男の中で一番マシな男

だから一緒にいるのかもしれない。
男って女からしたら基本的に加害性と支配性を孕むんで、女として関わるメリットって実はあまりない気がする。だいたいどの宗教でも色欲は捨てるべき煩悩だし、そもそも自分を守れるのは本質的に自分しかいないのだから自分自身が強くなった方が手っ取り早い。男に期待してはいけないのである。対等に接する男友達が多いからこそ、恋やセックスの相手として男と関わるとき、立場の違いがより際立って感じられる。それは身体的にも社会的にも、ある程度定義されているものだから仕方のないことだ。最たる例として、出産は、女だけが体験できる最も重篤な辛苦であり、最も高尚な歓びだ。私は基本的にリスクをガンガン取って面白い人生にしたいから、また恋愛をするし結婚もしたいし子どもも欲しい。けれどそれはすべて自己責任でしかなく、男に期待なんざ持ったらいけない。それはこれまで生きてきて十分わかった。

以上のことをぶつけたとして、スッと理解を示すのが今一緒にいる男だ。今のところ、男の中で一番マシな男だと思う。そうでなければ、友達としてはよくても、恋の相手として関わろうと思えなかっただろう。私はあそこまで女性性を孕んだ男性を見たことがないし、それは弱さという意味じゃなくて、強さによる優しさのことだ。私の中には、どうしようもない男性性があって、だからそういう凹凸が上手くマッチしたのかもしれない、などと明るく考えたりする。
でも、どこまで行ったって所詮男なのだ。最も女性的な問題には部外者として関わることしかできない。だから期待もしていない。それが「他人」の限界だから。私の世界は私にしか見えていない。私の世界が、たまに神経病のように常軌を逸するとき、母親さえも私が何を見ているのか理解できない。血を分けた弟でさえも、もうずっと、全く違う景色を見て生きてきてしまっている。だから彼に、もし家族のような親しみを覚えても、この身体に走る自他境界は明け渡してはいけないのだ。境界を一切譲らないうえで、彼と異質な他者として一緒にいられたら、と願う。すべては時の運。

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