必須の感情なのかもしれない。だからこちらあみ子も星の子も感動小説では全然、ないです!!

ちなみに一番好きな作品は、せとのママの誕生日。今まで書いた好きなところは全部入ってない。女が集まって思い出話をしているだけ。彼女らは無意識に棺桶に花を入れる行為をしているのかも。



ずっと気になっていたテスカトリポカ/佐藤究もようやく読めた。すごい!おもしろい!大好き!
凄まじきクライムノベル。著者の方、マジで人間が嫌いなんだろうなと思った。なんか滲み出ている。
中南米の実情に詳しくなかったので、現在でも麻薬カルテルの紛争による残忍な出来事が行われているのかは分からないが、とにかく凄惨なシーンが次々襲ってくる。残虐行為が淡々とした感情のない文章で紡がれていく。筆致の無機質さのおかげでグロ映画苦手な自分も読み切ることが出来たので、映像化しちゃったら良くないかもと思った。
登場人物がタバコ感覚でコカインやクラックを常用していてハードボイルドすぎる。
ほぼ初めて知る大量のアステカ神話の情報の洪水が気持ち良くて仕方ない。だからこそ裏切ったファミリーを処刑するシーンでコシモが感じた違和感が分かった。すごい構造!ラストシーンは信仰を私欲の為に使ったらちゃんと神の裁きがあるぞということなんだろうか。ただバルミロもテスカトリポカの裁きを受ける事を待っていた訳だし、自分が間違った信仰をしているという自覚もあったんだろう……無宗教の国民だからこそこの辺の感情が想像出来ないのが、よりこの物語を難しくさせてくる。
煙を吐く鏡とは何のことを指すのか判明した時や、アステカの伝承がメキシコの国旗の絵と結びついた時など本当にワクワクさせてくるところが多い。
「血の資本主義」ビジネスは全てが惨く、かつ目を背ける事が許されないような内容で気分が悪くなった。ただ、もし本当に寺の地下に巨大なシェルターがあったらと考えると、ちょっとワクワクしてくる。
パブロがこの話で1番等身大の人間をしている。コシモの心を救うため「宗教には宗教をぶつける」をやっててすごい。
人を選ぶけど確実におもしろい。(賞とってるんだから当たり前だろ!!)世の中に出してくれてマジでありがとうと思った。



クライムノベルと銘打たれた本では黄色い家/川上未映子も読んだのだが、クライムノベルではなくただただひん曲がった、(自分のレンズで真っ直ぐに見えている)1本の道を歩いているだけ、のような小説だった。主人公が人生で間違えたら取り返しのつかない選択を全部間違えて進んでいくので何度も読むのを辞めた。あと主人公と自分の悪い部分が似ていて、すごく嫌だった。初めて出来た友達に自分勝手なムーブをして、取り返しのつかない事になっている場面を苦い顔をしながら読んだ。
黄色は風水的に幸運、金運を呼ぶ色だと知り、期待や楽しさで小物を集めていた時の黄色は、瑞々しくて鮮やかな色の印象があったが、困窮した心、余裕のない状態から藁にもすがる思いで家の壁をペンキで黄色くしたり、小物についた埃を払うよう恫喝するシーンでは、くすんでるというか黄ばんでいるというか…後半にかけて黄色がネガティブな印象になっていて、小説が上手すぎると思った。
黄美子さん、出会った時のカリスマ性がどんどん描かれなくなっていき、終盤は何も出来ない人として扱われているのが悲しい。子どもが憧れる大人って基本社会のはみ出し者だからなあ。
「幸せな人間というのは金を持ってる奴でも地位がある奴でもない。何も考えない奴だ」
冷蔵庫に食料が沢山入っている状態こそ安心という状態である、など響いた言葉や表現が幾つもあるからまた読みたいけど話が辛すぎる。



この人のオーディブル限定作品(違うかも)春のこわいものの中のあなたの鼻がもう少し高ければも虚しいけどいい作品だった。インスタのリールタイトルが羅列されるだけのパートが、端的にその人の興味の限界を表している感じがして怖かった。
クレオパトラのアレが元ネタなんだろうけど、お前の鼻が高かろうが低かろうが世界は何も変わらない、という無力感の塊のような作品をタイトルで表しているのが既にヤバい。
無料で公開されてるみたい!



推し、燃ゆはすごかった。短いのに、濁って読み取れない若者の心情をよくこんな書けるもんだ。
うちのお母さんはファンのことをフアンというが、それは置いといて「推し」という言葉を使用することに自分はどうも違和感があった。人と会話していて好きなものを指す際は面倒なやつだと思われたくないので使うこともあるが、それくらい市民権を得ているのにも関わらずなんか違うな…と思っていた理由みたいなのが読んで解消されたような気がする。
自分も、好きなものの動向のことを考えて体調不良になったり、眠れなくなったりすることはよくあるが、「推し」ということができないのは結局のところ自分を中心に生活しているからだ。
自分が頑張るために活力をもらっているのであって、推しが輝くために自分が頑張っているのではない。推し=神、の様なものとしたときに初めて推し活は成立するのだと思う。
宗教。まさしくそう。祭壇だとか誕生日ケーキだとかを用意するストイックさ。話の中盤は見ようによってはスポ根ものみたいで面白かった。実体のないものを依存先に設定することの恐ろしさも同時に描かれている。
最後背骨を失った主人公が這いつくばりながら自分の骨を拾う様はまごうことなき純文学。
というか指輪付けてライブ出るアイドルとか実際居るんか?怖いもの無さすぎる。



嘘つきジェンガ/辻村深月の中のあの人のサロン詐欺も別ベクトルでオタクの生き方を提示してくる話だった。
好きな漫画家が匿名作家なのをいい事に、自分だと偽って創作サロンを開いてしまう話。主人公が自分の考え方や生き方と符合する部分があって若干ムカついた。
親への態度も悪く、お礼ひとつも言えない、働かずにずっと家にいる子供部屋おばさんは、漫画家として人前に出る時だけは、生徒の作品を細かく添削し、周りへの気配りも欠かさない完璧な「先生」と呼ばれるような人間として振る舞う。自分は本当に漫画家だと思い込むことでそれが出来てしまう。
好きな人に自分を近づけるタイプのハマり方をする人って実際に結構居る。同じ髪色にしてみたり、同じギターを買ってみたり。楽しむ範囲内なら良いんだけど、たまに完全にその人になろうとしてる人もいる。正直心理が分からない。その人と全く同じ事をしても、そこから出てくる感情は違うんだから完全に同じにはなれないんじゃないか?虚言を実行している点では虚言癖持ちの自分からするとガッツを感じる。
心を潤わせる為の詐欺なのが嫌だね。
現実でも絶対に、「私がadoです」と言ってボイトレ教室開いてる奴とかも居るんだろうな。
p.s
とか書いてたら本当にadoを名乗る偽物が暴れて騒動になってた……。やっぱ居るんですね


利酒師の参考書もとても良かった!そこそこ日本酒に詳しくなった。なんとなく美味しい〜で飲んでいた酒の輪郭がくっきり見えるようになったのはデカい。(酔っ払ったらまたぼやけちゃうね〜なんつて〜)うんち君になりそう。雑学大好き!
ワインの専門書も結構読み込んだが、酒屋に行っても「習ってないところだ…」と尻込みしてしまうので楽しめるのはもう少し先になりそう。今は日本酒の方が好きだからってのもある。


例えば1人で居酒屋に行ったとして、常連のおじさんと酒の話をしたとして、若輩者がそれなりの知識を持っていたとしたらどう思う?
もしかしたらムカつくんじゃないか?
無知な若者に説明するという楽しみを奪うことになるんじゃないか?

いやさすがに舐めすぎか…人生の先輩を…



これを書くにあたって、一応他人の感想を見た方がいいかもしれないと思い、読書メーターという自分が読んだ本の感想をあげられる過疎SNSを見たのだが、

1824冊目。話の意味がわからない。全く感情移入できなかった。終わり方もはっきりしないし「で?」って感じ。

「数」を読んでるだけの人

のような自己顕示のためだけに読書をしているようなコメントをしばしば見かけて可哀想だった。たくさん本読んでるほど賢いとか思ってそう。相関関係がないことが証明されちゃってる☺️
はっきりしない終わり方ってなんだろう。主題があって、それでも人生が続いていくのだ、という日本文学の面白いところ。楽しもうとする姿勢があればもっと面白く読めるのに。


今年の趣味が読書なだけで来年はあまり読まないような気がする。なんかの感情に響いた本があったら教えてください。

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