最近気になってた男友達に好きと言われた

思ってた以上に彼は私のことが好きだったらしい。好きなんだろうなーとなんとなく思っていたけど、そこまでとは思ってなかった。だから私からご飯でも行こうと誘ったあの日に、そこまで関係が進むとは思ってなかった。

少し怖かった。このまま私はまた恋愛という魔境に迷い込むのかと。魔境の入り口に立たされ、彼に抱きしめられた私はぶるぶる震えていた。「過去の恋愛のトラウマで、不安が少しあるから、ゆっくりやっていきたい」と正直に言った。「でも、今日一緒にいて好きだなって思った」これも本心。だけど自分で言ってクズ男みたいな台詞だと思った。まさに“過去の恋愛”で私にトラウマを負わせたやつにそっくりだと思った。あいつみたいに、私は彼の好意を利用したくなかった。だから私は少しだけ怖気付いていた。多分私も彼のことが好きなんだろうけど、彼のことが大切だから、ゆっくり進めていきたい。どんなに良い言い方をしてもあいつから言われた言葉の二の舞になるのが笑えてくる。

でも、次の恋愛は愛されたいともずっと思っていた。今までの恋愛はとにかく自分が好きになって、突っ走って、揺さぶられて、私がこの激情を楽しむんだと自分の世界に入り込んでいた。でももう、体力的にもキャリア的にも年齢的にも、そういう燃え上がるような恋はそろそろやめて、心的生活がより良くなるようなサスティナブルな恋を始めたいと思った。彼といるととても安心できるし、自己肯定感が上がるし、行き先や店選びもストレスがなかった。何より私の話を聞いてくれて、よく理解してくれて、高めてくれた。躁うつのことや、生活のことを話したら、手を握って本当に私の日々の幸せを願ってくれた。彼自身も仕事に恵まれ、今が幸せそうだった。こういう人とずっと一緒にいたいと思った。
駆け引きとかは一切なくて、お互いの本心をずっと言葉に乗せてこれたと思う。ありのままの私を、歪んだ色眼鏡抜きにしてこんなに認めてくれた人は初めてだった。承認欲求を満たされてうれしいけど、そういう私の欲深さもうまくフィックスしていけそうな相手でもあると思う。

自他境界がはっきりしている。あくまで他人同士だけど、だからこそ与え合える。自分から自分に何かを与えることはできないから。個人が自らの生活や仕事や幸せを向上させていく中で、互いに寄り添っていける人だ。そういうことは共通認識として形成できている。私がのびのびとひとりの人間として生きていけるような気がする。私の精神的自立という目標を、今までは依存相手を遠ざけることで確保してきたけれど。この人ならそういう課題を一緒にこなしていけそうだと希望が持てた。

サスティナビリティ、安心感、自他境界、精神的自立。こういう最近の私の中でのテーマに沿った相手が現れてしまった。男に媚びることをやめて、だんだんと自分らしくいられるようになったらそういうところが好きだと言ってくれる人に出会ってしまった。前の恋愛からの回復期間としてもう少し間を空けたかったけれど、現れてしまったのだから仕方ない。
「自分がうまくできるか」不安だけど、今まで培った精神安定スキルで乗り越えられる気がする。
気負わず、ゆっくりやっていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?