見出し画像

プラハ到着・チェコ語サマースクール1997

1998年10月28日に開設した「チェコ人になりたい女の子のおはなし」というサイトのコンテンツをこちらに載せています。


一人、夜行に乗ってプラハに入ったことを人に話すと、大変驚かれます。
けれど、私にとってはそれほど不安なことではありませんでした。

それはわたしの考えが甘いだけなのかもしれませんが、実際には、危険な場面はまったくありませんでした。
わたしには、オランダからドイツに入ってチェコに至るという道のりに、泥棒とか犯罪を起こすような悪い人がいるということよりも、そこにふつうに暮らしている人がいる、ということの方が頭にありました。

私たちが日本で暮らしているのと、同じ一生懸命さ、同じ苦しさ、同じ愛情を持って、そこにも人々が暮らしている、ということの方が重要でした。
そこを通り抜けることがどうして怖いんだろうって思っていました。

 

夜行はアムステルダムからドイツを突き抜けてプラハまで。
前にチェコに旅行したとき、プラハからチェコ東端のオストラバまで
6時間も列車に乗ったことがあったので、ヨーロッパの列車に乗るのもそれほど心配はありませんでした。

サマースクールの方には、午前8時12分にプラハ中央駅に着く電車に乗るかも、と日本にいるうちに前もって手紙で知らせておきました。
それにしても、夜行列車に無事乗れるかどうかもわからないうちに、そんな手紙を出していたのだから、自分でも感心します。

乗った列車はドイツのドゥイスブルク駅で乗り換えでした。
ドゥイスブルクまではきれいな列車で日本のように座席が前方を向いて並んでいました。
パンフレットもあったり、椅子もキレイ。
車内にはほとんど乗客はなく、一人で景色を見たり、手帳にメモを取ったりしていました。

その日はアムステルダムのホテルにいるうちから雨が降っていました。
折り畳みの傘を持っていたので、しぶしぶ使いましたが、小雨だったので、それほど歩き回るのは大変ではありませんでした。

しかし、困ったのは気温の方です。
半袖と薄手の長袖しか持っていなかったので、寒くてたまりませんでした。
長袖を羽織っていましたが、車内では人気もなくますます寒く感じました。
アムステルダムに大勢いた旅行者も、なぜかちゃんと厚手の長袖を持っていて、こんな薄着でうろうろしているのは、私のようなアジアからの旅行者と二の腕に入れ墨の入った現地のお兄ちゃんくらいでした。

ドゥイスブルクで列車を待ち合わせる間、駅の中を歩いてみたのですが、よく考えると、私はドイツマルクを持っていなかったのでした。
おいしそうなものをいろいろ売っていたので、インフォメーションで、両替できるところはないか英語で尋ねました。

相変わらず、英語はよくわからなかったのですが、とにかく「ない」ようでした。
それもそのはず、もう時計は夜7時を過ぎていました。
だんだんと開いていた店もシャッターをおろし、私はホームに一人、列車を待つことにしました。

列車はまもなくやってきました。
アムステルダムから乗った列車は新しくてきれいでしたが、ここからプラハまで乗る列車は、ちょっと古そうでした。
コンパートメントに別れていて、その中に座席が向かい合って8人分ありました。

まだほとんど人が乗っていなかったので、一人で荷物と一緒にコンパートに入りました。

いくつ目かの駅で、わたしのいたコンパートにお兄さんが入ってきました。
「★△×〆―/▼◎±♂℃÷∞&←」
ほほえみながらお兄さんは何か言いました。
しかし、何にもわかりません。何語なのかもわかりません。
チェコ語でもなく、英語でもなく、ドイツ語なのかなあ・・・
呆然とお兄さんを見ていると、微笑み返しながら、わたしの斜め前に座りました。

そこで「ツォ?(チェコ語:何ですか)」とか何とか言っておけばよかったのに!
今ならそう思いますが、ドイツ人かも知れないし、チェコ語使ってもわからないだろうな、と何となく考えて私はだまり続けていました。
もう夜中に近くて、わたしは眠くてじっとしていました。

フランクフルト駅だったか、何人も乗り込んできて、わたしのいたコンパートにも二人の若い女の子が入ってきました。
二人は大きな荷物を背負っていて、夜中なのにしゃべりながら入ってきました。
するとその若い女の子とお兄さんは、なんとチェコ語で会話し始めました。

なぬー!!

お兄さんはチェコ人だったのか・・・
女の子たちは二人分の座席を取り、手際よく即席のベッドを作りました。
そして人目もはばからず、パジャマに着替えていました。
お兄さんと女の子たちはチェコ語で何か話していました。

そのときは、わたしは眠くて頬杖をついてそのチェコ語を聞き流すだけでした。
その会話に入ろうかとも思いましたが、何と言って混ざればいいのかもわからず、迷っているうちに彼らのチェコ語の流暢さ(あたりまえ)に恐れをなしてしまいました。

あああ、もったいない!と今は思うのですが。
夜行の中で、わたしはヒアリングをしただけでした。
一言何か発すれば、チェコ人とお友達になれたかも、と後悔先に立たずを実感しました。
あまりの口惜しさに、わたしって昔から人見知りする子だったしな、直さないといけないな、と自らの人生についても考えてしまいました。
あーあ。
 

国境を越えるとき、列車は長く止まっていました。
夜行なので何も見えないし、人もいません。
だんだん明るくなっていくにつれて、プラハに近づき、チェコの駅をいくつも通りました。

 

プラハの中央駅に着き、ホームをうろうろしているとm2枚の紙を持った若いお姉さんが立っていました。
そのうち1枚にはアルファベットでわたしの名前が書いてあったので、お姉さんに声をかけました。
やっとチェコ語を話して、うれしくなりました。
お姉さんは、わたしにここで少し待っていてと言い、もう一人同じ列車で来ることになっているという学生を探しに行きましたが、見つからず、もどってきました。

お姉さんに連れられ、車に乗りました。
お姉さんは運転してくれる男の人を紹介してくれました。
男の人は「ドブリーデン(こんにちは)」と言いながら、手を差し出したので、わたしも「ドブリーデン」と言って握手しました。

わたしは握手にどきどきします。
中学の時のフォークダンスを思い出してしまいます。
そういえば日本人では、どんなに仲良しの友達とでもなかなか手をつないだことというのはありません。
家族でも手をつなぐのは、やはりありません。
でも、チェコ人とはそのときしか会ってない運転手さんとも握手しているんだなぁ。

車はプラハの町を通り抜け、寮へと向かいました。
車の中でお姉さんに、チェコ語を何年勉強して、専門は何で・・・という話をしました。
この辺の自己紹介は、授業でもチェコ人とあったときでも、いろんなときに
もうチェコ語を勉強し始めてからずっとやっていることなのでお手のものでした。
へへへ。



ここまで読んでいただき、とってもうれしいです。サポートという形でご支援いただいたら、それもとってもうれしいです。いっしょにチェコ語を勉強できたらそれがいちばんうれしいです。