みじかい小説 #140『花見』
春もまっさかり。
アイは、午前中の授業を抜け出して、今年こそは満開を見ようと、花見のできる土手まで散歩に繰り出した。
天気は晴れ、歩いていると汗ばむ陽気だ。
土手が近づくにつれて同じ目的を持っているのか、人通りが多くなっていく。
おばあさんの三人連れ、学生の集団、小学校を休んだのだろうか、それくらいの子供二人を連れた父親らしき人ともすれ違った。
ふふ、春だなあ。
春はなんだかいい。
なにがいいって、寒い冬でちぢこまっていたものがすべてぶわっとと芽吹くような、そんな雰囲気がいい。
まるで世の中すべてが祝福されているような気分になる。
自分もそのなかにあって、大きく背伸びをするのだ。
ぐーんと。
自然と笑顔になりながら、アイは土手にたどり着いた。
川辺はアスファルトで塗装され、大昔に植えられたのであろう桜の大木が等間隔に1kmは並んでいる。
県の名所でもある。
それだけあってこの土手には、今日は十や二十ではきかない数の人であふれている。
アイは雑踏にまぎれて進む。
見ると川辺のベンチに一人の男性が座っている。
としは五十くらいか。
その男性が、桜がつくる木陰のなかで、静に本を読んでいる。
アイはなんとなく気になり立ち止まると、人込みを避け、その男性の近くに立った。
何を読んでいるのだろう。
勿論ここからでは文字など見えないが、アイは気になった。
しばらく見ていると、桜の木から小さな桜の花が額ごと落ちてきた。
おそらく鶯か何かがついばんだのだろう。よくあることだ。
しかし驚いたことに、その額が、男性の開いている本の上に落ちたのだった。
へえ。
アイはひそかに感動した。
こんな偶然を目撃できるなんて。
ところがアイはさらに驚くことになる。
なんと男性が、おもむろに本を閉じたのだ。
当然、桜の花は額ごと本に挟まれた。
しばらく何が起こったのか分からなかった。
男性はなぜそんなことをしたのだろう。
けれど、しばらく考えて、なんとなく答えは見えてきた。
男性は、きっと即興の「おしばな」を作ったのだ。
今年の春をああして本に閉じ込めて、時間をかけて永遠のものにするために。
そうしておそらく来年の同じころに、きっとあの本を開くのだ。
きっとそう。
アイはひとり想像力をたくましくした。
そして地面に落ちている額のかたまりをひょいと拾い上げると、自分の手帳にひらりと置き、そっとページを閉じた。
ふふ、おそろい。
アイは桜ふぶきの舞うなかを、意気揚々と学校へ帰って行った。