みじかい小説 #152『鴨の親子』
昔、こんな動画を見た。
ある鴨の親子を、人間がカメラを持ってぞろぞろと追ってドキュメンタリータッチで撮影してゆくというものだった。
鴨の子供は全部で11羽。
親ガモは一羽でそれだけのヒナを連れて、とある川をくだってゆく。
はじめは近くの池にいた鴨たち。
安全地帯からいざ出て行かんとする段になり、いきなり烏に襲われるという難関が待ち受けていた。
そこはなんとか親ガモが烏を追っ払って事なきを得たが、次の難関が待っていた。
水流である。
無事、川辺に出ることに成功した鴨たちは、こんどは川をどんぶらことくだってゆく。
親ガモが先頭に立って泳ぎ、コガモたちはその後を一匹ずつ不安定に揺れながらふいふい泳いでゆく。
半日かけて川をくだったところで、鴨の一家は人間様の敷いたブロックという難所にさしかかる。
そこは水がせき止められ、小さなダムになっていた。
親ガモが手本にと、一羽だけで先に立って、器用に急流を抜けてゆく。
コガモはそれに続けとばかりに、小さな身を急な流れに躍らせる。
しかしここで不幸が起こる。
なんと11羽のうちの3羽が、ブロックのはざまの急流に呑まれてしまったのだ。
親ガモは必死になって足りないコガモを探すが、3羽のコガモはブロックの隙間に隠れて親ガモからは見えない。
3羽がのコガモは、ブロックとブロックの間に存在する急な渦にのまれ、じたばたもがくのが精いっぱい。
そんな状態が数時間、続いた。
すると、ある瞬間に、水の勢いが弱まったのか、3羽のコガモが次々に川岸に現れた。
3羽とも、ひどく衰弱していて、自力では親ガモのもとへたどり着くことが出来ない。
息も絶え絶えに、か細い鳴き声で親ガモを呼ぶしかない。
3羽のうちの1羽は、ちょうど浅瀬に打ち上げられて、足をぴくぴくと動かしていた。
それを逃さない目があった。
烏である。
一瞬の出来事であった。
夕闇の中、烏が上空から舞い降りて、浅瀬に打ち上げられていた1羽をつかむと、どこかへ連れ去ってしまったのだった。
「あーっ」
思わずもらしたのだろうカルガモ一家を追っていたカメラマンの声が入っていた。
残りは2羽。
うち、1羽は無事、鳴き声を聞きつけた親ガモによって保護された。
しかし2羽目は、不幸なことに、茂みに近い場所にいて鳴き声をあげていたため、隠れていた猫によって食べられてしまったのだった。
ここでもカメラマンの苦い言葉が記録されていた。
そんなこんなで数を減らしながら、カルガモ親子はぶじ、目的の川辺へとたどり着く。
最終的に、数は半数以下になってしまっていたけれども、これが厳しい自然の掟とばかりに、カメラマンは最後までカメラを回してくれていた。
その姿勢に敬服したのを覚えている。
カルガモについては、偶然人間がとらえた一家でドラマチックに編集されてはいたものの、貴重なカルガモ人生の一ページを拝見させていただいたので一方的に感謝したい気分になった。人間が見えないところでも日常的に起こっていることなのだろうけれど、偶然動画を目にすることになった縁をもって、遠くからありがとうと伝えたい(かなり昔の動画なのでもう死んでいると思うけれど)。
さて、なぜこんな話をしたかというと、今日の昼間に外を歩いていると、ちょうど小学生の集団が色とりどりのランドセルを背負い、担任とおぼしき大人に連れられて、手にA4の用紙を持って、おそらくフィールドワークに出ていたのに出くわしたからだった。
また、午後の散歩中にバギーを押す母子とすれ違ったからかもしれない。
新たに育ってゆく命を、春はいつになく伝えてくれる。
願はくは、新たな可能性がすくすくのびのびと育ち、平和な世の中でぶじ花開きますように。
そう願って今回の記録を終えたいと思います。
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