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わたしの、ほんの、理想の話

みなさま、大変お久しぶりです。

 途中まで書いていた短編があるので、それを早いところ完成させて、次の投稿にしようかなと思っていたのですが、存外まだ完成しそうになく、というのも、決してそんな大作を書いているわけでもなく、ただ単に他のことをやっているからなのですが、なので、先に、ちょっとした近況報告的な形で、こちらの記事を書いて、あげてみようと思います。(短編も、そろそろ完成させていい頃だとは、思っております。)

 記事の投稿については、とくに頻度を自分の中で決めていたわけでもないのですが、なるべく、一ヶ月に一回くらいはあげられるようにするのがいいのかなあ、と、今、これを書きながら思っています。まあ、といっても、忙しい時期と、少し、忙しい中でも、余裕のできる時期とがあるので、単に目安といえば、目安なんですが。できるときに、できるだけ、マイペースに、書いていきたいです。

noteについて

 とはいえ、あんまり、やる気になったら……とかっていっていると、完全に三日坊主になってしまうので、あげる頻度の目安くらいは決めて、自分を奮い立てる動機にするのは、ちょうどいい方法かもしれません。今までは、お話以外の気まぐれな文章は、愛用のロルバンノートや、スマホのメモ帳などに書くばかりでしたが、noteを初めて以来、記事を待っている人がいるかもしれない、などとおこがましい、浮かれた想像をしては……いえ、浮かれた想像なのかどうかは、分からないですけれども……記事は、読んでくださる方のことを想って、愛を込めて、書いております。noteを始めて、まだ間もないですが、一つ一つのスキやフォローに込められた想いは、しっかりと受け取っているつもりです。今の時代、人と人は、ほんとに、直接会わずとも、色々な方法でつながり合えるものなんですね。まあ、いわずもがな、かもしれません、本などは、SNSが発達するよりもずっとずっと前から、間接的に人と人をつなげてきたわけですけれども。わたしの場合、本でつながってきた人たちの方が、圧倒的に多いかもしれません……そしてその大半は、もう生きていない、過去の人たちだったり……わたしは、人のことを、ほとんど、本で学んできたように思います……。
 話がそれてしまいました。とにかく、待ってくれている人のために、早く投稿できるものを書かなきゃなあ、と、急き立てられるような気になっているので、文章を書く動機づけとして、かなり、この、noteは、役に立っているといえるかもしれません。もともとそのつもりだったので、予定通りうまくいっているかなというところです。
 完璧なものを書こうとは思っていないし、気ままに、気楽に書こうとは思っているのですが、ロルバンノートやメモ帳よりは、丁寧に書くようにしようと思えるので、その点においても、ちょうどよく、予定通り、文を書く練習になっているな、というところでもあります。

最近のこと

 さて、近況報告的な記事を、なんてことを書きましたが、誰に向かって報告をするのかって、話ですよね……。でも、そんな思考、自分なぞの、といった思考は、読んでくださる方にも、自分に対しても、失礼だと思うので、これくらいにしておきます。こうしていると、自分って、自分で思っている以上には、ネガティブ思考気味なのかもしれませんね……。いや、自分は、ネガティブなんじゃない、ただ、懐疑的なだけなんだと、自分としては、それはそれで、自分の長所としてとらえたいところなのですが。世では、それを、ネガティブ思考というのかもしれません。ただ、そうだとしても、そうすると、ネガティブなのは、そう、悪いことでもないように、思ったりするのです。

 近況報告、といっていたところでした。といっても、実は、そんなに報告をすることはありません。つい最近まで、公募用のお話をせっせと書いておりました、ということだけです。週五日、フルで仕事をしているので、平日は、ほぼ時間がとれません。とれて、寝る直前の十分から二十分、しかし、わたしの場合、そんな細切れの短い時間では、全然、原稿は進められないのです。考え始めて、よし、書こうかな、といったところで、すでにタイムアップ。睡眠時間を削るわけにはいかず、体を壊しては元も子もありませんし、次の日の仕事がきつくなってしまうので……。なので、お話は、ほとんど休日に頼り切りで書いていました。しかも、休日といったって、執筆以外にもやることがかなりある中で、です。
(わたしは、一年に一度友人に会うか会わないかの、ある意味では引きこもり人間なので、決して、人と会ったり遊んだりするのに忙しい、というわけではありません。お出かけは大好きですが。ウィンドウショッピング、楽しいですよね。)
 それを、三ヶ月ちょっとで、なんとか、完成させました。かなり、タイトでしたね、忙しかったです。協力してくれた家族には、感謝、感謝です。できは、まあ、今回もうまくは書けませんでしたけれども、なんだか、物語、想定していたようには進んでいかないんですよね、だんだんと原稿の残り枚数も厳しくなってきてしまって……次は、もっと計画的に、スケジュールももっと余裕をもって書き始めようと反省しています。今回は、完成させただけえらいと、自分をほめておくことにしましょう。でも、ぜひ、誰かに読んでもらいたいです。選考のようすは全然知らないのですが、即行、おもしろくなさそう、ぽいっ、とされないことを願います。そして何より、子どもたちに読んでもらいたい。そのために書いているので……。わたしもまだ、子どもから大人になりかかっているような、半分以上はまだ子どもな人間ですが、その分、まだ、自分の子ども時代の記憶が新しく、それはそれで、近い目線から、今の子どもたちに寄り添えるところがあるのではないかと、思っています。

理想の大人

 しかし、子ども時代のことは、歳を重ねても、できうる限り、忘れたくないですね。少なくとも、自分が子どもであったことは、忘れたくない。忘れたとしても、いや、子どもであったことを忘れるつもりはありませんが、子ども時代の記憶がどんどん薄れていってしまったとしても、いつまでも、子どものことを考え、寄りそえる人間でありたい。(改めて考えてみると、記憶が薄れていくことに関しては、なるように任せるのが一番かもしれない、という気もしてきました。)
 今のわたしは、直接、人や子どもと交わることは、得意ではありません。子どもたちと直接コミュニケーションをとるのが上手な人たち……うーん、上手というのも、何を上手というかによるとは思うんですけれども、だからわたしも、決して上手じゃないわけじゃない、かもしれません、でも、わたしは、少なくとも、子どもたちとじゃれ合ったり、というのは、できないこともないですが、うまくはできないし、保育士さんのようにもできない。
 でも、直接交わるだけが、子どもに寄りそう方法ではない、ですよね。今のわたしには、文章を書くことくらいしかできませんが、その、文章を書くという行為によって、わたしは……わたしも、子どもたちに寄りそうことができるのではないかと、思うのです。いずれは、直接交われるようになれたらな、直接交わって、寄りそえる人間になれたらな、と、思わなくはないのですが、いえ、ぜひ、なれたらいいなとは、思うのですが、今のところは、ですね。
 自分が、どんな大人になりたいか……こうして書いていて、頭に浮かぶ、大人の理想像は、あの、ナルニア国物語に登場する、教授です。(あ、今、本をちらっと開いてみたら、先生、と訳されていました。)教授みたいな大人に、なりたいですね。

おわりに

 想像以上に、長い文章になってしまいました。今回は、これくらいにしておきます。なんだか、偉そうなことをつらつらと書いてしまいましたが、わたしは、実際、人を傷つけてばかりのダメダメ人間です。人付き合いも、悪いですし。
 お話を書くのだって、結局は、自分が楽しいから、自分の書きたい欲を満たしたいがため、です。それが、一番の理由です。そうでなければ、自分のためでなければ、書かないだろうし、書いたって意味がありません。いや、意味がない、は、ちょっと言葉が強烈すぎるかもしれませんけれど、でも、楽しくなければ、子どもに寄りそうにしても、何かの役に立つことをやるにしても、別に、その手段が書くという行為である必要はなくなってしまうわけです。書くという行為が、苦行としてでもやる意味があるほど、少なくともわたしは、それほどまでには、人の役に立つのに究極の手段であるとは、思っていません。いや、たとえ究極の手段であったとしても、わたしはたぶん、お役ゴメンです、分かりません。わたしはただ、自分の心に突き動かされるだけの、単純な人間なんです。まあ、自分のために何かをやって、それが人のためにもなれば、一石二鳥ですよね。

(前回記事で、丁寧に書く、というようなことを書いたにも関わらず、がーっと勢いをつけて書いてしまいましたが、まあ、あまり力まず、完璧なものを目指さず、楽に気ままに、書ければいいと思うので。)

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 
 今を生きる、すべての子どもたち、これから生まれてくる、すべての子どもたち、そして、かつては子どもだった、すべての大人たちに、真心をこめて。

おまけ……月曜日のことなんですが、わたしはいつも、仕事場に水筒を持って行っていまして、まあ、その日も、水筒でお茶を飲んでいたんですけれども、なんだか、やけに冷たいし、おいしくないお茶だなあ、と思って、飲んでいたような気はするんです、たしかに、思い返してみると。というのも、家へ帰ってきて、リュックから出してみたら、二本出てきたんです、水筒が。一本は、なぜか満タンに入っていて、開けたらそこまで冷えていない、ふつうに、おいしいお茶でした。そう、たしかに、わたしが今朝用意したのは、こっちの水筒だったな、そんな気がしました。もう一本は、わたしがその日、飲んでいたやつだと思うんですが、たぶん、でも、いつのだろう、ってね。お腹に異常は生じませんでした。よかったです。

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