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みじかい小説 #142『さくらもち』

加奈子は今年大学生になる。

 もう一人暮らし用の部屋に入って一ヶ月になる。
 一か月間、加奈子は大学のシラバスとにらめっこしていた。
 それも四月に入りようやく解放され、桜の花も咲いたことだしと、近所の偵察にのりだした。

 すぐ近くに小さな川が流れているのは、地図を見て知っていた。
 その川を下ると100m先にスーパーがあることも。
 けれども、今日は川の反対側に行ってみようと足を向けた。
 景色は途端に、見慣れない街並みへと変ずる。
 もう何年も前からそこに建っているであろう家屋や、築数年の物件、10階はあるマンション、コンビニ、ドラッグストアなどなど、なにもかもが目新しくて、加奈子は歩調をゆるめきょろきょろしながら足を進める。

 そんなふうに風景を楽しみながら元の小川の端に戻ってきたところで、加奈子はふとこじんまりとした看板を見つけた。
和楽庵わらくあん」と書いてある。
 入り口は3mほどと小さく、加奈子の目線の上から天井までは、黄緑色ののれんで隠されている。
 少し腰をかがめて玄関のガラス戸の内をのぞいてみると、薄暗い店内にはカウンターが見え、その中に小さな和菓子が鎮座しているのが目に入った。
 その一番手前、カウンターの角のところに、まんまるの、シンプルなおはぎが並んでいる。

 おはぎ!
 加奈子は喜んだ。
 迷うことなく足を踏み出し、和楽庵のなかへ入ってゆく。
 ちりんちりんと小さな鈴が鳴り、しばらくして奥から割烹着を着たおばあちゃんが出てくる。
「いらっしゃい」
 おばあちゃんは一段高くなった奥の座敷からおりてきて、つっかけを履いてカウンターの内側に立つ。
「もう春ですねえ。桜餅が出てますよ」
 言っておばあちゃんは、カウンターの内側からのぞいてみせる。

 四月のあたたかな陽気とはうらはらに、店内の空気はひんやりとしている。
 まだ影に入ると肌寒いんだな。
 加奈子はまくっていた袖を手首までおろす。

 ではでは。
 加奈子は腰をかがめ、まじまじとカウンターの中をのぞく。

 確かに、桃色の桜餅が桜の葉でくるまれているのが目に入る。
 かわいい。
 食べると中のあんがつぶつぶのもち米とからんで美味しいのだ。
「これをひとつください。あと角にあるおはぎもひとつ」
 加奈子は注文する。

 しかし、再びカウンターの中に目をやると、他にもかわいらしい和菓子が並んでいるのが目に入った。
 球を半分にして、へらで桜の花の形に成形され中央に黄色い花粉を模した粒の置かれたもの。
 まあるい緑をはさみでちょきちょき切り込みを入れてぼわぼわにした上に黄色い粒をまぶしたもの。
 白い小さな玉を花びらに見立てて、それを五つつなげて中央に、これも花粉を模した粒の置かれたもの。
 他にもずらりと並んでいる。

 加奈子は不思議に思った。
 これだけの和菓子がはけるだけのお客さんが、ちゃんと入るのだろうか、と。
 けれどその疑問はすぐに解かれた。
 加奈子が会計を待っているうちに、次のお客さんが入ってきたのだ。
 そのお客はレジの前に立つおばあちゃんに言う。
「河野さん、いつものね」
 常連さんなのだ。
 加奈子はふうんと内心で合点がいった。
 きっとこのお客さんは茶道教室かなにかやっているのだ。
 で、こうして毎日和菓子を買いに来るのだ。
 おそらくこの和菓子屋は茶道界隈で。
 きっとそう。

 ふふ。
 加奈子はなんだかうれしくなった。
「ありがとうございます」
 カウンターごしに、選んだ和菓子の入った小さな紙袋とレシートを受け取り、加奈子は急ぎ新居へ戻った。
 クリーニングされた新しい家で、まだ床に散らばる段ボールからお気に入りの小皿を取り出し軽く洗うと、その上に買ってきた和菓子を並べる。

 ふふ。
 加奈子はふっと、和菓子を口に運ぶ。
 春がきたのだ。



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