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でもキャシー


オーストラリアの人と結婚した日本人との間に生まれた子供たちに日本語を教えるボランティアを3ヶ月くらいやった。

5~7歳くらいまでの子供たちが日本の文化や言葉を勉強するために週に一回日本人のボランティアスタッフが色々教えたり遊んだりするクラスが開かれていた。両親がどちらも日本人で暮らしている日本語も英語もほぼネイティブな子もいれば日本語は全くわからない子もいた。基本的にはそのクラスでは日本語で話しましょうという決まりがあったが、わからない子にはこっちも片言に英語で「あ」と言う文字を教えたりしていた。勉強の時間が終わると外で鬼ごっこをしたりお絵かきをしたりした。

僕は虎太郎(こたろう)という男の子と仲良くなった。彼は日本語は完璧で英語も話せるので、その明るい性格もあってクラスのムードメーカーでありまわりの日本語のわからない子の小さな通訳者でもあった。いつも僕の手を引いて鬼ごっこに誘ってくれた。彼は両親共に日本人の家庭だったのでとても日本語がうまいらしかった。でもそんな彼のような子も成長するにつれ、親と話すのは簡単な日常的なこと中心で、もっと込み入ったことや専門的なことは外の世界(友達や学校の先生とか)で英語で話していくうちに日本語で話せることより英語で話せることのほうが多くなっていくらしいという話を聞いた。

自分の子供は英語のネイティブで日本語は片言、親のほうは英語がネイティブじゃないという、わからないけど親子だけどちょっと言語に幕があるような状態っていうのはどういう感じなんだろう。そうじゃない人もいるんだろうけど。

お弁当の時間もあってテレビで見たアメリカとかのお弁当みたいに本当にクラッカーとかが弁当箱に入っててあれは本当だったんだと思った。お腹すかないのかな。

キャシーという日本語も少し話せる4歳くらいの見た目は完全にブロンドの白人の女の子がいた。彼女はお絵かきが好きでいつも絵を描いていた。
クラスでは時間ごとにプログラムが組まれていてやることが決まっていた。その日は親御さんも参加しての日だったので会の終わりに皆で写真を撮ることになっていた。みんなが外にある木の下に集まる中キャシーは一人だけクレヨンで絵を描き続けていた。

「ゆう先生キャシー連れてきて」その日本語教室のボスの先生に言われて僕は教室に一人残るキャシーに声をかけた。キャシーいかないの?みんなで写真撮るんだって。僕がそう言うと彼女は「でもキャシーまだ絵描きたいよ?」と言った。そうだよな。写真なんか別にどうでもいいよな。描きたいなら描くほうが大事だよね。と思った。

結局別の先生が来てキャシーはクレヨンを置いたけどなんだかその感じがとても日本っぽかった。決まったことをみんなでそろってしなければならない感じ。色んなルーツや文化を抱えた彼ら彼女らはどんな風に生きていくんだろう。別に僕になんとか思われるいわれもないだろうけど。

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