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#45 フォロワー

フォロワー数がステータスのようになっているような現在。

やっぱり自分のフォロワー数も気になる。
気になるように、アプリが作られているのだとしても。
本当にうまくできたシステムだと思う。
いいねの数やリツイート、リポスト、コメント数
なんでも数値化されてしまう。

現時点での僕のフォロワーはTwitter:197人、インスタ:69人。決して多い方ではない。

ありがたい。
学校であったら一学年くらいはあるだろうか。今まで出会った人たちがほとんどで、会ったことのない人達でさえ自分に少し興味を持ってくれてフォローしてもらっている。
本当にありがたい。

インターネットがない時代であったら一生に出会う人の数はそれほど多くなかっただろう。
でも今は実際に会う人+α目に見えないネットという空間で繋がる人の数も加算される。
普通に考えてすごい事な気がする。
もちろん怖い事も多いとは思うけれど。

不思議なもので自分よりもフォロワー数が多い人を見ると羨ましく思う。この感情はなんなのだろう。
何故か負けているようになる感覚。
悔しいと思う感覚。
相手と自分の差なのだと思う感覚。

明るくて、人懐っこくて、可愛くて、カッコよくて、
コミュニケーション能力が長けている人もしくは外に出て物理的に人と会う機会が多い人が羨ましくなる。

そっち側の人間ではないと自分では思う。
学生の頃、夏休みはほとんど家から出ないでゲームをしているほどのインドアで、人と話す時は、知識がないので内容のない薄っぺらい話しかできない。

それと致命的なのが、年上の人と会話するのが苦手な事。

全く話が噛み合わない、趣味も合わないし、外にも出ないから場所の話をされてもわからないで会話が終わる。そしてそんなに相手に興味が湧かない。

たいてい仲がいいのは、同い年か年下の人達ばかり。

これは僕が生きてきた世界が狭いからなのか
それとも出会ってきた経験がそうさせたのか
それとも年上の人に自分が合わせ切れていないもしくはそれ以外の何かがあるのか?

全部が当てはまるのかもしれない。

小さい頃から、親戚の集まりがあっても、おじさんやおばさん、従兄弟の人たちともあまり話さなかった。
話したとしても相手から質問された事に答える程度。
自分から絡みにいくようなことはなかった。
そして向こう側も自分に興味がないように見えた。
自分を見る目も冷たく感じた。心を開いていない目。
自分が悪いんだと思う。
あまり挨拶もせず、家に来てくれた時にも顔を出さないでいたからそうなるに決まっていた。

世間一般の人たちはどうなのだろうか?

親戚の人達とはどう付き合っているのだろうか。

自分の周りで初めての年上の人達は親戚でその人達から僕は何も学べなかった。ただなんか付き合いにくいという蟠りだけを残して。

きっとその記憶がどこかにあって、今も年上の人年が3つ以上上だとほとんど話が噛み合わない。自分の思っている事が話せない。
上部だけの会話、気を使いあってるなとすぐにわかる。その空間、時間が辛い空気で満たされる。
それが一番辛い。

年が近いと、話がスムーズに進んで楽しい、そのような人が自分の周りには少なすぎた。

これから、そのような人達に会う機会は、増えるのだろうか?
現実世界であまりないので、オンライン上でも少なくなっていくのだと思う。

僕は、小、中、高、大で出会った人達で構成されていて、その枠以外の世代の人達と仕事をしないと行けない世界にいる。

そういう意味では、フォロワー数は一定の指標になるのだろう。世代が違くても、分かりやすいような指標に。とりあえず多いから、宣伝よろしくお願いします。というように。
そしてその人が、ちゃんとしている人なのかも最近見られてきて、どんどん個人情報や中身がネット上にさらけ出されている。
最終的にどこまでさらけ出せばいいのか分からなくなりそうだ。もしかしたらネットの中で生きる人。現実で生きる人が、はっきり分かれてしまったり、生活必需品や事務作業は全て自動化され全員がネットの中で生きる世界がくるのかもしれない。

最後はなんか空想で終わってしまったけれど、近い未来そんな世界もあるのかなと少し思っている。

広いようで狭い、自由があるようで囲われている空間がネットにはありそうだ。

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