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文字変換暴走ノートパソコン 後編

BB波動研究所

 今回の文字変換暴走の不具合の原因究明チームを最も悩ませた問題が、再現性だった。

もうこれ以上、答えは得られそうにない。こうなったら、外部に頼るしかないと、社長のナガセ カイトは決めた。

そのタイミングで、剣山城寺の住職から紹介されたのが、このBB波動研究所だった。住職から渡された小さな紙に書かれた場所だ。
出向くメンバーは、タナカとチュウジョウ、その他の適当な三人が立候補した。社長のナガセと研究開発部門長ヤナギサワも同行した。

 総勢七人を出迎えてくれたのは、白衣姿に金縁メガネ、いかにも優秀そうないかにも誠実そうな青年だった。
「研究者代表のリチャードと申します。ぼくは、香港から来ました」
と、流暢な日本語で名乗った。

出迎えてくれるのは、BB博士ではないのか・・・と少し落胆しながらナガセ社長が尋ねた。
「BB博士には、今日、お会いできますか?」
「残念ながら・・・BB博士はこちらにはいません。でも、私たちが対応いたしますので、どうぞ、ご心配なく」
と、リチャードが答えた。

通された部屋は、機械がごちゃごちゃ並んでいた。白衣を着た研究員が何名か振り返ってお辞儀した。

 ここでは、主に物体の波動を測定している。一見振動などしていない鉱石でさえも、微細に振動しているらしい。波動から不具合の原因を特定しようという試みを行うと、リチャードが説明してくれた。不具合が発生するノートパソコンと全く発生しないものの部品を一つ一つ調べていく。

しばらくして、リチャードが
「あなた、あなた。ちょっとお願いします」
と、呼びとめたのは、タナカとチュウジョウではなく、ナカガワという五十代の研究員だった。不具合を出せる人がスゴいという風潮にどっぷり浸かっていたので、ナカガワは小躍りしたいくらいだったが抑えて、さっと一歩前に出た。
「あなたが持っているそのノートパソコンを、ちょっとこちらへ」

 リチャードは、渡されたものにそっと手を当てた。試験用⑤というシールが貼られている。

「この外側だけ取り外してください」
「えっ、外側?」

波動測定が再開された。そして、ついに、
「ついに!100%の再現率を突き止めたぞ!やったぞ!」
声が上がった。

 いくつかのノートパソコンの外装と、いくつかのレアメタルの波形が一致していること。二つを近くに置くと、波形と波形が合わさって増幅する。つまり強化されるということがわかった。つまり、これが不具合と関係しているらしい。

不具合が生じる条件は、
・ノートパソコンの外装のいくつか。これは、間伐材を薄く切り出してプラスティック加工したものである。
・レアメタル(剣山城寺で採掘)のいくつか。
・タナカとチュウジョウ(この二人の波動も測ったが、因果関係は突き止められなかった。付け加えておくと、ナカガワは不具合を起こせなかった)

「しかし、波動とはな、これは絶対にオレたちだけではわからなかったな」
「確かに・・・」
「考えてみれば、パソコンっていうのは、精密機械だから、波動の影響は受けるわけだ」
さくらんぼカンパニーの七人の興奮は、しばらく冷めそうもない。

天才マッド・サイエンティストBB博士

 リチャードからの報告を受けて、BB博士は深くうなづいた。

これまで、科学的は細部に細部に分岐していく傾向にあった。だが、もうそれでは、追いつかない。全体を見る目が必要なのだ。

ジグソーパズルの一つのピースを研究するのもいい。それも必要だ。
だが、絵を完成する人がいないと我々は、迷い続けるだろう。
絵は、神のみぞ知るという態度ではいけない。科学は進歩しすぎた。
どのピースとどのピースが繋がっていているのか橋渡しできる人材がいないと、世界はバラバラになるだろう。

そうか、やはり、次にやるべきことは、人材育成だなと確信し、明日朝一番にイシヤマと話すために隣の幼稚園に出向こうと、天才マッド・サイエンティストは、決めた。

さくらんぼカンパニーデザイン部 マキセ ユリカ

「ハードウェア部門研究開発部のヤナギサワです。例の文字変換暴走の不具合についてお話ししたいのですが」
という電話を受け取ったとき、マキセ ユリカは思わず
「どちらにおかけですか?こちらはデザイン部です」
と、言ってしまった。言ってから、ちょっと強い調子だったなと反省した。

ヤナギサワは、
「ここに来る。とにかく、会って話したい」
と言う。不具合発生から、人ごととして遠巻きに見てきた。火の粉が急に降りかかるとは、思いもかけなかった。
いったいどんな要件なのだろう。

 五分もしないうちに、ヤナギサワ トモヤは現れた。場違いな場所に来た感をめちゃめちゃ出して、キョロキョロしている。マキセは、
警戒を解いて、手を振った。
「ヤナギサワさん、マキセです」
と、来客用のソファに座るよう案内する。

「同じ会社なのに、全然雰囲気が違う」
おどおどしている研究開発部の人に
「コーヒー、いかがですか?」
と、マキセはいつもの自分のペースを取り戻して言った。

「実は、この資材について伺いたいのです。国産のノートパソコンということで、本物の木を薄く削り、プラスティック加工するアイディアを提案されたのは、マキセさんだと聞きました。資材調達も、マキセさんがされたのですか?その辺のお話しを聞かせてもらえますか?」
「はい、わかりました。ちょうど間伐材の利用に困っている自治体のことを、ニュースで知って。それで、今度は薄く切って乾燥させる技術を持っている会社とプラスティックのようなコーティング加工業者を探しました。頑丈で軽量、見た目がおしゃれ・・・と、ちょっと要求が高いかなと心配しました。ですが、運が良かったのです。うちの要求をすべて叶えてくれるよう、尽力してくれる作業所を見つけたのです。障がいを持った方達の作業所でした。所長さんは、高い技術があれば、障がいがあっても稼げるって証明したいと言ってらしたんです。この話を伝えたら、ナガセ社長も賛同してくだいました。少々お待ちください。資料を取って参ります」
マキセは、作業所のパンフレットやノートパソコンの外装の試作品を見せてくれた。

 そして、今度は、ヤナギサワが、問題だったパソコンの外装を取り外したものを見せる番だった。
「問題は、これです。これが問題のレアメタルと組み合わさると、波形が増長されるそうなんです。この外装と内部に搭載したレアメタル、これらの放つ振動をそれぞれ調べてもらいました。木と石なんて、全く異質でしょ。ですが、実はこれらは同調していたんです」
紙に波形を書きながら説明する。
「それから、ここから先がよくわからないんですけどね、ある人間がこれを操作すると、文字変換がおかしくなるんです。これが、その問題の外装です。赤いテープを貼っています。そして、こちらは、不具合は出ない。一見同じに見えるが、波動を測ると違う。これらは、同じ時期に生産されました。何が違うのか?マキセさん、わかりますか?」

「わかりません・・・」
「誰に聞いたら、わかりますか?」
「えっと、作業所ですかね・・・」
マキセは、記憶を辿った。心当たりがない。企画、試作、そして、生産が軌道に乗るまで何も仕様を変えていない。とりあえず、二つの外装の写真を撮らせてもらった。
「調べてみます。わかったら、すぐに連絡します」

マキセは、間伐材利用作業所キラキラ星に電話して、所長さんに話しを伺いたいと伝えた。

間伐材利用作業所 キラキラ星

 所長のテンカワは、自分では技術屋だと言っていたが、大企業の管理職を経験していた。障がいをもつ息子の将来を案じて、早期退職してこの作業所を立ち上げたのだった。

「お尋ねの件ですが、間伐材も、木を薄く削り出すやり方も、道具もうちではずっと変えていません。成形やプラスティックコーティングも同様です。さっき、友人の会社に連絡を取って、コーティングの材料全て変更していないことを確認しました」
「そうなんですね」
マキセは安心した。パソコンの外装が文字変換に関係するなんておかしな話だ。

でも、念のため、もう一押ししてみようと思った。
「あの、作業所のメンバーさんに変化はなかったでしょうか?」
いぶかしげな顔のテンカワに、マキセはあわてて説明を加えた。
「実は、文字変換の不具合の原因を調べようと、不具合を再現するのに、それができる職員とできない職員がいまして・・・その違いが何かはわからないのですけど、だから、もしかしてと思ったのですが。非科学的ですよね。」
マキセの声が小さくなっていく。

「ちょっと待ってください。作業記録が残っていますから、調べてみましょう。えっと、納期をもう一度教えてください」
テンカワは、マキセが気の毒になり明るく言った。

「お待たせしました」
うすみどり色のファイルを手にしたテンカワが戻ってきた。
「いつもと変わりないです。いつものメンバーが作業しました。ありがたいことに、ここは働きやすいって、みんな辞めないで元気に通ってきてくれます」

「そうですか。あっ、いや、それはいいことですね。すみません。何か不具合に関係することが見つかったらいいなとそればかり考えていました」

 テンカワは、声を上げて笑った後に言った。
「この仕事をしていて思うことがあるのです。いわゆる『障がい』というレッテルを貼られた人たちって、やっぱり、突出した特別な才能を持っているんです。その突出した何かを見つけてあげられるかどうかは、周りの人たちの役目なんだと思います。そこを理解している家族のもとに生まれたら、才能は磨かれるでしょう。でも、社会でうまくやっていけないところにばかり注目してしまうと、不幸になっていくと見ていて思ったんです」

テンカワは手振りを入れて説明してくれた。
「社会で適応できない具合をこれくらいとします。左手ね。そうすると、突出した才能は、右手だとすると、これくらいなんですよ」
右手を左手の高さに合わせる。
 どんな人でも、左手だけ高いってないんだと信じているとテンカワは強調した。このバランスがちゃんと同じになるように力を尽くすのが、僕の仕事だと思う。なぜなら、このバランスが取れたときに、その人はスーッといい仕事をし始めるんだ。目の前の作業に集中し始めるのです。そのとき、顔が輝きます。
と締めくくった後に、
「すみません。全然お力になれなくて」
と頭をかいた。

「いえいえ、ステキです。私もそんなふうに自分が仕事する意味というか、哲学というか、そんなものを持ちたいと思いました」
マキセは、まぶしいものを見るように顔を上げると、テンカワはニッコリ笑った。

 マキセは、帰社しようと思ったが、テンカワの話を聞いて気が変わった。もうひと頑張りして、間伐材を切り出している材木所に行ってみようと思った。

モウリ材木所

 マキセ ユリカは、間伐材を実際に切り出している、モウリ材木所に向かった。
製品化に向けて何度か打ち合わせをさせてもらったので、ここには来慣れていた。木材の香りとチェンソーの耳をつんざく音で、いやでも目が覚める。

あいにく、所長のモウリは不在だった。アポなしだから、当然か。せっかく来たので、さくらんぼカンパニー用の間伐材を調達してくれている担当の方に会いたいと頼んでみた。担当者は、マキセの知らない人に代わっていた。

 互いに自己紹介をして、不具合の出たノートパソコンの生産に使用した間伐材が特定できるか、聞いてみた。彼は、最近アメリカから帰国したばかりで、さくらんぼカンパニー製のノートパソコンの文字変換暴走問題について知らなかった。マキセは、そこから説明した。そして、間伐材が文字変換に何らかの関係を及ぼしているらしく、それを突き止めたい。ご協力いただけないかと思って訪ねたが、前任の方にお聞きしなければなりませんねと自己完結した。

 相手が、何も答えないので、マキセは相手の顔をシゲシゲと見た。彼が思いのほか、イケメンだということに気がついて、マキセはドギマギした。確か、彼、シゲノさんと名乗ったかな。自分は言いたいことだけ言って、まくしたててしまったわと、勝手に反省した。

シゲノは、にっこり笑って、
「もしかしたら、お役に立てるかもしれません」
と、言った。

 休憩所で缶コーヒーを飲みながら、シゲノはこんな話をしてくれた。

「前任者は、休暇をとっています。その製品に使われた間伐材についての詳しいことは、前任者も、わからないと思います。木材は、切り出し、乾燥、検査を経て、やっと加工することができます。いつ切り出されたのか、どこの山から切り出されたのか、おおよそのことはわかりますが、薄く切り出したものにロット番号はつけらないので、それ以上のことは、追求できません。

 マキセさんのお話を聞いて、お役に立てるかなと思ったのは、ぼくの研究していることなんです。ぼくは、アメリカの大学で物理学を研究しています。専門は、因果関係を見つけることなんです。あ、今、夏休みを利用して、ここ、叔父の製材所でバイトしているんです。   

 実は、森ってすごいんですよ。地下には、根っこが張り巡らされているわけですが、これがインターネット並みのネットワークを形成していて、互いに通信しているのです。カナダの森林学者は、炭素をやり取りしていることを突き止めました。芽をだしたばかりの若い木って、たいてい日陰のような不利な場所にいます。そんなとき、大きな木が炭素を送って応援したりするわけです。その他に、キノコなどの菌を介してやり取りしていることもわかってきています。これらは、物質的なやり取りですよね。これってすごい発見ですよね。

  僕が研究しているのは、量子的な視点から因果関係を突き止めることです。物体の移動や情報伝達の速さには限りがあります。最も速いのが、光速だと言われています。これ以上の速さは今のところ再現されていないんです。
 人間の直感みたいなものはどうでしょう。光速で説明できないとぼくは思っています。もっと、速い気がしませんか?「虫の知らせ」というもの説明つかないです。
 それを説明できるかもしれないのが、量子力学です。簡単にいうと、素粒子、あ、分子を構成している、陽子、電子、中性子なんかのことです。ちょっとイメージしてみてください。ある一つの分子の中に二つの電子がぐるぐると回っています。酸素分子02みたいなものです。これらを引き離すと、それぞれがぐるぐる回り出しますが、必ず、対になるのです。一つが上むきなら、もう一つは下向き。
 双子に例えます。赤と青の帽子をどちらも持っていて、一人が赤を被ると、瞬時に、もう一人は青を被る、そんな感じです。
この双子を遠く離れた別々の場所に連れていきます。どんなに離れていても、一人が青を選ぶと、その瞬間にもう一人は赤を選びます。瞬時です。ただし、観察する人がいなければ成り立ちません。観察するまでは、どちらも赤・青をかぶるのかわかりません。どちらの可能性もあるわけです。

わかりやすいですか?あ、ありがとうございます。これが、「量子もつれ」と呼ばれている現象です。

 で、ぼくは、森林ネットワークにも、量子もつれ的な情報のやり取りがあるのではないかとみています。地球上のすべての物質は、118個の元素でできています。それらは、宇宙由来です。そう考えると、元々は同じお母さんのお腹の中にいた可能性も考えられます。
双子の一人が石の一部を構成していて、もう一人は木を構成しているなんてこともあります。双子たちは、どんなに距離が離れて存在していても、繋がっているというわけです。

 これから、もっと、いろんなことがわかってくると思うのです。マキセさんのお話伺って、ふとぼくの研究のことをお話したくなってしまって。すみません。付き合わせてしまって」

マキセ ユリカは、もっともっと話を聞いていたいと思った。

さくらんぼカンパニー 
マキセ ユリカとヤナギサワトモヤ

「あの、作業所では、不具合の原因はわかりませんでした。木もいつものものだし、作業工程も人も発売当初から同じです」
マキセ ユリカの報告を受けて、ヤナギサワ トモヤは、頭を下げてお礼を言った。
「そうだねよね。確認してきてくれてありがとう」
「それと、」と、マキセはシゲノのように自分は量子もつれのことをうまく説明できるだろうか?と不安になりながらも、切り出した。

ヤナギサワは、理系だけあって、うなづきながら聞いてくれた。そして、
「なるほど、現代の科学でも説明できないようなことは、まだまだたくさんあるのかもしれないですね」
と言った。

ナガセカイトとヤナギサワトモヤ

「おつかれ」「おつかれ」

さくらんぼカンパニーの創業メンバーである、二人は、学生時代に通った懐かしい店でグラスを合わせた。

夏が翳りを見せたころ、ようやく問題が収集した。レアメタルと外装の波動の同調をキャンセルするソフトを配ったことで、とりあえず、乗り切った。新しく販売するノートパソコンは、すべて、波動検査を取り入れることに決まった。

すべてが明らかになったわけではないが、さくらんぼカンパニーの存続危機は乗り越えた。バージョンアップした純国産ノートパソコンも発売開始。快調な売れ行きだ。

「はぁー、綱渡だったな」
ヤナギサワが、ため息まじりに笑った。
「どうなることかと思ったよ。でもさ、さくらんぼカンパニーの社員、みんなよく頑張ってくれたな」
「そこだな。社長の志が高いからじゃない」
「やっぱ、そうか!ていうか、最初、オレたち二人で始めたさくらんぼカンパニーが、こんなに大きくなったなんて感慨深いよ」
「まだまだ、続くよ。若社長さん」
「でさ、最後まで究明できなかったな。人選ぶ問題」
「人選ぶ問題ね・・・」
「おまえ、なんだと思う?」
「タナカは、あれから猫を飼い始めたらしい」
と言いながら、ヤナギサワは、写真投稿サイトのタナカの猫の写真を見せた。あらゆる角度で撮影された黒猫で埋め尽くされている。
「かわいいな」
「子供の頃からの夢だったんだって。本人、彼女んちにいくと、くしゃみが止まらなくなるからさ、自分は猫アレルギーだと思いこんでいたんだけどさ。彼女んちが汚くてハウスダストに反応していただけだったらしい。その彼女とうまくいかなくなって、それから心機一転、猫を飼い始めたらしいよ。自分は猫アレルギーじゃなかったって喜んでいたよ」
「ふぅん、そうか」
と、若社長は、考え込んだ。
「もう一人のチュウジョウさん。彼女はあのあと、海外に行くって退職したんだよな」
「そう!引き留めたんだけどさ、彼女、意志固くて」
「そうか、どこの国に行ったの?」
「それがさ、アフリカで井戸掘るんだって。小学校からの夢だったらしいよね。熱く語るから、社長としては、応援するしかないよな。なんだか、もったいないよね。ここまでのキャリアはどこかで生きてくるんだろうか」

「二人の共通点って・・・」
顔を見合わせた。

「内に秘めた願望?」
声が合った。
不具合の発生とともに現れた幸せユーザーたちの顔が思い浮かんだ。
「文字変換が変になっちゃったおかげです」「人生が変わりました」

いやいや、そんなことってあるんだろうか?剣山城寺の住職も、何事も科学の力で証明できるって言っていた。これは、どう説明がつくのだろうか?
ナガセが考え込んでいると、ヤナギサワが口を開いた。

「逆にオレはさ、不具合を再現できなかったんだよね。研究開発部門長としては、複雑だったけど。それって、実は、内に秘めた願望っていうのが無いてことなんだ。今の仕事に心底満足しているわけだ。たまに、うまくいかないことはあるけどさ」
「それは、社長としてはうれしいな」
「社長、これからもよろしくお願いします」
「研究開発部門長、こちらこそよろしくお願いします」

天才マッド・サイエンティストBB博士

 世間では、死語に近かった
「ひらめいた!」
「ときめいた!」
という言葉が、若者を中心に再び流行している。

「文字変換爆走問題」は、徐々に消えて話題にも上らなくなった。
バージョンアップされた「純国産ノートパソコン」が再び販売されると発表されたばかりだ。

厳選したいくつかの素材を取り合わせ、うまく味つけして美味しいものを提供するのが、マッドサイエンティストの仕事である。BBの最新ブログにはこう書かれている。

 さくらんぼカンパニーの文字変換爆走問題とはなんだったのか?

 宇宙には無数の「ひらめき」や「ときめき」が、生まれては消え、消えては生まれているのだ。それは、われわれに降り注いでいる。きっちり管理された生き方を選んだわれわれは、それを受け取る余裕というものをすっかり失ってしまった。
 それで、代わりに、ノートパソコンの部品に使われた、なんらかの部品が受信機になってしまったんだろうなと、私は考えるのであーる。恐らく、磁力が強い何かの部品が、人間の代わりに、しかたなくキャッチしていたんだろう・・・「幸せユーザー」たちの証言を聞くと、そんな想像も信憑性を増すわけであります。
 人間本来の「ひらめき・ときめき受信機能」を取り戻したら、またまたどんな社会になるか・・・楽しみであります。全国の保育園児、幼稚園児、ますます元気になぁれ!

ここまで入力して、BB博士はふとキーボードを打つ手を止めた。

それとも、ひらめき、ときめき・・・まばたき

そうか、この問題には、スマホやパソコンとにらめっこしすぎて、まばたきが減ってしまった日本人への警告だったのかもしれんぞ・・・
「まばたき」問題。文字変換が暴走すれば、みんな目をパチクリするだろう。まばたきしてから、二度見するだろう。少しは目が潤むかもしれない。
うーむ。これは誰の采配なのだろう・・・このままだと「目が危険」だという人間の集合意識の成せる技なのか・・・

今夜も長くなりそうだ。とりあえず、ドクターペッパーを飲もうと天才マッド・サイエンティストBB博士は立ち上がった。

イシヤマトシタカとマッドサイエンティストBB

イシヤマは、完成した自転車練習場を、マッドサイエンティストBBに自慢している。

さっきまで真っ赤な顔で口元をくっと結んで真剣な顔をしていた男の子が、わぁっと声を上げた。
「わぁ、わぁ」
と叫んでいる。

「そうだよ、漕いで、漕いで!前見て。そうそう!いいぞ!ソウタ!」
「わー、先生。乗れた!オレ、乗れたよ!」
「やったな、ソウタ」

「先生、次、私。後ろ持ってて」
と、今度はショートヘアの女の子が手を振っている。

「ここの一番の売りは、」
と、イシヤマが言いかけると、
「彼だね!」
と、マッドサイエンティストが、若い男性の先生を指差す。

「そうなんだよ。やっぱりね、転びそうになったら、誰かが後ろで支えてくれるっていう安心感が子どもには必要なんだよ。この安心感を体験した子は、新しい世界に飛び込むのが簡単になるんだと思うね」
「なぁるほど。次の本もベストセラー間違いなしだな」
と、マッドサイエンティストがしきりに感心するので、イシヤマは気を良くした。

 子どもの頃は当たり前だったのに、自転車の練習、逆上がりの練習やら、キャッチボールの練習やら親子でやっている風景は見かけなくなったな。大人が子どもにつきあう時間こそが宝物なのにな・・・
BB博士とイシヤマは、話が尽きない。

プールサイド カワグチ ナツ

 穏やかな風が、プールの水面を気まぐれにキラキラ輝かせている。カワグチ ナツは、小学生の息子を夫に託して、シーズンが去った海辺のホテルに独り滞在していた。新作に取り掛かるためだ。ノートパソコンの電源を入れる。
カワグチ ナツは、不具合が出たノートパソコンを新品に交換してもらっていない。

 文書作成ソフトを開き真っ白なページを見ながら、適当に、それらしくキーボードを叩く。

(あれっ?)
でたらめに指を動かす。でたらめな文字がそのまま現れる。

(あれっ?あれっ?直っちゃったの?暴走変換してくれないの!?)
手のひらが汗んできた。

「おもしろいストーリー作ってくれるんじゃないの?古い龍さん!」
思わず声が出た。キーボードを少し強く叩く。すると、今度はだんだん指さきが冷えてきた。
「自動ストーリーメーキングのサポートは終了ですか?」

ノートパソコンはうんともすんとも言わない。ディスプレイを閉じて、彼女はノロノロと立ち上がって、水着になった。

派手な水しぶきを立てて、プールに飛び込んだ。できるだけ深く潜る。

日差しがからかうようにチラチラ揺れる。その間をゆるゆると通り抜けた。

(今の私こそ、「龍」みたい)

体の力が抜けていく。プカァーンと頭が、水面に出た。

 クルンと仰向けになると、太陽の光のまぶしさが容赦なく目に飛び込んでくる。太陽は全く夏の勢力を失っていない。カワグチ ナツは、降参して目を閉じた。

 ピカンピカンと星の形に光が灯る。星の尖った部分から長い腕が伸びて、隣の星に届いたかと思うと、隣の星のそのまた隣に光の腕が伸びる。光の腕は無限に拡がって、次々に星をつなげて光らせていく。そのさまは龍のようだ。
でも、龍じゃない。それは、アイディアなんだ、私自身のアイディアなんだ。私にしか形にすることはできないのだ。古い龍に背中を押してもらう必要はもうない。

「よしっ!書こっ!」

カワグチ ナツは、勢いよく水から上がった。(了)

参考 
■ポール・バルバーン著『シンクロニシティ 科学と非科学の間に』あさ出版
■TED動画 森で交わされる木々の会話 - How trees talk to each other
スザンヌ・シマード - Suzanne Simard

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