「三角の目をした羽ある天使」の呪い──aikoの疲れについて

2020/3/7にYoutubeでaikoの無観客ライブ生中継がやっていた。

なんて時代だ。かつての自分に教えてやりたい。2020年は家でaikoのライブを生で観れるねんで!

もちろん僕も全国のaikoファンと一緒に生で全部観ましたよ。

aikoは相変わらず、音源並みの声量で歌い、イントロやアウトロでは動物のようにくるくると回転したり、飛び跳ねたりしていた。

もう44歳だぞaiko。なんていう40代女性だ。元気すぎる。もしかしたら30歳男性の僕より体力あるんじゃないか。

こういうaikoのスタイルは、売れ始めてから今に至るまで約20年間大きく変わってないと思う。正直、今回のライブを観ていて疲れないのかな、とも思ってしまった。まるで死ぬまで歌って踊りつづけるジゼルみたいだ。

さて、前回のaiko論では「花火」のことを書いた。

実はこの時にあらためて「花火」を何度も聞き返して、引っかかったフレーズがある。1番のサビ前のところだ。

三角の目をした羽ある天使が恋の知らせを聞いて
右腕に止まって目くばせをして

歌の始めでは、恋の報われなさに悶々としているあたし=aikoの心情が描かれる。その次に上述のフレーズ(サビ前)がはじまる流れだ。

普通、一般の恋愛ソングでこの流れになったら、天使は恋に悩む若いaikoに、「がんばって!」「きっと大丈夫!」みたいな言葉をかけるものじゃないかと思う。

しかし、「花火」は違う。上述のフレーズに続く言葉は

疲れてるんならやめれば

である。

メロディが優れていることもあり、この辺のフレーズを聞き流してしまいがちなのだが、よく聴いてみると違和感を覚える。だって、イメージしてみてくださいよ。「三角の目をした羽ある天使」が部屋で一人で悶々としていたaikoの前に突如現れて、右腕から見上げて「疲れてるんならやめれば」なんて言うんですよ。ちょっと怖くないですか。

そして、その直後のサビでは「夏の星座にぶら下がって 上から花火を見下ろして」と場面は宇宙へ移動する。抽象度が急に上がり、前後の脈略が失われる印象だ。「疲れてるんならやめれば」という一言は回収されず、宙に浮いたままにすら思える。

サビまでの流れをまとめると、

悶々とした恋の想い

⇒天使のお告げ「疲れてるんならやめれば」

⇒星座にまたがって宇宙から花火を見下ろし、涙を落して火を消す

こんな感じ。

aikoは恋の歌を20年ぐらいにわたって世にリリースし続けてきて、しかも売れ続けているので、王道なのかと思われがちだ。しかし、よく聴くと、このように結構変わったところがある。

そも、宇宙とは孤独な世界だ。周りは暗いし、寄る辺ないし。aikoはそんな宇宙空間に一人で(恋人と一緒ではなく)、星座にまたがり、「涙を落として火を消」す。これはどう考えても幸せではない。

aikoの歌には、全期間を通じて孤独(報われなさ)がある。むしろ売れれば売れるほど、孤独を深めていくようにすら見える。デビュー当初の「桜の時」や「カブトムシ」と比べて、しばらく経った後の代表曲の方がむしろ孤独だったりする。「キラキラ」、「アンドロメダ」、「Kiss Hug」とか。

一方で、たとえば西野カナは当初「会いたくて震え」ていたのにも関わらず、ある頃から会えてる歌を歌い出す。どうやら他の「恋の歌マスター」たちは、恋の歌で人気者になってしばらくすると人気で他者の歓心を買えるようになるのか、次第に孤独でなくなるようだ。aikoとは対照的に。

また、aikoはそういう自分の本質を、おそらく自分で気づかぬうちに歌に書き込んでいる。しかも書き込んだ内容が、時間を超えてaikoに突き刺さったりする。aikoの天才的なところだ。

20年前の、若くて生命力に満ち溢れ、アイドル的な人気を得ていたaiko。その頃に書いた「疲れてるんならやめれば」という天使のお告げが、20代の頃から変わらず「花火」を歌い、踊る未来の44歳の自分に返ってくるのだ。

aikoは疲れてるのだろうか。aikoのみぞ知る、どころか実のところ本人も分かってないのではないか。

全力で歌って踊るスタイルをaikoは後どれぐらい続けられるのかわからないが、「疲れてるんならやめれば」という一言を振り払うかのように、aikoは歌うはずだ。どうなるaiko。やっぱり、今後もaikoから目が離せない。

そう言えば、aikoの楽曲が全曲サブスクリプション解禁された。良い機会なので過去の曲を改めて聞きなしつつ、aikoの今後を見届けていこうと思う。

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