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みじかい小説#169『旅』

 ときどき、マキは思い出したように、ひとり旅に出かける。

 今年のゴールデンウイークも最終日をむかえ、マキは旅行鞄を片手に、ひとり列車に飛び乗った。
 世間の休日とは一日ずれた日程だが、それがいいのだ。
 マキは列車の中に持ち込んだビールを、早速、開封する。

 目的地は県境けんざかいの山奥にある旅館である。
 列車で2時間の旅である。
 マキはいい具合にほろ酔いになり、走る列車の外を流れてゆく景色に目をやる。
 見渡す限りの田んぼ。その中に防風林に囲まれた立派な瓦屋根二階建ての民家が点在する。そんな景色を眺めていると、ときおり、こんもりとした鎮守の森に鳥居がそびえ立っているのが見える。
 どこへ行っても、同じ風景だ。
 日本の原風景ともいえるそのような景色の中を進む列車に揺られながら、マキはぼんやりと過去、現在、そして将来のことを考える。

 マキは去年の夏、十年間つとめた会社を辞めた。
 結婚の話が出たからだった。
 しかし、その話は結局、駄目になった。
 当然のように落ち込み、そして当然のように浮上した。
 給料は劣るが新しい職を探し、この休暇明けに就職することが決まっている。
 今回の旅は、マキにとっての慰安旅行であり、新たなスタートを切る記念の旅行でもあった。
 マキの心の中には、これまでの自分に対するお疲れ様といった心持ちと、これからの自分に対するワクワクした期待が入り混じっている。

 ぷしゅーっと音を立てて、列車はいくつめかの無人駅にとまる。
 ホームは無人で、でかでかとした看板だけが、のっと立っている。
 ぷしゅーっと音を立てて、列車のドアが閉まる。
 路線図を一駅一駅、進めていくように、マキの人生も一コマ一コマ進んでいく。
 それは決して一足飛びにはいかないスピードで、けれど確実に一歩進むのだ。

 マキは再びビールに口をつけると、そっと目をつむり深呼吸をする。
 がらんとした車内に、列車のがたんごとんという音だけが響いていた。

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