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自分の凸凹を受け入れる~会社員を諦めるまで~

凸凹昔話

小さい頃から怒られることに怯えていた。
学校は遅刻ばかり、授業は眠気に勝てないし、大事なものはすぐになくすし、提出しなければいけないプリントは引き出しの奥からビリビリで発見された。牛乳を運ぶとき全員分の牛乳を割って、その日は牛乳なしとなってしまった日もあった。

怒られるようなことをしてしまうくせに、誰よりも気が小さくて傷つきやすかった。だから何かで挽回しようと日々がんばった。勉強はがんばっても真ん中より少し上くらいだったけど、学級委員になって学校行事のイベントを計画したり、音楽・美術の発表や文化祭で一目置かれようと一生懸命だった。

高校生になり、少しでも人間力を上げたいと思ってすぐにバイトを始めた。スーパー人間になりたかったので忙しそうな飲食店を中心に合計15箇所くらいでバイトしていた。当然の如く怒られまくった。「よく確認して」「遅刻だよ」「あと一回失敗したらクビだよ」。あぁ、自分はダメなんだ、社会に出てはいけない人間なんだ、と思った。

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人に迷惑をかけることはいけないことで、自分をたくさん責めてきた。人に責められることもあった。その度に「変わらなきゃ」と色々と策をこねては今に至る。子どもの頃からの「変わらなきゃ」が積み重なった結果「今の自分以外の誰かに変わること」が人生の命題になってしまった。

でも、自分に生まれて来たのに、なぜ変わらないといけないのだろう。

なぜ大人になってもまだ変えることが完了していないのだろう?

わたしはどこまでいってもわたしではないか。


「変えようとしても変わらない部分があるなら、それが自分である」
認めることは苦しいかもしれないけど、認めることで前に進むこともある。

会社員をやめた理由

2015年、大学を卒業して社会に出て働くことになった。はじめは上手くいっていたけど、次第にオフィスに通うことの負担が大きくなっていった。でもまぁ会社員なんてみんなこんなもんかと思って我慢していた。そんな時、パタリと働けなくなってしまった。というか家から出られなくなってしまった。詳細はここでは割愛するが、こういうパタリがわたしにはたまにあった。

そして、それを何回か繰り返すうちに「社会に合わせなくてもいいんだよ。そのままでもいいところがたくさんあるよ」と誰かに(そして自分に)言ってほしかったのだと気づいた。そこから会社に属さずに働いていこうという決心がついたように思う。
追記:フリーランスのライターになり1年経ったが、なんとか家賃も払えているしちゃんと生きている。

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人には色々な凸凹がある。それは全部、直そうと思えば直せるように思える。だけど、たいていの人間は自分の凸凹をそのまま持って人生を終えるのではないか。それほど何かを変えるのは難しいのではないか。凸凹があるのが「普通」で必ず直さなければいけないわけではない。

もちろん苦手なことを克服する努力は無駄にはならないはずだ。でも凸凹でも愛してくれる人はいるし働ける場所もある。だから認めてもらえない人とずっと一緒にいる必要はないし、苦手なことを強いられる会社でわざわざ働かなくてもいい。自分に合った場所で生きることは甘えでも妥協でもなく自然なことだ。

それを心から納得できたときに、自分にとって最適な場所で、まっすぐな努力ができるのではないか。

会社員になれなくて、長時間働けなくて、接客業のセンスがまるでなくて、提出物はいつもギリギリで、面倒くさがりで、小さいことにこだわってしまう自分も、ちゃんとスキマを見つけて生きている。
もう少し今の自分を認めてあげようと思った。


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