見出し画像

スプーンに映るぼくとナイストゥーミーチュー

留学する人にとってオーストラリアのバイトにもランクがあって、日本人しか働いてないところは中でも一番低い。楽な代わりに(日本語しか使わなくていい)何故か時給が最低賃金を下回る。いまだに仕組みはわからないけどそうだった。

次のランクが日本人が経営しているけど英語がネイティブじゃない外国人も働いているところ。ここは日本語も英語も半々使う。自給は大体最低賃金くらい。一番いいのはネイティブの人が経営しているところ。マックなんかは僕にとっては手が届かない高ランクの仕事だった。時給も高いし、クリスマスや年末になると特別報酬(ダブルと言って時給が二倍になる)もあった。代わりに働く人もお客さんもほぼネイティブ。それなりにしゃべれないと働かせてももらえない。

ということで5ヶ月目にしてシェルホテルと言うパース内にある大きなホテルの洗い場の仕事ができることになった。面接も上司もみんなオーストリア人。洗い場の同僚にも日本人は一人もいない。僕みたいな外国人は洗い場担当でシェフやウェイターは現地の人と言った感じだった。まだ相手が何を言ってるのかは半分くらいしか聞き取れなかったが、それでもこの仕事が気に入っていた。日本人が全くいないところで働く自分が誇らしかった。

仕事はとにかく延々と来る皿を洗い、奇妙な水色の洗剤でざぶざぶ使い終わった調理器具を洗う。
日本にいた頃、大きなホテルでウェイターをやっていた頃、洗い場の人は皆ブラジルの人でその人たちは表に出ることはなかった。外国に来れば当たり前だけど僕が外国人で僕がお客さんと接触することはなかった。その立場がくるっと逆転した感じがなんだか面白かった。差別とかではなく聞き取れないし、離せないから仕方がないとは思いつつ現地のティーンエイジャーが綺麗に盛り付けられた皿を片手にこちらをチラリと見るのには少し恥ずかしさを覚えた。あのブラジルの人たちは僕のことをどう思っていたんだろう。洗い終わった大量のスプーンに映る大量の自分に見つめられながら思い出した。

ランチタイムが終わり、洗いものが終わるとご飯の時間だ。お客さんに出している料理が多めにつくられていてそれをもらうことができた。洗い場の隅っこの誇りっぽい部屋で作業服を着た仲間たちと高級フレンチっぽいラム肉やリゾットを食べた。シェフが一皿づつ盛り付けたものをそのままもらえるので、いままで食べたことがないほどにおいしく、綺麗な料理がおかしかった。

仕事になれないときよくしてくれた一人が少し年上の韓国人の男の子だった。彼は日本の僕の親友に瓜二つですぐに仲良くなった。いつも仕事終わりにたばこをくれた。その頃はたばこを吸わなかったので吸うふりをしながら何の話をしたか覚えていないような話を沢山した。知り合いの一人もいない日本人もいない職場でお互い心細かったのだ。

洗い場にはオーストラリア人のおばさまも働いていた。60前くらいのゆるパーマのすこし太った彼女は英語を話す白人であるという以外はほぼ日本人のおばさんと同じで、会うたびにご飯を食べてるかとか、昨日はよく眠れたか聞いてきた。ずっと話していて、動きはゆっくりだったけど細かなところまできちんと掃除する気のいい人だった。帰国するためにその仕事をやめることを伝えたとき彼女は僕の手を握りながら「ナイストゥーミーチュー(あなたに会えてよかった)」と言った。

中学校でそれは出会ったときにいう挨拶のように習っていたので、本場では別れのときに使うんだなと変に感動した。「元気でね。あなたなら大丈夫。日本に帰っても元気でね」と少し涙ぐみながらお別れを言ってくれた。

結局、僕たちは同じなんだと思った。新しい場所や出会いは緊張するし、一人でいるのは心細くて、別れはいつもさみしい。なんだか当たり前すぎるような気もするけど判らなくなってしまう。言葉や文化や見た目が違うし、すんでるところもすごく遠いと全然別の生き物のようでコミュニケーションを取れないような気がしてしまう。

僕にとって一番怖いことはコミュニケーションが取れない存在。着ぐるみなんかはなにを考えているのかわからないからすごく怖いと思ってしまう。怖くない人もいるだろうけど、外国の人を怖く思ったり、ないがしろにしてしまう人は同じようにコミュニケーションが取れないことへの怖さや、わからないからこそ雑に扱っても向こうがどう思うか想像できないことからなんじゃないかと思う。
でも、僕が何も思わないわけがないように、誰だって生き物としての感情や思考がある。そんなのは当たり前にそうなのだ。

Pityman「ばしょ」9/20~24 @新宿眼科画廊スペース地下

https://pityman.jimdo.com/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?