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歪んでることさえも

やっぱり小説とかを読んで思うのは、私が孤独とかを苦しむのは現実的なことと照らし合わせるから。

他の人の幸せ、世間で考えられてる幸せ、社会にとっての人の価値、誰かにとっての人の価値。
そういう現実世界を生きるうえで伴ってくる感覚に条件。

それがないときになんだか楽になる。別に孤独から解放されたわけじゃない。自分の心の歪みが消えるわけでもない。
ここに日記として書けるような明確な感情も薄く、言語化の無いところで起こっている感覚がただ広がってるだけ。
その場所ではずっとひとりだから、こうやって誰かに説明する必要もない。あるものをあるまま知ればいいっていうのがちょっと安心する(感覚を文字や言葉に当てはめると実際とのちょっとの歪みが出てくる)。

現実世界の中で苦しいことをどうやりくりしていこうか悩む日もあるけれど、私には実生活の中にはなくそれと乖離したところにやりくりなど必要ない場所がある。なにもうまくやらなくていい。


いわゆる、感覚派(?)の方の小説を読んでいたら、そんなことを感じたりしました。


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