表と裏
いつもニコニコ明るい人が、実は裏で愚痴を吐きまくっているとき。
一般的には「ニコニコ明るい」が表で、「裏で愚痴を吐く」が裏になる。
清楚系で下ネタ苦手そうな人が、実は色々な人と体を交えているとき。
一般的には「清楚で下ネタ苦手そう」が表で、「色々な人と体を交えている」が裏になる。
「表」と「裏」という二面に分けられ、判断されることに、違和感を抱くのは私だけでしょうか。
どうして二面に分ける必要がある?
私自身、色々な面がある人間です。
真面目でしっかり者の自分。
弱虫で泣いてばかりの自分。
積極的に前に出て、周囲の者を引っ張ろうとする自分。
引っ込み思案で、誰かに引っ張っていって欲しい自分。
幼い子どものような自分。
乱暴な言葉遣いをする自分。
男性的な自分。
パッと思いつくだけでもこんなにある。
どれも私だけど、全ての面を知っている人は少ない。
それは、相手との関係性や立場、その時の状況、職場の人間か友達なのかによって、出る面が違うから。
大抵はどれか一つの面が強く出ることが多い。
そしてもう一つの面がひょこっと顔を現したとき、「裏では△△な人」とたまに言われることがある。
でも、私の中では「どうして表と裏、二面だけだと思うの?一般的には二面性がある人がほとんどなの?二面以上あるのはダメなこと?」と感じてしまう。
「表」が善、「裏」が悪?
表と裏を表すのって、大体「良いものが表」「ダメものが悪」になる気がする。
でも「学校ではイケイケでトガッてる金髪ヤンキーが、野良猫に餌をやってにっこり微笑んでいた」みたいなシチュエーションでは
「トガッてる金髪ヤンキー」が表、「野良猫に餌をやってにっこり微笑む」が裏になる。
どちらが善とか悪とか関係なくて、とりあえず二面に分けたくなるのかな。
オセロみたいに、白!黒!って。
磁石のSとN。
男と女。
陰と陽。
色々なものを思い出した時、二つのものが対立することが多い。
だから人間の性格も、二つに分けたくなっちゃうのかもしれない。
みんな違って、みんないい
狙って見出し名をつけたわけじゃないんだけど、「みんな違ってみんないい」を検索してみたらお歌が出てきました。
気になる人は調べてみてネ。
さて、本題に戻します。
一般的なものから外れると、「変わった人」として扱われることがある。からかわれたり、いじめの対象になったりすることもあるだろう。
それが嫌で自分を押し殺して、普通の人と似たようなことをしている人もいると思う。
でも、みんな違ってみんないいだよ。
人と変わっている性格や価値観も一つの個性。
自分がキラリと輝くきっかけにもなり得るだろうさ。
二面でいなくちゃいけないわけじゃない。何面でもあっていいと思う。
色々な面を持つというのは、なかなか理解されにくい。これまで見せたことのない面を見せると、驚かれることがほとんどだしね。
それでも、否定せず受け入れ、そばにいてくれる人を大切にできたら十分なんじゃないかな。
「あなたはそういう面もあるのね」でいいじゃない
自分と相手を比べる必要はない。
性格を表と裏、二面に分ける必要もない。
これまで知らなかった相手の新しい一面が見えたら「あなたはそういう面もあるんだね」と考えるだけでいい。
それがその人自身なのだから。
新たな面をこちらが見せたとき、「それは嘘よ!だってあなたは〇〇な性格の人のはずじゃない!」と決めつけてくる人とは、早めに離れた方が良い。
きっとそのうち、一緒にいるのが苦しくなるから。
「表」と「裏」できっぱりと分けず、
「君はああいう面もあったんだね」
「そういうあなたこそ、あんな面があったのね」
と言い合えるのが、居心地が良い関係なんじゃないかと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?