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みじかい小説 #138『まちのお医者さん』

 思えば日曜から少し体調が悪かった。

 今日は月曜日。
 寝起きに寒気がしたので念のために体温を測ってみると37.5度あった。

「あら、今日はお休みしたほうがいいんじゃない」
 妻の悦子が、体温計を片手にぼうっとしている俺に向かって言う。
「開業医が風邪くらいで休んじゃあ患者に笑われるよ」
 俺は言う。

 仕方なしに朝食はとらずにおいて、俺はシャワーを浴びる。
 汗で全身べとべとだ。
 このぶんだと寝ていた布団まで汗で湿っているかもしれない。
 今夜そんな布団に寝るのは嫌だから、悦子に言ってクリーニングしてもらおうか。
 そんなことを考えながら俺はシャツに袖を通す。
 そこへ悦子がグラスを持ってやってきた。
「はい、解熱剤」
 見ると右手に水の入ったグラス、左手に錠剤を持っている。
 ありがたい。

 俺は悦子からそれを受け取りひとくちに飲み下すと、白衣をはおり二件隣りの医院にまで足を運んだ。

「おはようございます」
 元気のいい声で挨拶をしてくるのは看護師の田原さん。
 マスクで顔の半分が見えないというのに、顔じゅうばっちり化粧をしているのがよく分かる。医院のムードメーカーだ。
「どうも」
 くぐもった声で控えめな挨拶をする、こちらも看護師の野田君。
 少し影のある彼だが、事務作業はお手の物。
 なくてはならない存在だ。
 この医院では他にも2名看護師を雇っているが、今日は二人とも非番らしく顔は見えない。

 幸い、田原さんにも野田君にも、顔色が悪いことは気取られずに医院長室まで来ることができた。
 ふうっと息をついてポットに湯を沸かす。
 湯が湧いたら粉末状のコーヒーをマイカップに入れ、そこにあつあつの湯を注ぐ。
 冷蔵庫から牛乳を取り出し、そこへとぽとぽと加える。
 すきっ腹にコーヒーはよくないが、これは毎朝の儀式なのでやめるわけにはいかない。
 出来上がったそれに口をつけながら、今日、あさいちで既に待合室に待っている患者のカルテに目を通す。

 ああ、いけない忘れていた。

 俺はあわててカルテを置いて窓際の検査キットに手を伸ばす。
 インフルエンザの検査キットだ。
 念のために調べておかないと。
 俺は備え付けの上半身が映る鏡を前に、顔をあげ、鼻の奥深くに長い綿棒を差し込んでいった。
 熱のせいもあって少しえずいたが、検査は無事終了した。

 数分待って、放置していた検査キットに手を伸ばす。
 結果は、
「陽性――」
 思わず声に出る。

 俺は大きく息を吐いた。
 全身の力が抜けて、大きな黒革のソファに身を横たえる。
 しばらく目を閉じ、おもむろにスマホを取り出す。

「ああ、えっちゃん、俺。今日代わってくれない?」
 えっちゃんとは妻のこと。
 こういう時のためにでもないが、妻はいつだってスタンバってくれている。
「いいよ、今から?」
「そう。インフルエンザが陽性だった」
「あらー。急いで行く。待ってて」
 短いやりとりの後、十分もすると悦子が化粧もせずにやってきた。

「じゃ、バトンタッチ」
 言って悦子は俺の白衣をはぎとる。
「任せたよ」
「りょーかい」
 この医院は悦子との共同経営だ。
 悦子とは大学のころに知り合ったが、結婚を機に悦子は家庭に入った。
 いつだったか、それで不満はないのかと聞いたことがあるが、「楽だし、いいよ。私」とのことだった。
 以来、こうして二人三脚でやっている。

 神原医院。
 小さな町の医院だが、こうして夫婦でやっている。
 今日は俺は休みとなったが、体調がすぐれない際はぜひ利用してやって欲しい。
 では、あとは悦子に頼んで俺はベッドに横になるとする。
 あのしっとりと湿っているであろうベッドに。
 

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