10年前の手記が出てきたのですが…。

お友達とLINEのやりとりをしていて、前にこんな手記を書いたナ・・・と思って読み返してみると、なんともう10年も前のものでした。当時息子はまだ8才。親子の奮闘ぶりが伝わってきます。

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これから子育てをされる方へのメッセージとして、私が息子の子育てにおいて辛かったことと嬉しかったことをエピソードも交えて述べたいと思います。

まず、辛かった経験としては「他人の理解が得られ辛いこと」です。障害のある我が子を育てていくのに常に試行錯誤しているところへ、周囲の理解が得られないのは辛いものがあります。


身近なところでは電車の乗車マナー。私の息子はピンク色が大の苦手で近くにピンク色のものがあると気持ちが落ち着かなくなります。ある日電車の中で、ピンク色の広告を嫌がって逃げようとするので私が抱っこしていると、抱っこされながらピンク色から逃げるために足をバタバタさせてしまい、それを見た他の乗客が「子供の靴が当たるだろう!」と私に怒って来られた、ということがありました。

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また、私は事情がありひとり親で息子を育てていますが、ありがたいことに親や親戚、ファミリーサポートのシッターさんに恵まれ、育児の手助けをお願いすることがあります。しかし両親でさえ、私の育児の考え方に理解が得られないことが多々ありました。健常児に近づけようとする気持ちからか、何事も息子のペースで息子の受け入れやすい方法で進めようとする私のやり方は甘すぎるように感じていたようです。他にも色んな人から色んなことを言われ、戸惑ったり悩んだりしたことが何度もありました。


このように「周囲の理解が得られづらい」という経験は数多くあり、辛い思いもしましたが、現在では以下のように考えるようにしています。
① 「周りの理解が得られづらい」ということは、なおさら積極的に「息子の障害の特性について情報発信していく必要がある」ということ。殻に閉じこもっていても事態は決して好転しないこと。
② そもそも私のやり方が正しいか間違っているかではなく、手伝ってもらえる部分を手伝ってもらえればそれで十分ということ(他人から100%の理解を得ることは不可能。実際に育てている親にしか分からないことが必ずあるということ)



次に嬉しかった経験についてです。
息子は小2の1月まで、給食を食べることができませんでした。本当は食べたい気持ちはあるものの、学校という集団の中で食べる事がためらわれたのか、一切口にしませんでした。それが、小学校側にも色々ご協力をお願いし、私も何度かきっかけを与えに学校に出向き、ある日ついに給食を食べる事ができました。それを見た先生方やクラスメートたちは拍手喝采で大喜びしてくれました。

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これは私にとって二つの意味でとても嬉しい出来事でした。一つは、息子がこれまで越えられなかった壁を超えて給食を食べられたことは大きな自信につながるとともに、学校生活で大きな楽しみである給食を楽しめるようになったのが嬉しかった、ということ。二つ目には、この大きな前進を先生方やクラスメート達がごく自然に、「〇〇くん、すごい!」「やったあ!」などと心から喜んでくれ、「給食食べたからってそれがどうした」という反応は全く無かったことです。周囲の人たちが息子のことをよく理解してくれていることが伝わってきて、そのように適切な指導をして下さっていたであろう先生方にも心から感謝した出来事でした。


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他の子とはちょっと異世界にいるかのような我が子の世界を尊重しつつ、いかに現実世界に適応できるように子供を導いていくか。親として果たすべき役割はその二つの世界の橋渡し、ということであると思います。それは確かに簡単なことではないかもしれませんし、苦労が伴うこともあるでしょうが、息子と心が通じ合い信頼関係を築く中で様々な努力が実り、上記の給食の時のように息子が大きな一歩を踏み出すことができた時、その喜びは何物にも替え難いほど大きなものです。息子を育てる中でこのように他では決してできない経験をさせてもらえていることは、とても幸せなことだと感じています。

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なんか、、、そこそこいいこと書いてるなぁ、と。
当時は必死すぎてわかっていなかったけど、よくがんばっていたんだね。

NAOTO

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