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お布施

布施は、「ほどこし」というように受け止められることが多いのですが、大乗仏教の「布施」の意味は少し違います。施しをする側も、される側も、施しをするものそのものも同等の価値があると考えます。施しをする側は、される側がないと施しが出来ません。当然、施しをする側がなければ施しを受けることが出来ません。施しをするものがないと、この行為自体が成り立ちません。ですから、この三要素はどれもが同価値なのです。また、施しをするものは何でもいいのです。目も見えるものでも、見えないものでもいいのです。この教えはすべての存在意義につながります。たとえば、両親は子供に命を与ると同時に、子供は両親に愛するということを与えます。どれが欠けても成り立たないのです。このことを突き詰めると、すべてが「布施」の連鎖でつながっていることに気づきます。そうすると自分の存在が「布施」で成り立っていることに気づきます。これに気づくとすべてに感謝せざるを得なくなります。すべてに感謝の思いが生じるのです。この事実は変えようがありません。人間の制御を超えています。この事実はすべてが仏性であるということです。すべてに仏性が内在しているのではなく、すべてがはじめからそのまま仏性なのです。どんなものでもこの関係から漏れないのです。このことは、人間の都合意外では差別が生じないということにつながります。違いはありますが、それはその存在の特徴であって、比べる理由ではないのです。違いがあってもその存在はそのままで成り立っているわけですから比べる理由は元々存在していないのです。このことを大乗仏教では「差別(しゃべつ)即平等」、「平等即差別」といいます。比べる理由は人間の都合意外はないのです。比べることは争いごとの元となります。人間は比べることで自分の存在に意義を見いだそうとします。もともと人間の 都合意外では比べる理由も争う理由もないのですから、すべてのものの本来の姿に気づくと簡単にONEになれるのではないかと思います。
等三輪空寂ということをよくよく考えると、ボランティアという概念は大乗仏教には存在しないと思います。

財法二施、功徳無量、檀波羅蜜、具足円満、乃至法界、平等利益

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