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【連載小説】あおかな (1)

1.祭り

 うおっー。
 観客がどよめいた。祭りの見せ場、川渡りの場面で、行人包姿の僧兵の格好をした若者が馬から振り落とされて川に落ちたのだった。春先とはいえ水は未だ冷い。
 若者の怪我を気遣う声。不測の事態に祭りの行く末を憂うため息。おもしろ半分の無責任な野次。そんな悲喜こもごもが混ざりあった、「うおっー」だった。

 このT市K町には、源義経にまつわる伝承がある。それは、義経一行六騎が頼朝が放った追っ手から逃れる道すがらこの町に差し掛かり、日が落ちてK山の中腹にある洞窟で一夜過ごしたというものだ。市長が事ある毎にアピールしているにもかかわらず、県内でも余り知られていない。

 文治元年(西暦1185年)十一月、源頼朝は義経追討を開始する。義経は都落ちし約一年の間吉野山、興福寺、比叡山潜伏の後、文治三年二月ごろに奥州・藤原秀衡を頼り逃亡を開始、約半年かけて平泉へ到着する。この間山伏に変装し、北陸を通過したといわれているが、その行程は諸説あり明確でない。

 それらのルートから大きく外れているこの町に、なぜそんな言い伝えが残っているのか、そもそも逃げるのに馬を使ったのか、修験者の衣装ではなくなぜ鎧姿なのかなど、疑問点はいくつもある。
 それはさておき、この祭り(『判官祭』と呼ばれている)がかなり前から行われているのは確かである。現存する記録として一番古い物は江戸中期元禄三年(西暦1690年)の日付があり、さすれば少なくとも三百年以上続いていることになる。真偽のほどは兎も角、昔からの豊作を願う行事に、箔を付けるつもりか尾鰭おひれ的にくっついて、村おこし的な要素が後世になって付け加えられたのだろうというのが、大方の見方だ。

 『判官祭』は毎年四月に行われる。義経と弁慶を始めとする一行六名に扮した町の青年達が、馬で南北に走る道路の隣町との境になっている峠を起点として、町の中心部を通り、山の中腹にある洞窟の前には小さなほこら(洞窟の前には祠が建てられている)まで練り歩く。途中にある川を馬で颯爽さっそうと渡る場面が、この祭りの一番の見どころとなっている。川の両岸には、紅白にり合わされた綱が二本渡されていて、その間を通って渡るのが通例である。両岸とも土手は緩やかに河原に続いていて、その中央を数m幅の小さな川が流れている。無事渡り終えることができるか否かで、その年の米の収穫を占う意味もあるらしい。

 それはともかく。今年は一昨日の雨で、水量が増し見た目より流れが急なのを危惧されていた。
 今、将に祭りの最高潮。両岸を埋め尽く見物客が見守る中、先頭の義経の馬が川を渡ろうとしている。手綱たづなさばきも鮮やかに、先頭の義経の馬は無事に渡り終えた。義経役の青年が労うように馬の首筋をでている。郎党が続き、殿の弁慶も後少しで渡りきるかと見えたその時、流れに足を取られたのか馬がよろけ、弁慶は川に投げ出された。危惧が現実のものとなり、観衆がどよめいた。
 落馬したからといって、それで気象や収穫が左右されるわけではないが、神事だけに矢張り縁起は担ぐ。今年も吉兆で終わる必要がある。
 馬は直ぐさま立ち上がり身震いをして水を切ったが、弁慶はどこかを痛めたらしくうずくまったままだ。
「弁慶」
 その時、叫びながら義経がとって返した。馬から飛び降り、土手を駆け下り水しぶきを上げながら弁慶の元に駆け寄る。状況が急展開したことで、会場は水を打ったように静まった。観客は固唾かたずを呑んで動向を見守る。
「大丈夫か? しっかりしろ」とばかり弁慶を抱え起こす。マイクで声を拾っているわけではないので、そんなやり取りは聞こえるはずが無いのだが、観客の耳にはではっきり届いた。
 例年無事渡りきるから、当然こんな場面はない。義経役の青年の咄嗟とっさの機転らしい。
「大丈夫でござります」
 弁慶役の方も、なかなかの役者だ。
「さあ、儂に掴まれ。もう少しだ。さあ、参るぞ」
 義経が、弁慶に肩を貸して立ち上がらせる。
「殿、かたじけのうござりまする」
 二人ともずぶ濡れになりながら、岸まで辿り着いた。川を渡り終えていた伴の者達が下馬して二人を迎える。家来役の一人が乗り手がいなくなった馬の手綱を取っていた。弁慶はびっこを引く足で手綱を受け取った。弁慶が無事に騎乗するのを見届けた一行は何事もなかったように山を目指して駆けていった。

 思いがけず、観衆からは拍手が捲き起こった。市役所の広報車の助手席から身を乗り出した市の職員が即興で、「家来思いの義経公のお陰で、無事川を渡りきることができました。今年も豊作が約束されたようです」とあおると、見物客は一斉にどっと涌いた。


2.出会い

 山脇孝幸は、K大学文学部三回生である。小説家志望で、空き時間には作品を書いて片っ端から懸賞に応募している。
 今朝も通学途中で、いい文句が浮かんだ。夕べどうしても文が繋がらず、筆が止まったままだったところだ。
 ――窮すれば通ず。虚仮こけも一心。必要は発明の母。これはちょっと違うか。
 何でもいい、兎に角とにかく忘れないうちにメモに取ろうと手帳を取り出した。辺りを見回すと、直ぐ側にあった橋の親柱がコンクリート製の角柱で上面が平らになっている。その上に荷物を置き、高欄にもたれてボールペンを走らせた。一心に手帳に書き込んでいる前を、影が通り過ぎたかと思うと声が聞こえた。
「へぇーっ。こんなの読むんだ」
 親柱の上に置いていた本を女の子が手に取って見ている。市内の高校生らしい。
「おい、何するんだ」
「見るぐらいいいじゃないか。義経が、どんな本読むのか興味あるんだから」
「えっ。あれ、見てたのか」
「なかなか、格好よかったぞ。落馬した弁慶に駆け寄ったところなんか、余りにベタすぎて噴飯もので、涙が出たぞ。私は、義経の大ファンになったんだ、少しは有り難く思ったらどうだ」
 この手の自称ファンには閉口させられることが多い。
「何言ってるんだよ。返せ」
 孝幸が本を奪い取ろうとすると、彼女はくるりと背を向ける。反対側に回ると、その裏をく。
「いいじゃないか、見るぐらい。減るもんじゃなし」
 何度か繰り返して諦めた。
「わかった。その本は君にやるよ」
 彼女は急に興味を失ったようだ。
「いいよ。要らない。返す」
 ほれと、本が差し出された。孝幸は手を伸ばしながら、
「猿と一緒だな」と言った。
「何だよ、それ」
 彼女は本を掴んだまま尋ねる。
「『おさるとぼうしうり』って絵本があるんだ、エズフィール・スロボドキーナって作家が書いた。読んだことあるかい?」
「ない。どんな内容だ?」
「簡単言うと。帽子売りの男が、昼寝をしている間に猿に帽子を奪われた。帽子を返せと、男がにらむと猿も睨む。指を突き付けると猿も指を突き付ける。両手を振り上げて怒ると、両手を振り上げる。とうとう頭にきた男は、自分の帽子を取り上げると、地面に投げた。すると猿も、真似て帽子を地面に投げた。そうして猿から帽子を取り返すことができたって。そんな話さ」
「あつ、馬鹿にして。やっぱ、止めた。これ、もらった」
 彼女は本を胸に抱え込んだ。
「おい、待てよ」
「サンキュー」
 彼女は駆け足で去っていった。
 ――口が悪いのが玉にきずだな。
 孝幸は、悪い気はしなかった。小さくなって行く後ろ姿を目で追っていると、
「あおかなーっ」
 と同じ制服の女の子が呼んでいる。『あおかな』と呼ばれた女の子はそれに応えるように手を振りながら駆け寄って行った。
 どうかしたの?
 ううん。何でもないよ。
 二人の様子からそんな会話が聞こえそうだ。笑いながらしばらく見ていた。
 ――あっ、バスの時間……。
 気づいた時はバスが走り去った後だった。

 そもそも、今日のちょっとした騒動はテツが勝手に申し込んだ祭りに端を発している。
 テツと言うのは、K大学医学部三回生で、孝幸の幼なじみである川村徹のことである。話の種に受けるだけ受けてみようというテツの口車に乗ったのが運の尽き、面接の結果、義経役に孝幸が、テツは弁慶役に選ばれた。
 駄目元だ。軽いノリで申し込んだが、応募の資格に乗馬が出来ることとあったのを見逃していた。選ばれた後、二人は慌てて乗馬クラブに入会したものだ。1ヶ月ほど練習期間があったので、そこそこ乗れるようになった。
 それに当日テツが変な茶目っ気を出しさえしなければ、そして馬から落ちさえしなければ、町の広報に小さな写真が乗るくらいで終わったものをと恨む。豊作を願う行事で落馬したのでは洒落しゃれにならない。何とかしなくてはと孝幸が急遽きゅうきょ芝居っ気を出したのだが、タウン情報誌に大きな写真入れで取り上げられてしまった。
 それからが大変だった。
 祭の後ニケ月ほどは色んな人達から行く先々で声を掛けられた。中高生の女子からファンレターやプレゼントをもらいもした。悪い気はしないし、一時的なものとは分かっているのだが、自分の時間を中断させられたり、私的空間にまで入り込んで来られるのは、やはり迷惑以外の何物でもない。
 だが流石に半年過ぎる頃にはすっかり忘れられたようで、商店街を歩いても声を掛けたり振り向いたりする人はいなくなった。やっと落ち着いた生活に戻れたと安堵していたところだったのだ。

 三十分ほど遅れて教室にそっと入ってテツの横の空席に滑り込んだ。孝幸とテツは学部が違うので三回生ともなれば同じ講義を受講するのは殆どない。。唯一この日本国憲法の講義だけだ。
「どうしたんだ? お前が遅刻するなんて、珍しいな」
「ちょっとしたトラブルがあって、いつものバスに乗り遅れた」
「トラブル?」
「通学途中で、女子校生に、絡まれて……」
「カツアゲにでも遭ったのか?」
「そんな物騒な話じゃない。本を取られただけだ。まあ一回は読んでいるからいいんだけど」
「なんだ、心配して損した。また、義経のファンか?」
「まあな。その子もそう言っていたから、あの祭を見ていた一人だろう」
「俺の方はさっぱりだ。お前感謝しろよ、俺のお陰だぞ」
「別に俺が頼んだ訳じゃないよ」
「まだ隠れファンがいるんじゃないか。元を正せば、あのくさい演技の賜物だぞ。」
「よしてくれよ。あの場合、仕方ないだろう。お前が落馬なんかするからだ。俺は大いに迷惑しているんだからな」
「お前も捻挫ねんざの治療で看護師さん達から、ちやほやされて喜んでいたじゃないか」
 その時教授が振り向いた。
「おーい、そこの義経主従。話してもいいが、もう少し小声にしてくれるかな」
 教室に笑いが起こる。まだここでは祭の話は風化していない。
 二人は渋い顔をして授業に集中した。

<続く>


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